見出し画像

【自己紹介】「自分らしく生きる」をモットーに。

皆さまはじめまして。シャイニングフリーターと申します。

会社を退職し、現在フリーターとしての生活を行う傍ら、ブログの更新を行っております。

この度noteも開始いたしましたので、こちらで自己紹介をさせていただきます。

 

振り返れば、選択肢はいくらでもあった

画像1

学生の頃を一言で表すと、「真面目」でした。よく言えば「純粋」、悪く言えば「選択肢の幅が狭い」というのでしょうか。

「出された宿題は必ずするもの」であり、「勉強は頑張るべき」であり、「そもそも学校には行くもの」でした。宿題をしてこない人、何らかの理由で学校に来ない人を馬鹿にすることは決してありませんでしたが、自分の行動パターンとして、上記の選択肢以外はあり得ませんでしたし、理由も考えず、一日10時間以上を勉学に費やしました。

 

少し立ち止まって周りを見渡せば、中学卒業後に働き始める人、商業高校へ行く人、専門学校から料理人になる人、フリーランスでやっている人、個人店を開く人など、進路・職業だけでもたくさんの選択肢があるにも関わらず、「勉強して、偏差値の高い高校に入り、偏差値の高い大学に入り、高度な学びを享受して、一人前の教師になりたい」という夢を抱いた中学の頃から、他の選択肢を見ようとして来なかったように思います。

結論としては、京都大学に入学し、高度な学びを精一杯吸収することができましたので、決して後悔はしていませんが、「世の中にはあらゆる選択肢がある」のだともう少し早く気づいていれば、ものの見方・考え方の拡がりが違っていたのではないかと考えています。


教師を志すも、新卒で入社したのは、不動産業界だった。

画像4

教師を目指し、大学では国語科(中学・高校)と英語科(中学・高校)の免許を4種類取得しました(卒業に必要な単位数に加えて、教職課程で必要な単位数を揃えるのは、かなり大変でしたが、何とかやり通せましたね)。

そして新卒で入社したのが、不動産業界でした。

10年以上志していた「教師」という職業を選択しなかった理由について述べる必要があるでしょう。

きっかけは、大学のイベントでした。上場企業の社長による特別講義があり、ご自身の経歴や会社を運営するにあたってのノウハウなどをお話いただける場に申し込みました。数回の授業でしたが、単位が出ない&開催時間がバラバラ&告知が構内掲示板のみ(京都大学はこんなもんです笑)であったからか、100人ぐらいいた講義が最終的に6人ほどになり、唯一の学部生であった私に社長からお声がかかったのです。

「君やる気あるね。わが社のインターンシップに来てみないか」と。

そこから大阪の支店で1年間インターンシップという名のアルバイトをさせていただき、「新卒で教師になれば、知識はあっても社会経験がない。一度会社員になって、社会経験を積んでから、30歳ぐらいで教師になるのもいいのではないか」と考えた私は、教員採用試験を途中で蹴って、そのまま内定をいただいたというのが、不動産業界に入った経緯です。


会社員となり、激務に耐え続けるも、結局心身を壊して退職。

画像3

こうして不動産業界に入った私。アルバイト時にある程度の知識を身に付け、「宅建」という、不動産業界では必須の資格を取りましたので、バリバリ働いて、貢献するぞという気持ちであふれていました。

 

私を待っていたのは、劣悪な労働環境でした。

 

「うちはホワイトだよ」という社長のお言葉を信じて入社しましたが(やっぱり純粋でしたね…。)、ふたを開けてみると「月100時間以上の残業、残業、残業の日々」でした。

少し不運も重なっての超長時間労働になりましたが(バックオフィスは、ただでさえ少人数で回らなかったのに、精度の低い派遣さんがクビになり、先輩方が営業部に異動するなどして、私だけが仕事をすることになり…)、心身の疲れは常にピーク、深夜気が付けば勝手に涙が出ている…なんて日も多くありました。

「たくさんお金がもらえたんじゃないか」そんなお声をいただくことがあります。30時間のみなし残業代は支給されますが、それ以上は暗黙の了解で無かったことになります(申告すると「仕事が遅い」という理由を付けられて、人事評価が下がり、ボーナスが減ります)。おまけに休日出勤もなかったことになります。その部署のみなさんの人柄がよかったことだけは幸いでした。

退職したのは、もう少し後のことになります。成果が問われる営業部も経験し、目標値(実質的な「ノルマ」ですが、会社は「目標」という言葉を使っていました)の2.4倍の成果を出すことができたからか、不動産投資物件の仲介部門に異動になりました。

簡単に言うと、超お金持ちの人たちに対して、収益不動産を販売(仲介)するお仕事です。お金持ちたちのご機嫌を損なわないようにしながら、もっともらしい理由を付けて物件の評価をあげ、買ってもらうという商売ですが、巷の不動産投資(ワンルームマンション投資)のような、ほぼ詐欺レベルの商品ではなかったため、勉強になると意気込んで異動しました。


ひとつだけ問題がありました。その部署の部長です。


前々から噂は聞いていました。社員の胸倉をつかんで退職に追いやったり(しょうもない理由でした)、「有休取るなんて聞いてないぞ!!」と社員に怒鳴り散らかして異動させたり(その社員は、1か月前から有休申請し、1週間ごとに定期的にリマインドしていたそうですが…)、そもそも馬鹿にした言い方をするので、社員たちの士気が下がり、結果的に人が辞めていくという悪循環の中で、私一人が異動してきたようでした。

数か月前から4人も少なくなった少人数の部署に私1人が異動した…ということは、つまり…「激務」です。またですか。また激務ですかと。

「京都大学に入ったらさー、自分のこと優秀だと思ってるんでしょ。関係ないからね。」、「(夜21時)これも、これも、あとこの仕事とこの仕事も今日中にやっといて。え?やり方?知らないよそんなこと。異動した○○さんがやってたんだから。君賢いんだからわからないの?最悪朝までやればできるでしょwww」、「斬新なアイデア無い?斬新な。 え?○○への営業をかけるって?斬新だねぇ。前例がないから却下。もっとマシなの言いなよ。」

慢性的な激務に加え、こんなことを常に言われ続けるものですから、当時相談した役員の言葉を借りると「浅はかで、世間知らずな」私は、気持ちが滅入り、吐き気・お腹下しがひどくなりました。

会社にカウンセラー担当の医師がいることを思い出し、人事に申し込んだところ、「シャイニングさんは少し休まれた方がいいでしょう。部長にも言っておきます」となり、2週間のお休みをいただきましたが、お休みが終わるころに社長と相談し、「戻るところはあの部署しかないよね。もう一度部長に頭下げて頑張るしかないけど、それが嫌ならもう戻るところはないよね」と退職に追い込まれました。20年以上続く会社ですが、どんどん人が辞めていく実情や、平均勤続年数が3年という理由が良く分かった気がしました。

 

退職後はフリーターとして、人生を見つめる日々を送る

画像2

意図せずフリーターになってしまい、毎日のように腹痛に悩まされる日々を送っています(おかげさまで吐き気はおさまりました)が、これまでの人生を見つめなおす良い機会にもなっています。


金銭的余裕はないものの、時間的余裕と精神的余裕ができましたので、以下のような目標を掲げて、ブログをはじめました。

社会とのつながりを持ち、情報を発信したい

同じ苦しみを持つ(持っていた)人たちがブログを読むことで、少しでも前向きになれば嬉しい

「自分らしく生きる」ことができるのか、挑戦してみたい


約3か月ブログを続けて、結果として収益は30円ほど。まだまだ生きていける水準には程遠いですが、「自分らしく生きる」という目標には、少しずつ近づいている実感があります。

人生一度きりです。過去は変えられませんが、未来は頑張り次第でより良くすることができるはずです。私の投稿を通して、1人でも多くの方が何かの気づきを得ることができれば幸いです。

貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます。

これからどうぞよろしくお願い致します。


よろしければ、ぜひブログにもお越しください!

 

関連するブログ記事&他記事紹介

プロフィールに関連した記事やブログでの掲載記事をご紹介します。


生い立ちからのプロフィールはこちら


会社員時代、残業漬けの日々を送っていた頃を振り返りました


残業が「なかったことになる」会社の暗黙のルールをお話しています


そういえば、営業で飛び込みをしていました。


100万円を元手にお金を増やす企画もやっています


これまでの人生で学んだこと、大切にしたい考え方などを投稿しています



投資が趣味の私。投資関連の投稿も行なっています


たまにこんな投稿もしてみたり…(笑)


それでは、また!ブログ、Twitter、noteの別投稿でお会いしましょう!










この記事が参加している募集

★みなさまのサポート、ありがたく頂戴します★ サポートいただいた方には、私からの「超真面目な(?)」・「ちょっとふざけた」・「ふざけすぎた」メッセージのどれかが届きます!(笑)