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「宗教なんて興味無い」という人へ

分かります。私もそうでした。

「自分は宗教を信じていない」
「自分の周りにも、宗教を信じている人はあまり、あるいは全くいない」
「信教の自由を尊重すべき。人はみな好きなことを自由に信じればいいし、何も信じない人は信じない。人それぞれでいいではないか」

私を含め、我々日本人の多くがこのような立場・状況にあると思います。そして、このような考え方だと、宗教というものになかなか興味を持ちにくいのは当然です。「宗教になんて興味無い」と思ったとしても、それは自然なことだと思います。

でも、私はどんな人でも宗教に興味を持ったらいいと思うし、むしろ持つ「べき」だとも思っています。だからこそ、こうしてnoteで宗教に関する記述をしていますし、読んでくださるみなさんにどんどんコメントをしてほしいと考えています。

今回の記事では、「宗教なんて興味無い」という方に向けて、なぜそれではいけない(笑)のか、なぜ興味を持つべきなのか、を書いてみようと思います。

私がそう思う理由は大きく6つあります。


この世の多くの人は、宗教を頑なに信じている

たとえあなたや私が宗教を信じていなくても、この世には宗教を信じている人は実にたくさんいます。それも頑なに。そして、宗教がその国の政治や文化に大きな影響を及ぼしている国がたくさんあります。

これは何も「中東のどこかの国」だけの話ではありません。日本と密接な関係にあり、先進国の筆頭でもあるアメリカもそうです。後ほど統計を見ていこうと思いますが、かなり多くのアメリカ人が宗教を頑なに信じ、聖書に書いてあることは全て真実だと考え、アダムとイブこそが真実、進化論はウソだと、そう思っている人が(ちょっと心配になるほど)たくさんいるのです。

宗教というのは、それを信じる人の頭の中だけで完結することではありません。宗教・信仰に基づく行動が多く行われているし、それがあなたや私に対し、間接的にはもちろん、直接的に影響する可能性も十分あります。簡単に言ってしまえば(そして残念なことですが)、誰だって宗教に基づくテロ行為の被害者・犠牲者になる可能性があるわけです。

宗教 ≒ 「国際情勢」、「地球温暖化」

我々が興味を持っていなくても、国際情勢は日々動いています。地球は温暖化しています。そして、それは我々一人一人に影響を及ぼします。

宗教は「国際情勢」や「地球温暖化」と似ています。興味があろうが無かろうがあなたに影響を及ぼす重要なことだし、「興味がありません」では済まされないテーマなのです。

宗教は、ある意味人生そのもの

noteで、今後私が取り上げていきたいテーマが多くあります。そして、それらのテーマは、我々の人生における重要テーマと密接に関係しています:

神はいるのか、いないのか。神の存否を巡る議論 → ロジック/ロジカル・シンキング
「神は私の心の中に存在する」と言う人がいるが、はたして「存在する」とは → 存在論
神は自然の一部なのか、超自然なのか → 自然とは何か
人が善良であるために宗教は必要/有用なのか → 倫理学
人はなぜ宗教を信じるのか → 哲学・心理学
宗教に基づくテロや暴力 → 社会学
宗教はどのように始まり、広まってきたのか → 歴史、人類学
宗教と科学はどういう関係にあるのか → 科学
信じること VS 疑うこと → クリティカル・シンキング
子供たちに宗教をどう教えるか → 教育

だから、我々の人生が重要なのであれば(もちろん重要ですよね)、それと密接に関係している宗教もまた重要だと言えるのではないでしょうか。

正確に言うと、重要なのは「宗教」ではなく「宗教について一度ちゃんと考えてみることで、宗教から派生する人生の重要なことがらについて考えること」だと思います。そして、このnoteでの連載を通して考えていきたいメインテーマも、実は「宗教」ではなく、宗教について考えることで得られるさまざまな示唆、それこそがメインテーマです。

宗教について考え、話すことは楽しい

私は宗教を信じていません。宗教に対しては、どちらかと言うと批判的な立場を取っています。でも、、、いや、「だからこそ」と言うべきかもしれませんが、宗教というものにとても興味を持っています。宗教を信じる人にとってはもちろん、宗教を信じない人にとっても、そして私のように信じないどころか「宗教は良くないことだ」と批判的な立場を取る人であっても、宗教についてあれこれ考えることはとても楽しいんです。

また、宗教について「話す」ことも楽しい。この点については後ほど詳しく触れようと思いますが、宗教を話題にすることをタブー視するなんてもったいない。こんなに深くておもしろいテーマなんですから、飲み会で、家族の団らんで、友達とお茶しながら、どんどん宗教やそれに関連するさまざまなテーマについて話すといいと思います。ただの世間話や馬鹿話もいいですが、ときにはその人の人生観に関わる深いテーマについて真剣に、かつ建設的に話し合うことは実にすがすがしくいいものです。

我々日本人も、宗教的なモノの考え方をしている

宗教にはいろいろな種類があります。一神教もあるし、多神教もあるし、はたまた仏教のように必ずしも「神」のようなものを崇めるわけではない、という宗教もあります。

しかし、それら多くの宗教に共通する特徴が「信仰」ではないでしょうか。では「信仰」とは何か。ここでは、信仰を
「根拠無く何かを信じること」
と定義します。
ちゃんとした根拠があって、それに基づいて信じるのであれば、それはもはや信仰ではなく、ただの「科学」であり「ロジック」なので。根拠が無い、という点が重要です。

根拠無く何かを信じ、行動することは、我々日本人も普段、日常的にやっています。

初もうでで、家族の健康を祈願する。
おみくじやお守りを買う。
「この人は運命の人に違いない」
大安・仏滅を気にする。
字画を気にする。
厄除け・厄払いをする。
てるてる坊主(笑)。
「あの人は霊感が強いらしい」
などなど。

たとえば初もうでなどは「習慣として」行っている、という面が強いでしょう。でもその一方で、そこに宗教/信仰的な要素がまったく無いか、つまり初もうでをし、家族の健康を祈願する前と後で不安が安心に変わっていないか、といえば、多少は変わっているでしょう。初もうでの科学的根拠は何か、本当に初もうでを「信じ」ているのか、と言えば答えはノーかもしれませんが、でもそこに多少なりとも心理的な効果を感じること(別に悪いことではなくむしろステキなことだと思いますが)、これは「我々日本人も宗教的なモノの考え方をしている」と言えると思います。そして、だからこそ「宗教」というものについて、我々日本人も、自分とは完全に無縁のものとしてしまうのではなく、むしろ自分にも結構関係のあるもの、自分もその影響を(知らず知らずの内に)受けているもの、と思っていただきたいんです。実際そうなんですから。

子供たち

今、この瞬間にも、世界中の宗教学校で、そして信者の家庭で、子供たちが神を信じるよう育てられています。聖典を丸暗記させられたり、毎日何度も学業を中断して礼拝をさせられたり、宗教上の理由でワクチンを受けられず病気になったりしています。宗教を信じない、という選択肢があることすら知らずに大人になっていく子供たち。こうした教育方法・育て方は、見方によっては虐待(child abuse)です。

一方、その対極で、我々日本人の多くがそうであるように、宗教的な教育をほとんど受けずに育ってしまっている子供たちもいます。
世の中にはどのような宗教があるのか。各宗教の主張の違いは何か。
なぜ人は宗教を信じるのか。
宗教の言っていることや、その考え方は正しいのか、あるいは間違っているのか。宗教は本当にいいことなのか。悪い面は無いのか。宗教のいいところを取り入れ、悪いところは取り入れない、という「いいとこ取り」は出来ないものか。自分は宗教を信じるのか、信じないのか、そしてそれはなぜか。

こうした重要な問題について、一度もちゃんと考えずに大人になっていく子供たちがたくさんいます。

幼い子供を特定の宗教で染めてしまうことも、そして子供に宗教をまったく教えないことも、どちらも問題です。だから、まずは我々大人たちが宗教というものについて一度ちゃんと考えてみて、その上で「子供たちに宗教をどう教えるか」という重要な問題について考えていく必要があるのです。

まとめ

以上、ちょっとネガティブな論点もありましたが、結論としては、宗教について一度ちゃんと考えることは本当に楽しくて有意義なので、このnote連載を通し、ぜひみなさんとそれを一緒にやって行きたいです。読んでいただくだけでもありがたいですが、思うところがあればぜひコメントをいただければ幸いです。どうぞ末永くよろしくお願いします。

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