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「時には風を集めない帆を」。
このコロナ禍って、意識しているようで、していないようで、とてもしている。
生活環境を考えると、必ずといって良い程、違和感的な何かに出くわす、いつもじゃないのだ。
そう、いつもじゃない。消毒液にマスク、お、あそこもう閉まっているのか!みたいな営業時間の短縮、数えたら切りがない程、変わってしまったが。
自分の意識下では、ずっとは気にはしていない模様だ。うっすらと空にコロナ膜が張っているみたいな感覚にとらわれている表現が落ち着く。
たぶん、みんなみんな、必死に「これたちと生きるを」頑張っているより、「張っている」のだ。
コロナばっかりにとらわれがちだが、日々の未来を生きることに、自分を平常に保つことに、自分の明日を作ることに、人の成長を見守ることに、自分のデキルを増やすことに、出来ない自分と向き合うことに、時にはお金をみて天を仰いだり、寂しい自分を豊かにする為に、「人は良く生きようと自ずから、みんな必死に真面目に挑戦している」誰も悪く生きようとは思わないのだ。だから、もう「それぞれに張り過ぎている」みんなみんな張り過ぎているから、必要になることは、真っ向から受け止めること無く、しなやかに避けながら、その事象や物事が平面の壁ではなく、避けることで見える横側と奥行きで立体であることを掴めば、結果、案外小さい塊が見え、解決策が何通りも出てくる。
今は疲れていることを信じて、もうそれで十分だと認めることも得策。
闘牛士のように「ヨケル」がワードになると確信している。
今は、風を集めなくても、転覆はしない。
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