転職をたくさんして思ったこと。
■現実を勇気をもって見る。
今現在、世界的な不況となっており、不安と混乱がひしめいているように見えています。
これまでどおりの生活になるの?ボーナスは??という街の声をニュースでみていると、正直な所、楽観的だなぁ・・・と驚きます。
実際は多くの会社が給付金や助成金という細いロープを掴んでいる状態です。そして6月、7月と時間が経つごとに撤退を考える会社は増えていくとお思います。その状態でボーナスという話が出ること自体、かなり平和な発想です。
しかし、もしかして、そういう人たちは会社をやめたことがないのかな?とも思いました。
会社をやめたり、会社が潰れるなんて夢にも思わない という人にとってみれば、実際に自分が食をなくすなんて『想像できない』状態なのではないか?と
それが悪いわけではないのですが、もしも自分が職を失うかもしれないという状況にあるなど目を背けたい現実を見つめている勇気ある方にはこの記事を読んでいただきたいです。
最終的には前向きな話です。
■転職の多い僕。
一見なんの自慢にもならないことですが、僕ほど仕事をやめたことが多い人もあまりいないと思うので、一般的な方とは全く異なった視点での話となります。
まず、僕は高校を卒業して上京しました。
地元には職業の選択肢は少なかったことと、はじめから上京しようと思っていたからです。
最初は渋谷区にあるレストラン。朝から晩までの労働で、常に足の裏が内出血していました。ここはあるスタッフが部下に対するパワハラ、暴力が多く見ているうちに嫌になり、一年ほど我慢していたことが原因なのか退職してしばらくは何もせずに一人で家にいる生活となりました。
これがアルバイトを除いては初めての失業です。
当時20歳くらいだったと思いますが、現在ほどインターネットは発達しておらず、スマホもなかった時代なので情報を得ることもできずなんとも言えない不安感がありました。
お金は減っていくので不安。そしてこのまま死んでしまうのではないか?と思うと、嫌な汗が出てきて寝付けないことが多かったように思います。
それから、お金はすぐにそこを尽きて、家賃は申し訳ないですが滞納していました。(退去時はもちろん精算しました)
こうなると人間の心理としてあまり外に出たくなくなります。
なんだか人目に付きたくないということとや、世間に対する負い目を感じるようになったからかもしれません。
死なない程度に食事だけをして、お金は本当に使わなかったです。
最終的には、捨ててあるきれいな古本をリサイクルのお店に売ったりしていたのですが、このお店のスタッフさんがいい人で、唯一人間との交流が持てたのはその人だけでした。
そんな生活をしていると、知人からの紹介で営業の会社にはいらないかという話があり、飛びつきました。
やりたいかどうかは考える間もなくとりあえず働くことに。
ありがたいことにこのベンチャーの会社では飛び込み営業などの経験をさせて頂けて、お給料もしっかり頂けたので一度生活を立て直します。
一年半ほどが経った頃でしょうか。
ベンチャー会社なので社内の対立から、会社が分裂する事になりました。
この頃からもう先が見えないような気持ちになり、また休みの日も働く事が多かったため心の糸が切れたようになり辞めてしまいました。
すぐ辞めてしまう自分はだめな人間だなぁ・・・
と思うと、以前に増して暗い気持ちの日々が続きました。
携帯電話はOFFにして、誰とも会わない生活。深夜になると人が減るので買い物に出かけるくらいで、殆どを部屋で過ごしていました。
■なにもないという幸せ
しかし、2ヶ月もすると不思議なもので、なんだか楽しい感覚になって来たのです。
人間はどんな状況にも慣れるんだなぁ・・・と
いうことをここで学びました。
そして、なにもないこの状況が清々しい気持ちも出てきました。
なんにもなくても人間は生きていける
本当に些細なことが幸せに思えました。冷たいジュースとか、ラジオから好きな音楽が流れてくることとか、セミの鳴き声とか・・・。
ゼロになって思ったのは、自分の身体があればゼロではないということ。
そして、お金に苦労していなかった一時と比べても幸福感はそこまで変わらない、むしろ増えたのでは?ということにも驚きました。
◾️そうはいってもお金がない!!!
これはやばいぞ・・・とおもっていると友人から『治験』という薬の実験ができるということを聞いて、怖いものなし状態の僕は当然やりました。
※日本の治験はすでに流通している海外の製品が日本人にも適合するかなどの確認作業に近いものなので、ものすごく危険なものは少ないです。
これは話すと長いのでサラッと・・・
治験は病院での生活で13日ほどのものを最初はやりました。報酬は36万円ほどですが、眠るときに脳波の測定の為に電極を付けたり、暗室での睡眠をしなくてはいけなかったりと、苦手な人は苦手だろうな・・・と思う内容でしたが、僕は向いていたのかとっても快適に生活できました!
その後も治験は何度かやるのですが、外出禁止、窓の開放禁止、禁酒禁煙、食事、飲み物は指定されたものだけで、寝る時間や起きる時間も決められていることなどもあって、とても禁欲的な生活を送っていたので、
その経験は今回の自粛生活をする際に余裕のある気持ちで臨めたことがよかったなと思いました笑
(※最長で25日も病院に閉じ込もっていました)
★豆知識:人間は制限された生活をすると、お酒やタバコなどよりもとにかく甘いものが食べたくなるので、防災グッズを用意している方は甘いものを入れておくことをオススメします。
◾️シェアハウス生活
その後、また違う会社に入っては辞めて、板橋区のシェアハウスで暮らしたりもしましたが、これは金銭的にはかなりお得で、光熱費、ネット使用料込、6帖の個室がついて45000円でした。(※最近の設備の整ったところはもっと高いです)
ここは外国人との共同生活だったので自分の部屋以外のキッチンなどには多国籍の民族が同居する不思議空間が・・・。
インド人10人とカレーを食べたり、いつも上半身裸のカナダ人のおじさんがいたり、たくましい生活でしたがこれも経験としてはとても良かったです。
シェアハウスは敷金礼金などの仕組みはなく、最初に2万円ほど預ければその日から住んでもいいという超簡単システムだったので、生活費削減の選択肢としてはオススメです。
入っては辞めと繰り返し、なんだかんだ生きてこれたのですが、そこで思うのは仕事を辞めたくらいでは人は死なないということ。
食パン1袋でも2日はいけますし、パスタを1キロ買えば結構持ちます。
ちょっと極端な話ですが、その点は自分の身体を使って実験したので保証付き。
合計10回ほどの転職を経験しておもったのは、勤めるということ自体が向いてないという結論になり、現在は妻と二人でモノ作りをして生活しています。
■世界の転職
アメリカでは転職についてポジティブな意見が多いです。新たなことへの挑戦として考えられていることや、同じ環境に居続けるのは積極的ではないという日本とは全く反対の意見なのです。
18歳から46歳のあいだに、実に11以上の仕事を経験するとか・・・。
※勤続年数半年未満という計算になります。
考え方の問題ですが、転職=良くないという固定観念に縛られる必要はないのではないかと思うデータですね。
■贅沢が幸せではない!?
ここまでの話を通して、何が言いたいかというと、こんな人生を送ってきた人間がいるんだから、もしもこれから自分の勤務先が倒産したり、クビになったりしても思いつめなくて大丈夫ということです。
ある意味みんな苦しいので、立場は同じ。職を失ったとしてもなにも恥ずかしくありません。
そもそも生きるために仕事をしているわけですから、仕事がないから死のうと思ったりするのは本末転倒です。
図太い言い方ですが、少しくらい仕事をしなくても別にいいのです。長い人生の一部分で仕事をしていなかったからといっても、ちょっとした思い出レベルです。
世界一貧しい大統領として有名な、ウルグアイ元首相のホセ・ムヒカさんが言っていた言葉で、
『貧しいとは足ることを知らない心のことだ。』と言っていましたが、本当にそのとおりだと思います。
給料の90%を寄付して、質素な家で畑仕事を楽しむムヒカさんはとても豊かな人だと思いました。
★ホセ・ムヒカさんスピーチ ←オススメ
所有物や、立場、他人からの評価というのは自分の幸せには直結しません。
外部要因によって作られた幸せは、それを失ったときに不幸になるきっかけになるからです。
僕は貧乏でも自分のことが好きでいられたら、それが豊かということだと思います
これまでの社会はお金に人生の価値を置きすぎていたように思えます。
ですが多くの人にとって今回のウイルス問題を期に、本当に大切なものがなにかを見つめるきっかけになると思います。
本当はやりたくない仕事
モノに埋もれた部屋
なんとなく続けていた友人関係
見栄で買っていた洋服
自分にとっていらないものがあったら、思い切って手放して、ゼロベースで新しいことを考えていくという人生で一度あるかないかという機会です。
もし会社が倒産したら一時的にはお金に困るでしょう。しかし、大局的に見たらそれがきっかけで本当にやりたいことが出来ることになったりすることもあると思います。
人生には浮き沈みがありますが、浮く前には沈む事が多いもの。
みんなで助け合うのが得意な日本人なので、手を取り合って乗り越えて行きましょう!
GOODLUCK!!
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