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時間のデザイン,その必要性─『新建築』2018年4月号月評

「月評」は『新建築』の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評する名物企画です.「月評出張版」では,本誌記事をnoteをご覧の皆様にお届けします!(本記事の写真は特記なき場合は「新建築社写真部」によるものです)




評者:連勇太朗×石榑督和
目次
●建築とは記憶の装置である
●「歴史的にも建築的にも価値がない」とされる建物が積み重ねてきた時間
●時間のデザインと,その教育の必要性


建築とは「記憶の装置」である

  4月号の特集:アクティベートの手法を読みながら,ひとつひとつの建物がさまざまな時間を独自に生きているのだという事実と,その意味を改めて深く考えさせられました.
今回は,建築単体だけでなく,都市から見た視点や時間軸を取り入れた議論をしたいと思い,建築史と都市史を専門とする石榑督和さんに対談相手をお願いしました.


石榑  いちばん印象に残ったのは建築論壇:未来に向けた時間の継承の「懐かしさ」と「記憶」の話でした.
改修して古い建物を残すことの重要な意味は,建築とは記憶の装置であるということだと思います.松山巌さんが『まぼろしのインテリア』(1985年,作品社)で,東京の街並みが再開発され

「記憶できない,のっぺらぼうな町が生まれつつある」

と書いています.
たとえば寄席芸には,身近な建物と対応させて言葉を覚える記憶術があるそうで,建物の記憶と共に話の記憶を呼び起こすそうです.
ガラスで覆われた建物へと再開発するのではなく,建物を改修して再利用することの重要な意味が,ここにあります.


  「記憶の装置」としての建築は,さまざまな知覚的刺激を私たちに与えることによって現れるものなのかもしれません.
たとえば,認知科学において,アンディ・クラークという哲学者は,環境との相互作用によって人間は記憶を保存しているという研究をしています.そういう意味で,港区郷土歴史館等複合施設(ゆかしの杜)は,手摺りをガラスにしていることが気になりました.

港区立郷土歴史館等複合施設(ゆかしの杜)|
日本設計(基本設計・実施設計監修・監理) 
大成建設 香山壽夫建築研究所 ジェイアール東日本建築設計事務所(実施設計)

文化財指定を見据えての配慮があったことが想像できますが,もともと手摺りに使われていたテラゾーが,ガラスによって触れなくなっています.
触覚によってもたらされる「記憶」へのアクセスが,美観的保存が優位にあることで妨げられている可能性があります.


石榑  もの自体の積み重ねでできている建物を視覚的に体験することはできますが,記憶の装置という意味では建物に触れるということはとても重要です.
その際,素材感は鍵になる.
確かにこの手摺りは,それを阻害している感じはしますね.




「歴史的にも建築的にも価値がない」とされる建物が積み重ねてきた時間

  建築論壇で堀部安嗣さんが,この建物について「建物の完成度が高いから,後世まで残っているんだ」という趣旨の発言をしているのに少し引っかかりました.
もちろん,設計者としては責任を持って堅実に設計しなければいけないですし,それが建物の寿命を延ばすというのはその通りなんだけど,「質がよい」から残ると言ってしまうと,そうした言説自体が活用や再生の「根拠」に置かれてしまうように思います.
ただそれでは,建物そのものの性能や意匠がよいということや,文化財的・歴史的価値以外の,たとえば,「ずっとそこに10年間存在していた」という事実が評価できなくなってしまいます.日常の何気ない建物も, 人びとの記憶と紐付きながら,なんらかの価値を持っているはずです.

堀部さんのロジックを突き詰めると,たとえば千鳥文化のような「歴史的にも建築的にも価値がない」とされる建物は.評価できないものになってしまいますね.

千鳥文化|ドットアーキテクツ


石榑  日本は所有権の絶対性が強いと言われ,敷地の内側のことは所有者の問題となり,建物を残すのも壊すのも彼らの意思で決まります.時に景観法が関与し保存が促されるとはいえ,それは外観に限られることが多いでしょう.

その中で建物を残すことの意味を考えると,港区立郷土歴史館や同じオーナーが当初の建物の質のよさを持続させようと関わり続けている近三ビルヂングの対極とも言える,千鳥文化の存在が印象的でした.

近三ビルヂング(旧 森五商店東京支店)|
竹中工務店(原設計:村野藤吾)

建物に文化財レベルの価値がある前者ふたつは,保存に近い意図が所有者(建物の管理者)にあります.これに対して千鳥文化は,既存建物はなんでもない関西の文化住宅ですが,その部材を執拗なまでに記録し補強することで残していて,こちらにも既存建物を物理的に残す意思が強くあります.
戦後都市史を研究する私としては,千鳥文化は都市建築の継承の方法として,ある時代の要請によって成立した文化住宅というありふれた建物類型を,生きた形で繋げているという意味で,とても重要だと感じました.

この1階は,床を抜きアトリウムとなった空間に直行する向きで軸が通る店舗が並ぶ構成となっており,これは戦後日本各地に建設され地域の生活の拠点となったマーケットの空間を連想させます.
マーケットの通路と違って千鳥文化のアトリウムはガラスで道路から区画されています.ここがダイアグラムでは「誰でも入れる公共空間」となっていますが,むしろ限定されたコモンズとして捉えてよいのではないかと感じました.
「誰でも入れる」といっても,実際には日常的に誰でも入ってくるわけではないと思います.むしろ,ある種,地域に限られた状態が,千鳥文化がつくる社会的なネットワークには重要で,地域におけるこの場の意味を強くするはずです.

太陽の塔内部再生プロジェクト|昭和設計

東京タワー平成の大改修|日建設計

その他,都市間競争,観光の視点からも重要な資源である構築物を再生した太陽の塔内部再生プロジェクト東京タワー平成の大改修,津波災害への事前対応としての神奈川県庁新庁舎免震改修+同本庁舎・第二分庁舎改修など,外的な要求や用途が変わった際に建造物の価値を持続させるにはどうするか,という意味で興味深い事例が並びます.
当然のことですが,プロジェクトごとに既存建物への価値判断はバラバラですね.

神奈川県庁新庁舎免震改修+増築 神奈川県庁本庁舎・第二分庁舎改修|
新庁舎免震改修工事等設計業務委託設計共同体(坂倉建築研究所+構造計画研究所)



時間のデザインと,その教育の必要性

  こうしてプロジェクトを見ると,時間に対するスタンスがそれぞれに異なるということが分かりますね.そもそも現在の建築教育では時間軸を組み込んだ議論が希薄かもしれません.
意匠の問題だけでなく,文化的,技術的,都市的,経済的な観点が複合的に組み合わされることによって初めて時間の問題が議論ができると言えるので,世の中の「教育」全般のレベルの話かもしれませんが.


石榑  大学で建築史の教育に関わっていますが,結論から言うと,それが問えるような教育が行われていることは稀です.
文化財であれば分かりやすい評価ができると思いますが,そうではない建物を含めて,時間の中でその価値を考えることは重要ですね.
つまり,改修する建物に対して,どのくらいの時間の幅で価値を持ち得るかを考える教育があるべきだということです.たとえば千鳥文化のような建物を,どのぐらいの時間の中で使っていくのかということを明確にし,改修自体を評価する方法が必要です.


  セドリック・プライスは,建築を物理的な消費財として考えることを提案しました.ヨーロッパの保存偏重の文脈の中で,建物を物理的に永続させることは,人間の可能性を奪っていくという主張で,建物は目的さえ達成すれば,つくり変えていく方がいいんだというラディカルな知的立場もあり得るわけです.
建築家は常に時間に対するスタンスを明確にすることを問われています.


石榑  つまり建築家が時間をデザインすることが必要というわけですね.
建物単体に対する時間のデザインは個別の判断になりますが,いろんな時代の建物が同時に成立している方が,魅力的な都市空間が生まれます.
都市空間総体の豊かさをもたらすためにも,性能的にもまだ使い得る建物を,いかにして使い続けるかということに,実践的に関わる必要があると考えています.


連  個人の判断と社会の判断が一致してはじめて建物は使い続けられるわけで,広い意味でのコミュニケーションの問題でもありますね.実務で下す何気ない判断が,半歩先の未来にどういう結果をもたらすのか想像できる自分と,それを可能にする社会を育んでいきたいです.
(2018年4月14日,青山ハウスにて 文責:本誌編集部)





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