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【妖怪百科】座敷童子

 なんとなく古い家屋には何かがいるような雰囲気がある。倉ぼっこ、納戸婆婆、加牟波理入道(かんばりにゅうどう)など家に住む妖怪は多い。その代表格が座敷童子だろう。
 座敷童子の特徴は家の特定の場所ではないところにある。言うなれば同じ家屋に居る妖怪の中でも最も自由な存在だ。座敷童子は住む家に幸福をもたらすが、「座敷童子が去ると、幸福ではなくなる」と言った伝承もあり、移動することが可能な妖怪と考えられる。家や店を住処とし、山中や川などには住まず、人が作った建物に住むということだろう。
 座敷童子がもたらす幸福あるいは好運とはなんだろうか?それはそもそもの幸福、好運の価値に関わる問題だ。「お金がたくさんあること」が幸福であればわかりやすい。座敷童子も宝くじであれ、庭から小判が出たであれ、大量のお金を、もたらせばミッションクリアである。しかしながら、現代社会において、必要以上のお金に執着しない価値観が生まれており、彼らに座敷童子は何をもたらすのだろう。
 福の神信仰は、身分制度があり、何をどうしてもよほどの好運がなければ多くの財を手にすることなど不可能に思われた封建社会において、信じたくなるものなのだろう。

 もはや幸福の絶対価値が揺らぎ、福の神信仰において何を幸福とするのか曖昧な時代ではあるが、座敷童子のいると言われる旅館への宿泊などの企画は絶えずメディアで繰り返され、超越的第三者の介入による幸福や好運は依然求められている。これは日本だけの文化かというと、そうでもない。キリスト教文化においても似たような信仰はある。ただ信仰の対象は聖人で、その像などに花を捧げ願いごとをすると言ったものが一般的で、幸福を叶えてくれる第三者が妖怪で、さらにはたまたま家にいるかいないかで決まるという部分はなかなか独特の感じがして面白い。

 現代のような核家族化、都市化が進んでいない村社会においては、両親ともに農業に勤しむ間、各家庭の子供たちはごちゃまぜで管理され、いったい誰がどの家族の子供かなど、かなり境界線が曖昧な瞬間が多かったのではないだろうか?そういった中で、いるかいないか、いたような気がする、と言った存在そのものが曖昧な子供は存在しうる。思い出せない、そのもう一人の子供というのが、座敷童子を身近に感じさせる背景となっているように思う。

 私は個人的に座敷童子のイメージは、前髪パッツンのおかっぱの女の子となるが、水木しげる氏などは違った像を描いている。

 今回のムービーは稚拙ながらアニメーションも取り入れており、普段と一味しがったものになっているのではないだろうか。

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