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YOASOBI「群青」のこと。

こんにちは。桜小路いをりです。

先日、YOASOBIさんの「アンコール」についての記事を投稿させていただきました。
今回は「群青」についてです。

YOASOBI「群青」↓
https://youtu.be/Y4nEEZwckuU

「群青」は、何度もお世話になった楽曲で、私にとってすごく大切な曲でもあります。

今回は、考察というより自分語りのようになってしまうのですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

「群青」については、以前monogatary.comでもエッセイとして紹介しています。読んでいただけると嬉しいです。
https://monogatary.com/story/265616

出逢い

この曲に出会ったのは、MVが公開されてすぐぐらいの時でした。

初めて聴いた時は、まずMVのストーリーに心を奪われました。
世界が終わるその瞬間まで、辛くても痛くても踊り続ける主人公の真っ直ぐさ。
そこに乗るikuraさんの歌声。

また、まるで、私自身の経験を代弁してくれているかのような歌詞だとも感じました。

私は、「群青」が公開される1年ほど前、人生最大の辛さと苦しさの中にいました。
毎日が我慢の連続で、これまで積み上げてきたものが全て崩れ落ちて、明日のことも、ましてや何ヵ月も何年も先の未来のことなんか見通せない。

そんな状態から、積み上げてきたものをがむしゃらに頑張って復活させ、やっと目標を見つけて、好きなことができるようになった時期。
それが、「群青」と出会った時でした。

それでも、「周りには私よりもいい加減に生きている人がいるのに、なんで私ばっかり」と思うこともあったし、「あんなことにならなければ……」と考えることもありました。
自分が見つけた目標や夢に向かっていくことが本当に正しいのか、これでいいのかと思うこともありました。
周りの視線が痛いことも、思うようにいかないことも多くて葛藤したこともありました。

そんな、黒い気持ちを洗い流して、前を向くことを教えてくれたのが「群青」だったのです。

好きなものを好きだと言う
怖くて仕方ないけど
本当の自分
出会えた気がしたんだ

感じたままに進む
自分で選んだこの道を

何回でも ほら何回でも
積み上げてきたことが武器になる

これらの言葉は、葛藤して、努力を重ねてきた人にしか紡げないのではないでしょうか。

YOASOBIさんは、一気に人気ユニットにまで駆け上ってきたように見えますが、実際は、音楽をひたすら続けて、地道な活動を経て、ようやく成功を掴んだ方たちです。
そんな真摯な姿勢も、見える曲であると思います。

この言葉たちに、何度助けられたか分かりません。

私が好きなもの、私にできること

私は小学生の頃から文章を書くことが好きで、得意でした。
でも、それを言うと学校では、周りの視線が痛かったり、「いい子ぶっている」と思われることも多くて、おおっぴらに話すことはできませんでした。

物語やエッセイをネットに投稿することも、気恥ずかしくてしたことがなく、自分の文章を誰かに読まれることに抵抗がある自分もいて。
そんな状況を一歩前に進めてくれたのもまた、「群青」でした。

周りを見たって 誰と比べたって
僕にしかできないことはなんだ
今でも自信なんかない
それでも

私にとって、「自分にしかできないこと」は文章を書くことでした。
もちろん、なにか物凄いものが書けるわけではなくて、書けるのはありきたりな言葉だけでした。
それでも、私の経験は私にしかないもので。
私の言葉は、私という人生を生きてきた私だけが紡げるものでした。

魂の叫び、というほど大げさではなく。
つぶやき、というほど控えめではなく。
大勢の人に届かなくていい。
私の言葉を必要としているかもしれない人、それが仮にたった一人でも、その人が私の言葉に癒されたり、何かを感じてくれれば嬉しい。
もがいて、苦しんでいる人に、ほんの一瞬でも水面に射す光を感じてほしい。
悲しくて、寂しくて泣いている人の涙を、ほんの一瞬でも嬉し涙に変えたい。
できることなら、たったひとことでも、たった数単語でも、その人の心に残り続けてほしい。

そんな、ささやかだけれど大きな願い、祈りにも似た想いが、この「群青」で溢れてきました。

実際、私の言葉はありきたりで、noteには、もっと素敵な言葉を紡ぐ方がたくさんいらっしゃいます。
この広いネットという世界、さらに本を書く作家さんやライターさんも含めれば、私の文章など広い裾野のいちばん端っこに、転がっているようなものです。

それでも、そんな文章を見つけて、読んでくださって、リアクションをしてくださる方がいらっしゃること、さらに、私をフォローしてくださって、出る記事を楽しみにしてくださる方がいらっしゃること。
それは、本当にありがたいことですし、かけがえのないことだと思います。

何枚でも ほら何枚でも
自信がないから描いてきたんだよ

「絵」は紙に書くものですから、何枚、と数えます。
ならば、「文章」だって、原稿用紙に綴っていると思えば「何枚」ではないでしょうか?
足りない自信を努力で補って、葛藤を努力で塗り替えて、前を向く。その視線を向ける先が、絵であろうと文章であろうと、スポーツや勉強、どんなものでも通じると思います。

自分にしか出せない色

私自身、承認欲求が全くないわけではありません。
大勢の方に私の言葉が届くなら、それはすごく嬉しいことですし、ありがたいことです。
でも、万人受けのために、自分らしさを削ってしまうのなら、それは「自分にしか出せない色」ではないし、「自分で選んだその色」ではありません。

好きなものと向き合うこと
今だって怖いことだけど
もう今は
あの日の透明な僕じゃない
ありのままの
かけがえのない僕だ

信念はもっているけれど、ふと自分の文章を読み返すと、「これ、私の言葉じゃないな」と思うこともあったり。全く言葉が出てこなくて、苦しいこともあったり。

向いてないのではないか、と迷うこともあったり。不意に立ち止まってしまうこともあったり。

でも、その葛藤も含めて「自分」であり、葛藤するのは、心の底からそれが「好き」だから。

全てひっくるめて「自分の色」だと思えば、短所だと思っているところも、自分の強みになるのではないでしょうか。

MV、FIRST TAKE、そして紅白

MVを見たときに感じたのは、ソロで歌うikuraさんを、合唱のぷらそにかの皆さんが励まし、背中を押しているという印象でした。

それが、THE FIRST TAKEの「群青」では、始めの合唱はぷらそにかさんだけ、でも最後の合唱にはikuraさんも参加していて、励まされる側だったikuraさんが、励ます側に変わったという印象に変化しました。

そして、2021年の紅白歌合戦の「群青」では、こんなシーンが印象的でした。(打ち込んでいるだけで、思い出して泣きそうです。)

ありのままの
「かけがえのない みんなだー!」

紅白歌合戦では、ikuraさん自身が先頭に立ってみんなを応援し、励ましているという印象に変わっていました。

YOASOBI on Twitter: "#NHK紅白 「群青」の衣装はこんな感じで作りました🟦 https://t.co/iikGagkEue" / Twitter

上の動画でAyaseさんとikuraさんが描いている、手描きの絵の具が飛び散ったような柄も、「これまでの努力の跡」を表したものなのではないでしょうか。
それを、衣装に仕立てて身に纏う、ということは、「過去の努力は、自分を支え、晴れの日を飾ってくれるもの」という意味だと思っています。

紅白歌合戦だからこそできる、総勢234名の豪華なステージ。
その時間は間違いなく「かけがえのない時間」でした。


辛いことも苦しいことも多かったし、何度も、永遠に取り返しのつかない場所に足を踏み入れようと思いました。
でも、今、こうして文章を発信できていること、note上ではあるけれど、色々な方々と繋がることができていることは、私にとって、大切な生きがいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この記事が、少しでもみなさんの心に残れば幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。