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宗教や信仰すなわち「根拠無く何かを信じ、それに基づき行動し生きること」についてクリティ…

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宗教や信仰すなわち「根拠無く何かを信じ、それに基づき行動し生きること」についてクリティカルに考えていきます。

最近の記事

Is that the real reason? それが本当の理由なのか?: 信仰の2階建て構造

「なぜ神は存在すると信じるのか」と尋ねられて、信者が「○○だから。だから私は神は存在すると信じる」と答えたとする。 その○○、つまり「理由」は、その信者が神を信じる「本当の理由」ではないことがある。 例:A教徒が「なぜA教の神様を信じるのか」と、その理由・根拠を問われたのに対し「○○だから」と回答したとする。これは、その信者が神を信じる意識的な理由・根拠。 でも実際は、その人がA教の神を信じる本当の理由は、例えば単にA教徒の家庭に生まれ育ち、幼い頃から「A教の教えがすべて

    • Is it a good reason? それは「理由」になっているか?

      ママとケンちゃん(5歳)の会話: ママ 「おもちゃちらかってるわよ、片付けなさい」 ケンちゃん 「ヤダ」 ママ 「なんでイヤなの?」 ケンちゃん 「ヤだから」 ママの「なんでイヤなの?」という理由を問う問いに対し、ケンちゃんは「ヤだから」と回答。 ママからすると、、、そしてこの会話を聞いた第三者からしても、ケンちゃんの回答は「理由になっていない」、あるいは「(もっともな)理由になっていない」と感じるでしょう。 ーーー 理由を問う問いは、英語でWhy question

      • 信者に「神は存在する、とあなたが思うその根拠は?」と尋ねたら。。。

        神を信じている信者に対し、 「神は存在すると思うか」 と尋ねれば当然「Yes」という答えが返ってくるだろう。 では、それに続けて、 「なぜそう思うのか」 すなわち 「あなたが『神は存在する』と思う根拠は?」 と尋ねたら、一体どのような答えが返ってくるだろうか。 なぜ神はいると思うのか、という問いかけに対し考えられる回答は、大きく2つに分けられる。 「○○だから」と、その理由なり根拠なりを説明する回答方法。もしこう回答してくれれば、その○○の内容を精査する、という次の段階に

        • で、結局神はいるのかいないのか

          「宗教は本当なのか」という問いは、どこから手を付けていいのか分からない、そんな漠とした問いである。そこで、この問いを「神は存在するのか」という、やや重複するものの別の視点に基づく問いに置き換えて考えることにする。 なぜ置き換えるのか1.「宗教は本当なのか」という問いは、その意味・対象が大きすぎ、分析の対象になり得ないから。一方、「神は存在するのか」は、神の定義さえ明確化すれば(あと「存在する」とはどういう意味か、という定義付けも必要かもしれないが)、分析の対象になりうる。

        Is that the real reason? それが本当の理由なのか?: 信仰の2階建て構造

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          noteでやりたいのは要するにどういうことかと言うと、読者のみなさんとのフォーラムのような場を作る、ということです。サロンを作る、ということです。 テーマは「宗教」なわけですが、私が宗教について自分の思うところをあれこれ書いて気持ちよくなる、というのを目指しているのでは全くありません、それでは意味が無いので。そうではなくて、 1.宗教のド素人である私が、 2.(欧米で巻き起こっている宗教論争にたまたま触れたことをきっかけに)宗教というものに強いかつクリティカルな興味を持つ

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          宗教は「本当」なのか

          昔から、聖職者の服装に違和感を感じてきました。法王とか牧師さんとかお坊さんとかは、なぜあのように着飾るのか。なぜあんなに派手な衣装を着るのか。 自分が感じていたその違和感の正体が何なのかを考えてみると、 もし言っていることが「本当」なら、素(す)で勝負すればいいではないか。何もあれほど着飾らなくてもいいではないか、 ということだったのではないかと思います。 「虚飾」ということばがありますが、聖職者たちは何かを隠すために、、、いや、もっと正確に言うと、ありもしない何かを

          宗教は「本当」なのか

          「宗教なんて興味無い」という人へ

          分かります。私もそうでした。 「自分は宗教を信じていない」 「自分の周りにも、宗教を信じている人はあまり、あるいは全くいない」 「信教の自由を尊重すべき。人はみな好きなことを自由に信じればいいし、何も信じない人は信じない。人それぞれでいいではないか」 私を含め、我々日本人の多くがこのような立場・状況にあると思います。そして、このような考え方だと、宗教というものになかなか興味を持ちにくいのは当然です。「宗教になんて興味無い」と思ったとしても、それは自然なことだと思います。

          「宗教なんて興味無い」という人へ

          欧米の宗教論争

          欧米では今、「宗教論争」とでも呼ぶべき論争が起きています。「起きています」というよりも、だいぶ前に始まり、それがずっと続いています。 一流の科学者や哲学者らが宗教を痛烈に批判しています。曰く、神などいない、宗教には害悪しかない、などなど。それに対し、宗教家らが反論し、それに対し科学者らが再反論、といったかたちで論争が行われています。 この論争において特筆すべきなのは、 1.イギリスのリチャード・ドーキンズなど、日本であれば「東大名誉教授」といったいわば最高のポジションを占

          欧米の宗教論争

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          みなさん、はじめまして。 「信じる」を疑う、という名のnoteページです。 宗教や信仰、すなわち「根拠無く何かを信じ、それに基づき行動し生きること」について、クリティカルに考えていきます。 どうぞよろしくお願いします。

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