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私は、私自身のために、「推し活」をする。

こんにちは。桜小路いをりです。

今回の記事は、当たり前かもしれないけれど、気がつくと忘れてしまいがちなことについて。
改めて、「私はこうする!」という、私自身の北極星にするための記事です。

この前、特に音楽を聴くこともなく、ぼんやりとお散歩をしているときに、ふと考えました。

私って、なんで「推し活」をしてるんだろう、と。

別に「推し」に冷めたわけでは全くなくて。

ただ、SNS上に溢れる「推し活」のつぶやきなどを見るたび、ふとモヤモヤすることが、時たまあって。

このモヤモヤは何だろう。
この人の「推し活」と、私の「推し活」は何が違うんだろう。

そう思っていたとき、ふと頭に浮かんだのは、私がこれまで見てきた、たくさんの「推し」の作品でした。

二次元も三次元も関係ない。

ドラマチックでカッコいいMV。
思わず痺れるような素敵な歌詞。
イントロから惹き込まれる曲。
ずっと手元に置いておきたいパッケージ。
趣向を凝らしたグッズの数々。

そこから私が受け取っているのは、紛れもなく、私自身が感じる「感動」でした。

そのとき、「あっ、私は『私自身』のために、『推し活』をしているんだな」と。

そんな当たり前のことに、今さら、はたと気がつきました。

私は、「推し」を「憧れ」や「リスペクト」の気持ちで見ることが多いです。
(私の推しのほとんどが、私より年上ということもあるかもしれませんが。)

こういう考え方、すごくカッコいい。
この言葉選び、とっても優しい。
ここの仕草やお話しの仕方、すごく可愛い。

そんな素敵ポイントを、自分自身が吸収するため。
「いいな」と思うところを、こっそり真似して、ひっそり自分のモノにするため。

言ってしまえば、私にとっては、「推し活」も「自分を高めるための自分磨き」のひとつなのかもしれません。

だから、正直に言ってしまうと、「推しに喜んでほしくて……!」「これも推しのためになるから……!」という動機をもって行動することは、私自身はあまりないな、と思います。

強いて言うなら、すごく大好きな作家さんの本は新品で買う、というくらい。(「推し活」と言えるかどうかすら微妙ですが……)
ちょっとでも応援できたらいいな、という想いを込めて、お財布と相談しながら、できるだけ新品を購入するようにしています。

以前、何かの記事でも書いたのですが、「推しを推す」の主語って、絶対的に「私」や「自分」だと思うんです。

だとしたら、「推し」がいる以前に、「自分」の「好き」の気持ちや、何かしらの行動をするエネルギーがないと、「推し活」はできない。

私は、これからも、「私自身」の成長や楽しみ、感動のために「推し活」をしていきたいです。


今回お借りした見出し画像は、ピンクのバラとかすみ草の写真です。奥行のある切り取り方が素敵で、即決でした。ピンクのバラの花言葉は、「しとやか」「上品」「感銘」など。どれも、私が憧れる人の在り方に重なる言葉です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。