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Is that the real reason? それが本当の理由なのか?: 信仰の2階建て構造

「なぜ神は存在すると信じるのか」と尋ねられて、信者が「○○だから。だから私は神は存在すると信じる」と答えたとする。


図1 信者に「なぜ神は存在すると思うのか」と尋ねたら・・・



その○○、つまり「理由」は、その信者が神を信じる「本当の理由」ではないことがある。

例:A教徒が「なぜA教の神様を信じるのか」と、その理由・根拠を問われたのに対し「○○だから」と回答したとする。これは、その信者が神を信じる意識的な理由・根拠。
でも実際は、その人がA教の神を信じる本当の理由は、例えば単にA教徒の家庭に生まれ育ち、幼い頃から「A教の教えがすべて真実」だと教え続けられながら育ったから(これが無意識の理由)、かもしれない。

つまり、信者本人が思う「私が○○を信じる理由」(意識的な理由)と、その信者がそう信じる「本当の理由」(無意識の理由)がずれていて、理由が2つ存在することがある。これを「信仰の2階建て構造」と呼ぼう。
ヒトには、理屈を後付けする性質があるのだ(Post hoc rationalizations of beliefs already held)。

図1


これが、信じる理由の「2階建て構造」とでも呼ぶべき現象だ。
そして、だからこそ宗教は、一度信じると非常に抜けにくいという特性がある。

信者と無宗教者が宗教や神について議論するとき、信者が提示する「信じる根拠」は、上記図の青い部分、つまりその信者が「私はこれを根拠に信じている」と思っている部分。

しかし、その信者がその宗教、そしてその神を信じる本当の理由は、実は表層的な青い部分ではなく、その下の茶色い部分であることがある。でも、その信者本人もそれに気付いていないことが多い。

つまり、その信者は根拠に基づいて信じているつもりでも、本当の「信じる理由」は、実は無意識/潜在意識にすり込まれている。

ちなみにこの話はWhy questionとHow questionの違い、という話にもつながる。

図1

なぜ信じるのか、は文字通りWhy?を問う質問(Why question)だ。これは、図の青い部分について議論をする場合には的確な問いかけ。

しかし、茶色い部分はどうか。「そういう家庭に生まれ、子供の頃にそう教わったから」というのは、厳密に言うと、その信者が宗教を信じる「理由」というよりは、いきさつ、経緯、背景と捉えた方が正確だ。つまり、Why?の話ではなくHow?(どのような経緯で宗教を信じるに至ったのか)という視点で考えるべき。

このことから、重要な結論が導き出される。

それは、多くの信者にとって、信仰が意図的な選択・判断の結果ではない、ということだ。

○○だから信じる、というのであれば、○○が根拠・理由となり、それに基づき意図的に「信じる」ことを選んだ、とも言える。

しかし、実は「そういう家庭に生まれ、子供の頃にそう教わったから」信じているのであれば、それは選択の結果ではない。その信者は、自ら考え、判断し、選択した結果その特定の宗教や神を信じているのではないが、でもそう思い込まされている、そういう可能性があるのだ。

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