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才能のなさに気づき、描くことへの決心がついた


今日は作品のはなしを。



この作品は
【光の標本】
というシリーズで

ガラスやアクリルの表面に
透明なメディウムで筆跡を施す
方法で作られている。

透明なこの作品たちは
置かれる場所によって表情を変える。

天候や、

時間帯によって


その場その場に存在している「光」を
観賞するために、生まれた表現だ。


今のかたちに至ったのには
僕なりのまわり道があった。


_”上手い”だけではいけないと言われ


個性が欲しい。

美大に入った頃の僕は
毎日そう思っていた。

絵が得意で、
描くことがすきだという理由で
美大に入ったものの

そこでは”絵が上手い”なんてものは
個性でもなんでもなく
「自分にしかできない表現」こそが
求められる場所だった。

これまでがむしゃらに描いていた自分は
その当たり前すぎる事実に
気が付かなかったのだ。


「あなたにしかできないことは何なの?」


そう聞かれた時に
僕はあまりに平凡で、

周りを見れば個性的な作り手ばかり。

考えれば考えるほど
逆立ちしても彼らのような輝くものは
自分からは出てこないのがわかり
みじめで恥ずかしく、情けない気持ちだった。


そうして在学時にすっかり打ちのめされてしまった僕は
大学を卒業してからは自分で描くことはやめた。


それでも、アートから離れることができず
カフェギャラリーで働くことになるのだけれど…


_転機となった作品との出会い


僕が再び
ものを作りたいと思えたきっかけは
ジェームズ・タレルの作品だった。



巨大な構造物で空を切り取ったこの作品は
ただただ大きな、色が浮かんでいるように見える

初めてこの作品を見た時、
一体どれくらい長い時間
この大きな四角を見上げていただろうか。


しばらくぼぅっと空を眺めていて、

ふと視線をずらすと

四角い青の中に
なにやら小さな点が動いている。


鳥だ。

ハッとして
自分が空を見ていたんだ、
ということを思い出す。

…そして静かに驚く。

こんなふうに
思考を手放し、
ぼーっとすることに
身体をゆだねることができたのは

こんなふうに
空を見上げたのは

いつぶりだろうか…としんみり感じる。


また、
壁面に目をやると
細かな傷やよごれが見えたりして

空を眺めているときには
気づかなかったものが
順にどんどん見えてくる。


全体をぼんやり見渡すことでわかるもの
細部を細かく見すぎてしまうと見逃してしまうもの

とても示唆的だ。



______


その時の自分に足りなかったものを
感覚的に知ることができた。

僕は、気づかないうちに
ぼーーっとする時間を
なくしていたのだ。


色んな壁にぶちあたり
自分の力でどうにもできず
頭で考えるあまり心身がパンクしてしまった
そんな時期に、タレルの作品に出会った。


美大時代の自分は
ただの空を見上げて
感動するなんてことはなかったと思う。


優れたアートには
見る者が勝手に自分の人生に重ねて
作品の向こうに何かを見つけてしまう

力があるのかもしれない。




その経験のあと、僕は
こう考えるようになった

内側から湧き出るものはなくても
” 自分の外側にあるものなら表現できる "。


個展《ひとひらの天体》@北海道白老町


"そこにもともと存在しているけれど
多くの人が見過ごしているもの"

そうしたものに目を向ける
きっかけになるようなアート

それこそが僕のやりたい
表現だったのだと気がついた

そしてそれは
観光業の仕事にもつながっていく。

今の時代、周りを見渡すと
多くのひとが

明らかに疲れすぎている。

向き合わないといけない
問題が、痛みが

多すぎることが原因だと思う。


僕自身も同じ状況だからこそ

ぼーっとする時間を取り戻す必要があるし

痛みから遠ざかることを目的にしたアートを

求めるひともどうやら多いようだ。


美大時代、「人と違う部分」を探してもがいていた僕が
今は「人とおなじ部分」を探して作っている


アートが自分にもたらすものは
とても奇妙で、はかり知れない。




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【僕の作家活動はこちら..】


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