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信者に「神は存在する、とあなたが思うその根拠は?」と尋ねたら。。。

神を信じている信者に対し、
「神は存在すると思うか」
と尋ねれば当然「Yes」という答えが返ってくるだろう。

では、それに続けて、
「なぜそう思うのか」
すなわち
「あなたが『神は存在する』と思う根拠は?」
と尋ねたら、一体どのような答えが返ってくるだろうか。


図1


なぜ神はいると思うのか、という問いかけに対し考えられる回答は、大きく2つに分けられる。
「○○だから」と、その理由なり根拠なりを説明する回答方法。もしこう回答してくれれば、その○○の内容を精査する、という次の段階に移行することが出来る。

一方で、厄介なのか「根拠など無い」という、ある意味開き直りとも取れる回答だ。


論点① 「信仰には根拠など不要」という考え方

世の中の、ほぼすべての事柄について、何か主張をしようと思ったら「根拠」が求められる。

「明日はきっと晴れる」 → なんでそう思うの?
「WindowsよりもMacの方がいい」 → なんでそう思うの?
「STAP細胞はあります!」 → そう思う根拠は?


ある化粧品メーカーが、「美白効果のある美容液」を発売したとしよう。
有名女優を起用したCMを流し、雑誌や街中で広告を出し、美白効果を強くアピール。美容液の売れ行きも好調だ。

あなたも、美白効果を期待してその美容液を数本購入し、しばらく使ってみた。しかし、いくら経っても全く効果が感じられない。
そこで、同社のお客様相談センターに電話で問い合わせてみた。

「本当に美白効果はあるのか。美白効果がある、とする根拠は何か。」

こうした問いかけに対し、化粧品メーカーが
「根拠など無い」
と回答したら、どう思うだろうか。

あるいは、根拠はあるにしても、それが
「担当者が見た夢の中で、神らしき人物が「美白効果がある」と言ったから」
「エライ人がそう言っていたから」
「学校/社会でそう教わったから」
「当社の聖典にそう書いてあるから」
「我々社員一同は、みな、心からそうであってほしいと願っているから」

などといった「理由になっていない理由」であれば、きっと納得しないだろう。

化粧品メーカーのみならず、この社会に参加するほぼ全ての人・会社・団体は、ちゃんとした根拠を求められる。

一方、佐野厄除け大師は、特に根拠無く「厄年」というものの存在を主張し、「ウチで(もちろんお金を払って)厄除けをすれば難を逃れられる」と、毎年TV CMを流しているが、誰も怒らない。むしろありがたがっている。


「特に」根拠が求められるケースがある

何らかの主張をする際は根拠が求められるわけだが、中には、特に根拠が求められるケースもある。

1.重大な問題についての主張である場合
「私は明日晴れると思う」とか、私のMacびいきなどのどうでもいい問題であれば別にいいのかもしれないが、多くの人の人生に多大な影響を与えるような、そんな非常に重要な問題について私が何か主張する場合、なおさら根拠が求められる。

2.強く信じる場合。それが絶対だと主張する場合
そしてまた、そのことをとても強く、固く信じ、主張し、絶対の真実として自分の子供たちにもそれを引き継いでいくのであれば、より柔らかい主張をする場合と比べ、より強く根拠が求められる。

3.常識では/普通では考えられないようなことを主張する場合
さらに、その主張の内容が、ちょっと常識から外れていたり、普通では考えられないような(Extraordinaryな)、あるいは科学に反する主張である場合も、そうではない主張をする場合と比べ、より強く根拠が求められる。

「宗教」や「神は存在する」というのは、上記1.〜3.、すべてにあてはまる。だから、通常の物事以上に根拠が求められてもいいはずなのだが、実際はその逆。
なぜ根拠が要らないのか?信仰だから。It’s faithだから。


「信仰には根拠など不要」には、確かに一理あると言えばある

この「これは信仰(It’s faith) → 信仰には根拠など要らない」という考え方、確かに一理ある。
もしちゃんとした根拠があり、それに基づき何かを信じるのであれば、それは「信仰」ではなく、ただの「科学」であり「ロジック」になってしまう。
根拠が無いからこそ信仰、という考え方も出来る。
「信仰」は「根拠が無いのに何かを信じること」とも定義出来る。

いや、「根拠が無い」だけでなく、根拠が無ければ無いほど、そしてむしろ逆方向の根拠が存在 するのに、それにもかかわらず信仰を守り続けることこそ「信仰心が厚い」熱心な信者、という考え方も出来る。

その信者にとっての根拠 VS 普遍的・客観的な根拠

ちなみに、信者が「私は神の存在を信じるが、それに根拠など無い」と言った場合、それは「本当に根拠(信じる理由)が何も無い」ということではおそらくない(その人が神の存在を信じる理由は、きっと何かしらあるはずなので)。
では、その人の「根拠など無い」というのはどういう意味かというと、恐らく「普遍的な、客観的な、科学的な根拠など無い」という意味だろう。言い換えると、「質問者であるあなたを含む万人/多くの人を納得させるような(普遍的な)根拠は無い。でも、私個人にとっては、それが十分な根拠になっている(だから、私はそれを根拠として、神の存在を信じている)」ということになるのだろう。


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