shinji yamashina
妖怪百科として楽しんでいただけるのではないでしょうか。 YouTubeと一味違い、より様々な視点で妖怪に対する思いを書き綴っています。
詩をまとめたもの
自らの音楽のミュージックビデオをクレイアニメで制作する企画。果たして完成するのだろうか。
自身が偏愛する音楽家、小説家、詩人などの紹介エッセイのまとめ。
はじめまして、shinji yamashinaです。簡単なプロフィールを含めnoteでやろうとしていることのイントロダクションです。 ■ミュージシャン 2021年5月現在6枚出版。各種ストリーミングサイトでサブスク視聴可能。 ■クレーアート/アニメーション 自身の曲のプロモーションMVのために制作を開始。YouTubeにまとめています。クレイアニメによるビデオを制作。制作の様子はマガジンで公開しています。 ■現代詩 最近また描き始めたのでマガジンにまとめていきま
あか舐めとは風呂場に溜まった垢を舐める妖怪である。あかねぶりとも言う。個人的にはねぶりの方が好きだが、舐めの方が人気を博しているのもわからないでもない。女性の姿をしたあか舐めも存在し、風呂に入っている者の血肉も舐り尽くすと言うから穏やかではない。 さて垢に含まれる成分を見てみよう。垢を剥がれた角質であるとした場合、主に水分、タンパク質、脂質、少量のカルシウムといったところか。炭水化物、糖質が含まれないことから痩せ型で筋肉質、ビタミンがないことからかなり顔色は悪そうだ。脚
手の目は一言でいうと盗賊に殺された盲人の幽霊である。江戸時代を現代と比較すると、痘瘡や麻疹などの熱病、ビタミンAの不足、医療の問題があり目にまつわる病は圧倒的に多かったと予測される。その中で視力を失うものも現代より多かったと考えられる。江戸時代の盲人の仕事として、針やあん摩、琴や琵琶の演奏が主だったものだと考えられる。政府公認で金貸し業を営んでもいたようだ。 こういった時代背景の中で、手の目なる妖怪は現代とは違うリアリティーを持っていたのだろう。 特に手の目と関連があ
水木しげる著の『決定版 日本妖怪大全』によると、どうも豆腐小僧と大頭小僧は明確に別の妖怪として紹介されている。豆腐小僧より大頭小僧の方が頭が大きく、裸足である。豆腐小僧は動物が化けたものであるが大頭小僧は見越し入道の息子であり、何かが化けたものではない(見越し入道は狸が化けたもの説があり矛盾する)。ただ、どちらも豆腐を持っている。豆腐小僧は一つ目で描かれることもあり大頭小僧より自由度は高そうだ。 その流れを汲むと、どうやら私が描いたのは豆腐小僧ではなく大頭小僧なのかもしれ
ヘビ女系の妖怪の中で、沼御前が好きだ。なんとなく好きだ。そのなんとなくを解き明かすべく今日も駄文を書き連ねていこう。 お偉いさんの奥様を古語では「御前」ということがある。沼から出てくる御前様なので沼御前。湖でもなく、池でもなく、なとなく汚くて嫌な雰囲気のする沼と、御前様という高貴な呼び名が合体して、言いようもない不思議な妖怪となる。御前なので妻という属性を持つ言葉で、ある程度の年齢の女性で気品漂うたたずまいがイメージされる。だが、出てくるのは沼。実に奇妙で甘美なシチュエ
右であれば左といい、黒であれば白と言う。腹が減っては満腹といい、楽しければつまらんと言う。こちらが腹を立てれば立てるほど、天邪鬼の世界に引き込まれていく。 客観的にみれば、滑稽にも思えるし、目線を変えれば禅問答に見えなくもない。天邪鬼とのやりとりを楽しむ心の余裕があればいいのだが、多くの人は腹を立てる。なぜ、腹を立てるのだろうか?また、なぜ天邪鬼はあべこべのことを口にするのだろうか。その辺りを考察したい。 まず、腹を立てる人について。近頃「論破」などと言う言葉を耳にす
入道系の妖怪は多い。見上げ入道、大入道、加牟波理入道(かんばりにゅうどう)などが挙げられる。輪入道は入道系を代表する妖怪の一人だといえよう。 そもそも入道とはなにか? 辞書的な意味としては、仏門に入ったもの。あるいは坊主頭の化け物とある。普段我々が眼にする入道は、主に化け物の名称が多い。つまり入道とは坊主頭の化け物という意味が一般的だろう。 私は輪入道という名前が非常に気に入っている。入道を母音のみで発音すると、うーおーとなる。輪入道の輪を足すとあうーおーとなり、「い
二口女なんかを見ていると、江戸の絵師が妖怪を作り上げていく欲望がなんとなくわかる。後付けっぽい、さもありなんといった逸話はあるが、どうも一部の妖怪は絵師たちの化け物を描きたいという欲望が先行しているように思う。手の目や豆腐小僧も同様の妖怪だろう。 妖怪というものは、縁や因果を結ばずとも、なんとなく存在してしまうものだが、なぜなんとなくの存在が許されたのかという原因に絵が先行して存在したからと言えなくもない。姿は誰も見たことがないという逸話から妖怪が生まれるんだもの、逸話は
水木しげるの妖怪大百科世界編によると、 ベルギーに歯痛殿下という妖怪がいるらしい。 歯痛殿下が電気の走る細い指で歯に触れると、 痺れるような痛みが全身を貫くと言う。 私は翻訳などの仕事に携わっているのだが、どうもこの歯痛殿下は誤訳のもとにうまれたようだ。仕事では絶対やってはいけないことではあるものの、こういった誤訳が転じて真となるようなことはよくある話で、なんとも魅力的な妖怪が生まれたものだ。ベルギー発祥とされているが、歯痛殿下は誤訳が発生した日本にしか存在せず、日本の妖
完全な思いつきだが、なんとなくぬらりひょんという妖怪は洒脱に尺八で鈴慕でも吹きそうな気がする。そんな思いつきから、描いた。尺八というと、武満徹が好きな私としては琵琶を登場させないわけにはいかない。琵琶といえばもちろん琵琶牧々だ。尺八を吹くぬらりひょんと、琵琶牧々を合わせることでノベンバー・ステップスが完成するというわけだ。 妖怪にも現代音楽にも精通していない方にとっては、どうでもいい話であろうが、我ながらまさに「解剖台の上でのコウモリ傘とミシンの邂逅」であり、ロートレアモ
朝起きると頭と足が逆さになっており、枕もあらぬところに転がっていることがある。これは枕返しの仕業に違いない。あなたが寝ている間に、上下逆さまに動かされたのだ。 ここまでであると、単なるいたずら妖怪である。しかし枕返しについては諸説ある。夢の世界に魂を引き摺り込み、現世に帰れないようにする。魂を引きずられた者は生きてはいるものの二度と目を覚まさないだろう。これは、夢を見るという事は魂が体から抜け出して、異界に行っていると解釈していた古き日本の考え方から導き出されたのだろう。
ゲゲゲの鬼太郎のイメージが強い妖怪。というか、ゲゲゲの鬼太郎が無ければ有名妖怪ではなかっただろうし、水木しげるがいなければ明確な像が結ばれることもなかったであろう妖怪。 竹藪を歩いていると砂をかけてくる妖怪で、誰も姿を見たことがない系の妖怪である。たぬきの仕業説や、天狗の仕業説もあるが、特定の地域においては老婆が犯人とされた。この婆(ばば)だが、関西弁のばばっちい(汚い)に由来していると言う説もあり、竹藪から砂をかけてくる老婆と言うのが果たして起源として正確なものなのかは
夜行さんという妖怪がいる。忌み日ー冬至、夏至、彼岸、節分、朔日(月の初め)、望(満月)、晦日(みそか)ーの夜、首の切れた馬に乗り徘徊する髭面の鬼で、遭遇すると馬に蹴られ命を落とす。草履を頭に乗せ地面に平伏すれば、夜行さんはやがて過ぎ去るらしい。 首無しの馬単体で夜行さんという地域もあるが、共通点は忌み日の夜に現れるという点だろう。夜行さん系の伝承は多くあるようだが源流は不明となっている。 私が注目したい点としては、この「さん」で終わる妖怪の名称についてである。やぎょうさ
なんとなく古い家屋には何かがいるような雰囲気がある。倉ぼっこ、納戸婆婆、加牟波理入道(かんばりにゅうどう)など家に住む妖怪は多い。その代表格が座敷童子だろう。 座敷童子の特徴は家の特定の場所ではないところにある。言うなれば同じ家屋に居る妖怪の中でも最も自由な存在だ。座敷童子は住む家に幸福をもたらすが、「座敷童子が去ると、幸福ではなくなる」と言った伝承もあり、移動することが可能な妖怪と考えられる。家や店を住処とし、山中や川などには住まず、人が作った建物に住むということだろう
幼少の頃読んだ水木しげるの妖怪なんでも入門で、最も好きな妖怪といえば小豆洗いとべとべとさんであった。現在有名な像ではなく、唇のような赤く小さい像が描かれていた。まだ小学生にも満たない年齢の自分にとって、「べとべとさん」という名前がなんとも気に入ったように記憶している。 砂かけ婆やあずき洗いなど、妖怪にはよくある話だが、誰も見たことがない系の妖怪べとべとさん。その像を水木しげるが結び、我々の共通のイメージになる。すねこすりにおいては、「犬のような」といった記述もあり、既存
天狗の魅力の根源であるとともに、わかりづらさ、イメージの揺らぎの原因は、由来、つまり背景の複雑さにあるといえよう。山岳信仰における山神の影響を受けた部分としての自然を操る超能力。迦楼羅の影響を受けた部分としての神通力や武芸、およびくちばしのある像。猿田彦の影響と思われる鼻の長い像。大天狗、烏天狗、コッパ天狗など細かく分類する方法もあるが、互いの関連性を見出すには無理がある。共通の祖先や、分岐するポイントがはっきりしない。結果として、それら多くの要素を含みつつ、情報の種類によ