心気を病みがちなゲーマーに向ける『Hellblade: Senua's Sacrifice』は内心の戦いの果てに第3の目を得る傑作スラッシュアクション #ゲームとことば
内心の戦いは、人の目には映らない。
大声でわんわん泣き叫べたらいいのに。もしくは眼球が取れたり、皮膚が剥がれ落ちたり、鼻血が止まらなくなったり、血を吐いたり、腕や足が反対の方向へ曲がったりすればいいのに。そうすれば、一目見て大変なことになっているって伝わるのに――。
『Hellblade: Senua's Sacrifice』は2017年8月8日にイギリスのデベロッパー/パブリッシャーである「Ninja Theory」よりリリースされたスラッシュアクションゲーム。同社は『DmC: Devil May Cry』などを手がけた実績もあることで知られる。
こと奇異に感じられる本作の特色といえば、現実の精神疾患をモチーフにして、主人公である女性戦士「セヌア」に付与したことにある。
とはいえ、特定のメンタルヘルス失調に当てはまらず多様な症例に当てはまるようであろう、セヌアの症例は多岐にわたる。双極性障害の躁状態と鬱状態を分刻みで行き来したり、かん黙症になってみたりとさまざまだ。
本作はかつての恋人の骸を弔い、救うため異界に旅立つセヌアの戦いが描かれている。巧妙なのはサウンドにあり、幻聴として四方八方からセヌアの内心の声が聞こえる点にある。これはコンバットデザインとも結びついており、後ろから攻撃が来る場合は「Behind You!」などと聞こえるため円滑に戦闘が運ぶようになっている。
精神疾患を扱った作品は少なくない。しかしながら圧倒的ディテールのグラフィクスとサウンドで迫る、本作ほどのスケールを持つ作品は希有だ。個人制作であればまだまだ精神疾患はメジャーな題材だといえよう。しかしだ、営利会社による作品で世に出たことが今でも驚きであるし、次回作の発売日は2024年と延期されてしまったが、登場を待っている状況も同時に驚きなのである。
なぜならば、メンタルヘルスの問題は2023年のイマイマでも、相変わらずデリケートな個人の問題だからだ。本作では一定数ゲームオーバーになるとパーマネントゲームオーバーとなって、ゲームの進捗が初期化される仕様がある。内心の戦いは時に命懸けの戦いだということの表明でもあろう。
筆者は心気を病んで長い。本作をプレイした人からは本作のプレイフィールをもってしてホラーゲームと呼ぶ者も少なくない。メンタルヘルスの失調者であるセヌアの戦いをホラーと呼ばれたのは、正直なところ「意外だな」といった風だった。なぜならば自分の日常をホラーとしてとらえたことがなかったからだ。
本作の美点にケンブリッジ大学の精神疾患の専門家「ポール・フレッチャー」教授による監修があることと、その制作ドキュメンタリーがついていることが挙げられる。
教授に言わせると「”精神病”とは客観的な現実とのコンタクトを失った状態の専門用語であり、2つの主要な症状を特徴とするもの」という。その1つは幻覚であり、実際に存在しないものを知覚してしまう対象なき知覚であり、もう1つを妄想とし、根拠が薄弱にもかかわらず確信を持っている症状で、多くの場合奇妙で不穏な確信となるそうだ。
また、メンタルヘルスはメディアにおいて常に有意義な形で表現されておらず、この件に人々を注目させるのは簡単なことではなく、加えてメンタルヘルスには多くの先入観が抱かれている、特に統合失調症と精神病については多くの偏見がある、ともいう。
制作チームは教授と精神病の経験者と協力することで連携を取り、この症状に対してほかのメディアにはできない新鮮で的確な視点を提供し、プレイヤーの理解を促せるゲームを作成することをサポートできていれば嬉しいと話す。とはいえ精神病の理解は始まったばかり、対処や治療法も肉体的な病気ほど進んでいない、ともいう。
パリィなどを多用しなければ戦い抜くのは無理筋な戦いをくぐり抜けるセヌアは血のにおいと泥の感触に満ち満ちている。
肉体的な病気や傷から苦痛を見ることは難しくないが、深刻な精神疾患からの苦しみやトラウマを見ることは、簡単なことではないからと教授は結ぶ。
本作からの引用を交えるならば――自分の闇を恐れるばかりに、自分だけが見られる世界を失ってもよいのだろうか。波や葉、雲が見えなくとも悲しまないで、たとえ闇の中にあっても世界の美しさは私たちを離れはしない、常にそこにあり、再び見られる日を待っている――と、そういった言葉に。
本作の作られ方、そういった、たたずまいは”客観的な現実とのコンタクト”にプレイヤーを気付かせ第3の目をもたらす。強く胸を打つ。心気を病みがちなゲーマーこそ本作を手に取ってほしい。持って帰られるものはきっとあるからと。
もう少しこの傷に触れていたいと思うのならそのままでいて、空には縫い目がないように編まれた心にも縫い目が見えずに綺麗に映るときが来るからと、心気を病んで長い筆者はホラーゲームの世界からこざかしくも思うのだった。明るい景色も見慣れた虹のように思えてくる。よいもののはずだが、その価値が減じている状態に陥る可能性と等しく、カムバックする可能性も大いにあるのだと。
SHINJI-coo-K(池田伸次)はヒップホップビートメイカー業兼務フリーランスゲームライター。音楽業のかたわら文字を編み、文章を作るそばでヒップホップインストゥルメンタルを作る兼業家。
@SHINJI_FREEDOM