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【お題拝借】私の死生観 (63歳・サラリーマンOB)

杉並区にお住まいの63歳のサラリーマンOBのMさんから頂いた
お題を紹介します。

杉並区久我山の「片木自宅」でお題拝借
鴨を1羽さばいて皆で鴨鍋パーティーしました。
鴨肉は勿論のこと鴨の出汁も最高でした。

同年代の人間の亡くなる理由が60才を過ぎてから、癌や心筋梗塞や脳内出血が増えていて。。。 
僕も最近、終活を少し意識するようになりました。

63歳・サラリ-マンOB Mさん

そこで今回は、Mさんから頂いたお題「終活を意識する」を拝借して、「私の死生観」を「未来を輝かせるツール」に変えたいと思います。

【私ならこう考える】

失って気付くこと。
それは “親のありがたさ” と “健康のありがたさ” だぞ。
若い頃、年配者から聞かされた台詞です。
 
年配者の台詞どおり、私も、
親が病気で死んで何年も経って、親のありがたさに気付き、
自分自身が重篤な病気に罹患して、健康のありがたさを痛感しました。
今度は私が若い人にその台詞を伝える年齢になりました。
 
さて今日のテーマは“死生観”です。
この“死生観”にはどのような“”があるのでしょうか?

吉田兼好の「死生観」

鎌倉時代の歌人:吉田兼好は、「徒然草」の中で“死生観”を次のように述べています。
(原文)
生・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。

(現代語訳)
生・老・病・死の移り変わりは、四季の変化より速い。
四季の変化は春夏秋冬の順番があるが、人間の死は順番などなく突然やってくるものである。
死とは、向こう側からやって来るものではなく、いつの間にか後ろに迫っているものなのだ。
人は誰でも死がやって来ることを知っていながらも、覚悟していないときに突然死がやって来てしまう。干潟が遠くに見えていても、満潮時にはいつのまにか目の前が潮で満ちてしまっているのと同じ事なのだ。
 
つまり兼好の死生観は、
死とは、「何十年先の遠い未来から、こちらに向かって少しずつ近づいてくるもの」と思っていたらそれは間違いですよ、
死とは、「“背後霊”のようにアナタの背中に付いていて、ある時、何の前触れもなく、“タイムアップですよ”と突然、声を掛けてくるもの」と言うことです。

柏木医師の「死生観」

医師として病院で2,500人の死を看取ってきた柏木さんは“死生観”を次のように述べています。
 
「死」を自覚した人は、多くの人が「自分にしてもらったこと」と「自分がしてあげたこと」を比較してみると、「自分にしてもらったこと」の方がはるかに多い、ということに気付きます。
ひょっとしたら神様は人生の最後に「救いのチャンス」としての成長の機会を用意してくれているのかもしれません。

いつか必ず死に別れる

私は、数年前(2日前まで会っていた)友人を彼自身が運転するオートバイの事故で亡くしました。
無常を感じると同時に世話になった彼に対してちゃんと「ありがとう」って言いそびれていたことが頭をかすめると同時に後悔の念が沸きました。
 
私はその友人の死と向き合い改めて次のことを学びました。
「自分も必ず死ぬ。配偶者であれ、パートナーであれ、親子であれ、友人であれ、必ず死に別れる」
「そのこと承知して、※行動を後回しにしない

見てみる、会ってみる、行ってみる、やってみる、経験してみる、感謝の言葉を伝える、謝る、話を聴く、言葉をかける、助ける・・・・・・。

これを「死生観」と言えるかどうか自信はありませんが、
現在の私がたどり着いた死に対する“”です。
 
アナタはどう考えますか?

この誰もが避けられないテーマ。
大事な配偶者やパートナーの方と一度話してみてはいかがでしょうか。

アナタの輝く未来のために!

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