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美大卒が観光業で働く理由

「旅行」と「アート」が
とても似ていると感じるようになったのは
美大を卒業した後、

再び観光業に関わるように
なってからだった。

ここで
「再び」とした理由を
自己紹介がてら
つらつらと書いてみるので
お付き合い頂きたい。

_生い立ち

もともと僕は
九州の田舎にある宿屋の
息子として生まれ

毎日毎日、お客さんを迎え入れては
送り出すという環境で育った。

僕を抱く祖父

小さい頃はいつも
お客さんに遊んでもらい、
仲良くなったと思ったら翌日の朝には
もうお別れ(チェックアウト)で
しょっちゅう泣いていた記憶がある

毎日、客室清掃や調理場の物音が鳴り響く
騒がしくも、楽しい家だった。

_苦しかった美大時代

絵を描くことが好きだった僕は
高校・大学と美術科に進み

高校では毎日デッサンに明け暮れて

高校2~3年時の木炭デッサン・油絵


美大では様々な表現法に触れた。

絵を描いたり、立体を作ったり、写真を撮ったり
映像を作ったり、音を作ったり

コンセプチュアルアート、
パフォーミングアート、
インスターレーション….

興味の赴くまま
ぐるぐると色んな手法に
手を出し続けた結果、

「アートって結局何なんじゃい…?? ?」

と泥沼にハマる。

これは多くの美大生が陥るやつで
もう何ならアートがうっすら嫌いになっていたのがこの頃である。

_アートの定義は?

社会人になり、
カフェギャラリーの
雇われ店長として働いていた頃
僕なりのアートの定義を考え直してみた。

cafe&gallery etw(エトワ)_京都

自分が「優れたアートだ」と感じるものと
そうでないものの違いは

”新しい視点をもたらしてくれるか?”

という部分にあった。

これまで使っていなかった自分のアンテナが
『パカっと開くような感覚』というか.....
とにかくそんなアートが好きだったのだ。

例え作品がどんなに上手に
美しくつくられていたとしても、
この要素がなければそれは
アートではないのではないか。

逆を言えば
丁寧に作られた料理や、お酒
石や木などの自然物
人との何気ない会話に至るまで
新しい視点をもたらしてくれるものには
僕はアート的価値を感じる。


スロベニアの滞在制作にて


ドイツの芸術家 ヨーゼフ・ボイスは

すべての人は芸術家である

Joseph Beuys(1921-1986)

という言葉を残したが

(※しばしば誤読される名言だが、これは
【人間一人ひとりの創造性に訴えかけるものがアートだとしたら、
その意味において絵画や彫刻を作らなくても社会を構成する人々の生活行為そのものがアートになる】という意味だと理解している)

僕は
作品という形態にこだわらず
"新しい視点をもたらしてくれる体験"を
人に提供したいと考えるようになっていった。

そんなとき、ふと
気がついた。

「旅にでること」は

新しい視点との出会いに満ちた行為なのでは・・


偶然に出会う風景、人、食べ物、文化….

それらは確実に
自分に新しい視点と
新しい価値観をもたらしてくれている。

これまでの旅を振り返りつつ、
そう思った。

そして、そして.
カフェや美術館より
もっと滞在時間の長い
宿という空間は

土地の文化、季節の室礼、
人の所作(パフォーマンス)などの
あらゆる「表現」が詰まった

総合芸術なのではないか、、、




ガチガチに絡まっていた頭の糸が
するするとほどけていったような気がした。


アートと観光業は
そう遠くない存在、

むしろ極めて性質の近い
価値をつくっているのかもしれない

宿屋をルーツに持つ自分は
とても自然にそう思えた。


そして
実家の宿は、すでに閉業してしまったが

全国に拠点を持つ星野リゾートと出会い
「あっ、旅ができそう」と
2016年に入社、北海道白老町の
界 ポロトに所属し、現在に至る

長くなったが、これが僕の経歴である。



_最後に

このnoteは
僕が宿という仕事を
表現方法のひとつとして
どのように発展させられるかを
考え、書き留める場にしたいと思う。

ちなみに、移り住んだ北海道の自室はアトリエになり
今もひっそりと作品が生まれている。

[光の標本]シリーズ

こちらは追々、紹介してみようと思う。


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