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「東大生は勉強しかできない」という言葉が目を背けていること。

1.「頭が悪い人とは会話が成立しない」という発言の違和感


「頭が悪い人とは会話が成立しない」という発言へのひっかかりは、無意識に自分が相手よりも頭が良いことを前提とした傲慢さにある。

もう少し掘り下げると、本当に頭がいい人は、そんなふうに、人を苛立たせる発言をしない

アメリカの名門、アイビーリーグの学生だったビル・ゲイツが徴兵されていたとき、徴兵の宿舎の平均的な学力に合わせるために、ハードカバーや新聞の代わりにコミックを読み、語彙のレベルも落として会話していたのは有名な話だ。

ビル・ゲイツと同じ宿舎の中卒のメンバーは、ビルの事を自分たちと気が合うバカだけど明るくて気のいいやつだと思い込んでいて、数十年後に世界の大富豪としてニュースで顔を見た時にあごが落ちるほど驚愕したという。

本当に頭がいい人とは、このようなビル・ゲイツのような振る舞いができる人だと思うのだ。

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2.教育とは同じ情報を得た時にパフォーマンスを最大化できる人となるためにある

頭の良さを知識の暗記と吐き出しに特化した、狭義の意味での学力にだと思うのはその人の知的な貧困さを感じさせる。

哲学者・武道家の内田樹は、学校教育とは「それを受けることで、受けなかった場合よりも高いパフォーマンスが発揮できること」だと明快な定義をしている。

事後的に、高い水準で学問を体得した若者は、例えば質の高い情報へのアクセスの方法だったり、論理的な議論の組み立て方だったりを学んでいるから、高い給与の会社に就職できる。

(その後、知性は就職面接の短い時間では確認しきることができないから、学歴を見て、その人の知性を判断しようという学歴主義の流れができるし、現在はそれが主流とされるが、それはまた別の話だ)

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3.「東大生はガリ勉しかいない」の嘘

つまり、そもそも学問が「より良く生きるためのツール」として身につけている以上、本当に学問が好きで、それを活かし切りたい人なら、数学や現代文と同様に真剣に、人に好かれるためのコミュニケーション方法や、彼女が喜ぶ性行為の触れ方まで真剣に学ぶはずだ。

実際、高校まで真剣に学問を学んだ進学校屈指の秀才たちは、大学入学以降には世の中で生きるための全ての学びに好奇心を伸ばしていることが多い。

「東大生はガリ勉しかいない」「勉強しかできない」とは、東大に入る勉強でキャパオーバーに陥って燃え尽きた落ちこぼれしか、周りにいない人が吐き捨てる言葉だ。

人生では自分の周りには、自分と同じレベルの人間しか集まらない。

優秀な東大生は、ファッションも学んで時給5,000円の塾講師で稼いだお金で質も良く品も良い服を身につける。高校まで、お金のないうちからファッションに関心があった人たちを一瞬で追い抜く事例を何件も目撃してきた。

気をつけたいのは、「どんなことでも勉強だ」という頭の悪い相対主義を主張したいのではない。

例えば、資格試験マスターと揶揄されるような、とりあえず大量に資格を持っている人が、ある水準以上の大企業に受かる可能性は低い。

「持っている資格の量と、その人の知性は反比例する」とまでは言うつもりはないが、とりあえず何に使うのか分からないけれどたくさんの資格を持っている人は、中堅以下の大学出身者と、専門学校生に多い。

まだ資格になっていないけれど、学んでおくと人生を有利に進められることに時間とお金を投下する目利きの能力と、その努力によって差がつく。
その差は結婚できる相手の水準や、年収、子供にかけられるお金の差にまで一生拡大し続ける。



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