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旅の記憶③

26歳になった誕生日当日から母と2日間、埼玉、東京、千葉を巡った旅日記、前回からの続きです。

今日は、秩父神社さん、三峰神社さんにお参りさせていただいた後に泊まったホテルまでの道のりと、

旅の2日目に行った『田端文士村記念館』の事を書いてみようと思います。

秩父神社さん、三峰神社さんへお参りをさせていただいてから、バスに1時間以上揺られ、またさらに秩父鉄道に乗り、その日泊まるホテルがある行田駅というところまで、やっとたどり着きました。

私も母もその頃には移動時間の長さや、山を登った疲れもあり、へとへとになっていました。

早くホテルに向かおう……と最後のちからをふり絞り、行田駅からホテルまでのバスを調べると、なんともうバスが走っていないという事態に……!(その時夜8時をまわっていた頃です)

ならばタクシーしかない!とバスの時刻表の上に貼られていたタクシー会社の電話番号へかけてみると、その日は近くでお祭りがあったらしくすべてそちらに出払ってしまいタクシーを回せないとの事……。

仕方なくホテルに電話をしてタクシーを呼んでもらえないか問い合わせてみると、やはり難しいようで「少々お待ちください」と言われたきり、受話器からは保留の音楽がしばらく流れていました。

もう徒歩で向かうしかないか……とあきらめかけたその時、受話器の向こうから「タクシーが一台つかまりました!」という声が!

予約を入れてもらい、私と母は深い安心のため息をついてタクシーを待ちました。

タクシーに乗ると、運転手さんがたまたま行田の街にお住まいの方で、名物や歴史をいろいろと教えてくださいました。

〜その話の中での事。(以下会話文になります★)〜

運転手さん「三峰神社さんへはお参りに行かれましたか?」

私と母「はい、お参りさせていただきました」

運転手さん「そうですか。実は私の親族が三峰神社さんのお守りを作っているのですよ。

おみくじも引かれましたか?」

私と母「もちろん引かせていただきました。うれしい事に2人とも大吉だったんですよ」

運転手さん「それはそれは!三峰神社さんのおみくじは大吉はめったに出ませんのに、よかったですね!」

私と母「!!!」

という、大変テンションの上がるうれしい情報もいただきました。起きる事すべてに無駄な事は無いな……と改めて感じました。(忙しい日に迎えに来てくださったタクシーの運転手さんには本当に感謝です)

そして私と母は無事にホテルに着く事ができました。

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旅行2日目の朝です。

ホテルの最寄駅の行田駅から東京の田端駅へと到着し、いよいよ『田端文士村記念館』に到着しました。

その時にやっていた企画展示は「芥川龍之介の生と死」というものでした。

実は、この展示を見られたのも、ご縁があっての事でした。

私は、日本の文豪の方々の小説や詩などの言葉の作品を、私なりの解釈で作曲してお届けする「時間旅行シリーズ」という事をやっているのですが、(過去記事にて作品ごと記事になっておりますのでぜひご覧になってみてください♪)

田端文士村に暮らしていらっしゃった、芥川龍之介さん、室生犀星さん、萩原朔太郎さんの作品を作曲した「田端文士と私」というCDを今年発売しました。

そして、この田端文士村記念館のスタッフの“ある方”にも楽曲を送らせていただき、新しく作曲をする度にきいていただいていたのでした。

そして、そのスタッフの方に「田端文士だけでアルバムができそうですね!」と言っていただいたのがきっかけで、この「田端文士と私」というアルバムを完成させる事ができたのでした。

さらに、この旅で見る事ができた展示「芥川龍之介の生と死」という企画は、このスタッフの方がすべて手がけた展示でもあったのでした……。

つくづくご縁ですべてが繋がっている旅だと感じました……♪

田端文士村記念館「芥川龍之介の生と死」という展示では、芥川龍之介さんの「生き方」「死に方」、そして作品……彼の存在すべての影響力の大きさを知る事ができました。

芥川龍之介さんは、人並み外れた頭の良さを持ち、文章を書くその芸術への情熱で、

作品だけでなく、その人柄からも多くの人を魅了したそうです。

室生犀星さんや、萩原朔太郎さん、堀辰雄さんなどをはじめとする多くの芸術家の仲間達もいました。

しかし、彼は35歳で自ら命を絶ちました。

田端文士村記念館の展示の中では、彼の若い頃からの様々な文章の断片を読む事ができました。

その文章を読んでいくと……

彼が幼い頃から「精神の病」というものに触れながら生きていた事を知る事ができました。

それは、彼の母親の精神の病や、彼自身の精神を蝕んだ『不安』。


しかし、それらを芥川龍之介さんが文章に書きあらわすと……

不思議で奇妙でありながら、すっきりとした文体によって、現実味との絶妙なバランスが生まれ、ゾッとするほど美しく、切れ味のよい包丁を目の前にかざされているようで……。

その精神の病や、『不安』や、苦悩などの、およそ人生において「つらい」と言われているもの達が、魅力的にすら思えてきてしまうような輝きを放ちはじめる……と、私は感じるのでした。

精神の病、不安、苦悩、苦痛……それらとこんなにも愛し合ってしまっている、まるで抱き合ってひとつになってしまっている、そんな彼から生まれてくる言葉、文章、その芸術作品は、

なんて純粋な『人間である事の苦しみ』なんだろう、と感じたのです。

まるで、『人間である事の苦しみ達』が、芥川龍之介という天才によってあらゆる表現をされたくて、彼のもとに集まってきているかのようなのです。

そして、さらに私の勝手な感想や解釈ですが、

芥川龍之介さんという方は、この『人間である事の苦しみ』や、その『人間としての壮絶な孤独』味わうためにこの地球に降り立った勇敢な魂だったのではないでしょうか?

彼ほどの明晰な頭脳を持ってしてでも壁にぶち当たり、身を粉にして追求をし続け、精神を蝕まれても尚、ひたすら純粋に、詩とは?小説とは?芸術とは?その終わりのなさをも味わった……。

それはむしろ、彼ほどの才能を携えていたからこそ味わい尽くす事ができた『人間である事の苦しみ』そして、

決して他と分け合う事のできない『人間としての壮絶な孤独』だったのかもしれません

田端文士村記念館では、芥川龍之介さんの他にも多くの芸術家の方々が紹介されていました。

彼らの作品や生き方に触れながら、今という時代を生きている私達の事にも思いを巡らせました。

今、現代に生きている私たちは、

彼らの遺した作品を読んだり見たりする事ができ、尚且つ、

その作品や、彼らの生き様・死に様から、自分なりの考えを持つ事ができる。

さらに、そこから新たな答えを自分の中に見つけたり、自分の人生の選択をする事ができる。

それは、彼らの魂と共にその先の時代へと歩いく事でもあるのではないかな、と私は思っています。

死後50年以上も経ったのに、彼らの魂のエネルギーは作品の中に衰える事なく生きていて、時空を超えて私達に語りかけてくれます。

これは、『終わらない愛』そのものなのではないでしょうか。

私達が求めれば、彼らはいつでもヒントを与えてくれている。

私達が感じようとさえすれば、彼らはいつでもここにきてくれる。

そしてその答えを見つけたり、選ぶのはあくまでも今を生きる私達に委ねてくれている。

寛大な愛でもって、私達の成長を見守ってくれている。

ならば、今を生きる私は、彼らから学んだ事を胸に、

自分にとってのしあわせを見つけ、一瞬一瞬をそれに生き、心から自由で在るという『生き方』を未来へ遺したいと思いました。

こんな気持ちは、私の過去生からのメッセージにも重なっていくと感じます♪

そして、その『生き方』で、私も作品をつくり、遺していきたいです

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今日は田端文士村記念館で私なりに感じた事を記事にしましたが、

言葉に宿るちから……その『言霊』というものを私達が感じる時、言葉以上のものに触れているのだという事を改めて思いました。

次回は、さらに日本語のちから、『言霊』を用いて人々の健康を守る『うず気功セミナー』についてを記事にしようと思います♪

お楽しみに!


そして皆さん、2019年も、本当にありがとうございました…!

また来年も、うたや、映像や、イラストや、文章や、ライブなど……様々なものをお届けしていきますね♪

また2020年でお会いしましょう♪

ここまで読んでくださり、ありがとうございました♪



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