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宗教は「本当」なのか

昔から、聖職者の服装に違和感を感じてきました。法王とか牧師さんとかお坊さんとかは、なぜあのように着飾るのか。なぜあんなに派手な衣装を着るのか。

自分が感じていたその違和感の正体が何なのかを考えてみると、

もし言っていることが「本当」なら、素(す)で勝負すればいいではないか。何もあれほど着飾らなくてもいいではないか、

ということだったのではないかと思います。

「虚飾」ということばがありますが、聖職者たちは何かを隠すために、、、いや、もっと正確に言うと、ありもしない何かをあたかもそれが存在するかのように見せかけたいから着飾るのではないか、そんな気がしたんです。少し別の言い方をすると、自分に/自分の言っていることに心からの自信を持ていないからこそあのように着飾るのではないか。

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このnote連載では、宗教に関するいろいろな大テーマを取り上げていきます。まず最初に考えるのは、宗教が「本当」なのかどうか、ということです。

この問題を考えることには、いくつかの大きな困難が伴います。

  ー 「宗教」をどう定義するか。「本当」とは何か。

  ー 「神」とは何を意味するのか。神は存在する、の「存在」とは?物理的にどこかにいる、という意味なのか、あるいは信者の心の中にいる、という意味なのか、あるいは何か別の意味なのか。


多くの難しい問題がついて回るのは承知の上で、宗教は「本当」なのか、という大テーマにまずは取り組んで行きたいと思います。

「本当に決まっているではないか」

「ウソに決まっているではないか」

「どっちでもいいではないか」

と言ってうっちゃってしまうにはあまりにも面白く、ためになる思考実験(Thought exercise)です。

「信じる」を疑う長い旅。みなさんもぜひご一緒に・・・。

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