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【渋谷の歴史 vol.8 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの中のレコードショップ」


戦前の音楽史やレコードに関しての書籍や資料はたくさんあるが、日本のレコード屋の歴史を研究した書籍はほとんどないと思う。特にレコード誕生から戦前の中古盤屋の歴史を調査した本は見たこと無いし、調べている研究家も聞いたことがない。たぶん需要がない。

長い間「はて、日本で一番最初の中古盤屋や輸入盤屋はどこなんだろう?」とずっと思っていた。しかしネットには情報が非常に少ないし書籍も少ない。

「自分の生業の歴史」も知らないのは悔しいので、仕方なく時間のある時に少しづつ調べている。

たまたまYOUTUBEで映画「TOKYO JOE」にあるシーンで渋谷の道玄坂だと思われる場所で露天商が中古盤らしきレコードを販売していた動画を偶然発見した。(渋谷の歴史vol.3で紹介) これがもしかしたら一番古い動画だと思うが(別撮りで付け加えた感じもするが・・・)中古レコード店自体のお店の資料は本当に少ない。

現状では日本最古の中古レコード店は神保町の「富士レコード社」さんであると思うが、調べてみるともっと前から中古盤店として開業されていた方もいるようで、日本で一番最初に開業した中古レコード専門店をもしご存知の方がいらっしゃったら是非ご教示頂ければ幸いである。

渋谷は輸入盤の街だった

一方で、渋谷のレコード屋の大きな特徴である「輸入盤店」のはじまりはどこなのか、よくわからなかった。多くの諸先輩の方々は、道玄坂にあった「ヤマハ渋谷店」だと言われた。しかしヤマハが開店したのは1966年11月12日。(出処:さよなら渋谷店コンサート)LPレコードが発明されて10年以上経っているため少し違和感を覚えた。それで「もっと古い店があるはずだ」と思って調べていた。

Washington Heights (Tokyo BX), Tokyo, Japan, Oct. 1958

渋谷のレコード店のルーツを探していたら、ワシントン・ハイツのPXが渋谷の最初の輸入盤店だった。日本人は買えなかったけど


ワシントンハイツの中に前回述べた「カミサリー」と言われるスーパーマーケットがあり、少し離れたところに「PX」があった。(当時のワシントンハイツの写真でBXの看板が写ったものがあるが、地図上にはPXと表記されているのが謎である)

前回書いたようにPX/BXは総合雑貨店であり、「合理的なレクリエーションと娯楽の手段を提供する」PXではレコードも売っていたのではないか?と推測していた。それは、米軍の兵士が戦地に赴く時には「スーツケース一つで赴任し、転属する時は家財道具を全て処分していた」と聞いていたのでPXで購入したものはVOL.4で紹介した片岡義男氏のコラムに記載されていたように家財道具や本などは渋谷周辺のの古物商や古書店へ売却し、レコードに関しては「数寄屋橋のハンターに売却していた」との意見を音楽プロデューサーの牧村氏からお聞きしたことがある。当時はその兵士の売却したアメリカ盤のレコードを求めて数寄屋橋のハンターに多くのミュージシャンが集まったとのことだった。

ついにPXでレコードを買った人を発見!


そんな中、最近になってワシントン・ハイツにお住まいだった方々と交流が始まり「ワシントン・ハイツのPXではかなりのレコードが売っていた」との証言を得た。ついに実際にワシントンハイツPXでレコード店に行ったことがある人の話を聞く事ができた。数人の方からご意見を頂いた。ある方は「1961年から1963年にかけて、4歳から6歳の頃、PXで生まれて初めてのシングル盤2枚を選びました。ラベルの色に惹かれました!」「日本の子供向けのアルバムには、赤、黄色、青、黒色のレコードがあったよ!」「選んだシングルの1つはSons of The Pioneersの「Cool Water」、もう1つはワンダ ジャクソンの「Let's Have A Party」をあえて78回転で聞くのが好きでした(笑) どちらもアメリカ盤で、日本盤ではなかったです。」

その中で、日系アメリカ人のTANOUE氏から重要な情報を得ることができたのだ。TANOUE氏のご両親が熱心な音楽ファンでジャズのレコードをはじめ、ステレオまでも購入したとのことであった。

PXで購入したレコード

Here are some disks from my parents’ record collection.  I suspect they were acquired at the Washington Heights PX, with the possible exception of the Thelonious Monk record whose sales sticker says ”6/63” so it might date to when we moved to Tachikawa Air Base.  The PXs and BXs carried an amazing (if random) selection of now rare jazz sides—my dad had an original pressing of the 1965 ESP edition of Sun Ra’s Heliocentric Worlds from the Tachi BX.  Just $2.20 then!

私の両親のレコードコレクションからのいくつかのディスクです。ワシントンハイツのPXで手に入れたものと思われますが、セロニアス・モンクのレコードには「6/63」という販売ステッカーが貼ってあるので、我々が立川基地に移動した時のものかもしれません。PXやBXには、今では珍しいジャズのレコードが驚くほど(ランダムに)豊富に揃っていました。父は1965年のESP版サン・ラの「Heliocentric Worlds」のオリジナルプレスを立川のBXでたったの2.20ドルで手に入れたんです。

当時お住まいだった方々の投稿やTANOUE氏の証言にあるように、PX/BXでは様々なレコードを販売していたようだ。立川のBXでSunRaを販売していたという事は国内のPXやBXのレコードは本当に幅広い品揃えだったのであろうと想像できる。

その他にも、1949年7月号の家庭科学、 日本女子社会教育会家庭科学研究所の 「ワシントンハイツ幼稚園見学記」のワシントンハイツ内にあった米軍の家族向け幼稚園の内部を説明した文章の中に「レコードの抱負なのには感心した」とある。

この証言からも渋谷で最古の輸入レコード店はワシントンハイツ内のPXであった事は間違いない。ヤマハ渋谷店以前の「渋谷の輸入盤レコード店」の嚆矢がやっと見つかった。ただし日本人はほぼ買うことはできなかったようだ。

PXは日本のシアーズ・ローバックだった

ワシントンハイツは出入りのチェックが厳しく日本人が中で買い物をしたという話はまだ聞いた事がないが、横浜のPXは「出入りチェックが甘かった」そうで、日本人でも比較的簡単に中に入れてレコードを沢山購入したとのお話しを聞いた。横浜のPXは今はなき松屋百貨店が接収されPXになった。その後本牧PXができた。1948年時点で日本各地に合計189店舗ものPXがあったそうだ。それらの地域でもレコードの販売が行われていたことは想像できるし、それが日本各地の中古盤として流れていたかもしれない。
(リトルアメリカと「常時戦闘体制」の形成―第八軍購買部の PX サービスに注目して―阿部 純一郎 から引用)


ハーディ・バラックス(現六本木プレスセンター)にあった東京PX

現在も米軍が駐留する六本木にあるハーディー・バラックス (Hardy Barracks、現六本木プレスセンター)には1950年代中頃までTOKYO PXがあった。こちらが実際の写真である。こちらのコメントには「PXは「東京のシアーズ・ローバック」だった」とあった。この「シアーズ・ローバック」がワシントンハイツと非常に関連性が深いキーワードである。
シアーズ・ローバックとは1980年代までアメリカで小売の売り上げ高が全米一の小売業者であり、アメリカ最大の通信販売店だった。シアーズについてはワシントンハイツと関係が非常に深いので、今後投稿予定である。

PXでの買い物は米兵関係者限定だったが、PXで販売されていたアメリカの最新のレコードの貸し借りや売買は、当然あったと思うのが自然だ。
カミサリー近くに「クラブハウス」がありそこで「娯楽を提供するために」演奏していた日本人ミュージシャンが数多くいる。彼らと音楽好きの米兵との交流から新しい音楽が生まれたこともあったのではないか、と想像している。このクラブハウスとライブについても今後調査予定である。


衣食住+音楽、全てにおいてその後の渋谷の文化に影響があったと言えるワシントン・ハイツ。その後の渋谷系まで繋がる系譜が色々わかってきた。

参考サイト
Made in Occupied Japan
さよなら渋谷店コンサート

参考資料
『家庭科学 = Journal of Japan Research Institute for Families and Households』(130),日本女子社会教育会家庭科学研究所,1949-07. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2265135 (参照 2024-07-24)

リトルアメリカと「常時戦闘体制」の形成―第八軍購買部の PX サービスに注目して―阿 部 純一郎




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