渋谷のレコード屋の社長の雑記

FTF株式会社代表取締役。1994年創業。国内でFace Recordsなど6店舗、N…

渋谷のレコード屋の社長の雑記

FTF株式会社代表取締役。1994年創業。国内でFace Recordsなど6店舗、NYでFace RecordsNYCを展開中。リユース経済新聞で「古物商も知らない中古レコードの世界」連載中。レコードとCDなど高価買取中です! https://ecostorecom.jp/

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  • 渋谷の歴史 ワシントン・ハイツと音楽編

    代々木公園にかつて存在した存在したアメリカ軍の街「ワシントン・ハイツ」についての記事をまとめています。今後も追加予定です。

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【渋谷の歴史 vol.1「レコード屋の街、宇田川町の歴史:刑務所と音楽の交差する歴史」】

【渋谷の歴史 vol.1「レコード屋の街、宇田川町の歴史:刑務所と音楽の交差する歴史」】 *写真は「渋谷の記憶 写真で見る今と昔」から レコード屋を始めて約30年、渋谷に毎日来るようになっても約30年経ちました。 とは言え考えてみると渋谷の地元の繋がりも今までは非常に希薄でした。渋谷という土地に今まで助けられてきたのに何も貢献できていなかったと反省しておりました。 そして渋谷の歴史もほとんど知らなかったので良い機会だと思い色々と調べて見ました。 【宇田川町には刑務所

    • 渋谷の歴史 vol.12「代々木公園は日本初の飛行場だった」

      代々木公園は飛行場だった 旧ワシントン・ハイツ、現代々木公園の場所は元々は江戸時代は大名や旗本の下屋敷が点在していた。明治維新後は版籍奉還により大名や武士の収入が激減し、彼らが江戸に所有していた土地や屋敷を手放した。それで都内の多くの場所がそうなったように、青山から渋谷、代々木公園にかけての地域も同様に、輸出用のお茶を作る茶畑や、絹糸を取るための蚕の餌となる桑畑になった。現在では想像つかないが、青山通りも明治初期頃は渋谷から赤坂辺りまで一面に茶畑、桑畑が広がっていたそうだ。

      • 渋谷の歴史 vol.11「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツのクラブハウス跡地にある樹木」

        前回の記事はこちら 代々木公園内に257号室以外に何かワシントンハイツの痕跡はないかと探してみた。管理事務所の方にも聞いたがほぼ無いとのことだった。石垣などもあるがこれも後から作られたものだそうだ。 クラブハウス跡地を探してみた 1948年にワシントン・ハイツが完成。それからアメリカ兵とその家族の普通の生活が始まった。幼稚園、小学校が開校し、映画館では最新映画が上映され、カミサリーではアメリカから輸入された食品が大量に販売されていた。小さな街があった。そして当初テレビも

        • 渋谷の歴史 vol.10「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの地図を再現してみた」

          戦後の歴史はあまり公にされていない部分がある。現在の、のどやかな代々木公園に800世帯以上の米兵のためのアメリカ住宅と小さな街があったとは誰も想像できないのではないだろうか? 渋谷の歴史をいろいろな地図から調べている。そのきっかけとなったのが、性社会・文化史研究者・三橋順子先生のブログを見て住宅地図に興味を持ってからである。私が賃貸で借りている一室のビルが元々は「モダン・クラッシック」なホテルだった事がわかり衝撃を受けた。渋谷と千駄ヶ谷は♨旅館だらけだったそうだ。 仲の良い渋

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        【渋谷の歴史 vol.1「レコード屋の街、宇田川町の歴史:刑務所と音楽の交差する歴史」】

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        • 渋谷の歴史 ワシントン・ハイツと音楽編
          7本

        記事

          【渋谷の歴史 vol.9 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの住宅と家具~憧れの家具との再会」】

          前回記事です 昔からお気に入りだった東山の「家具屋」と宮下パーク 90年代前半、目黒の蛇崩に向かう野沢通り沿いの坂の中腹に、石積みの柱が印象的なファサードの凄くかっこいい家具店があった。当時私はまだ若く、そのお店は敷居が高くて別世界に感じていたが、勇気を出して一度店内に入って一目惚れし、「将来、必ずここの家具を買おう」と思っていた。 その家具屋さんはパシフィックファニチャーサービス(以下PFS)と言い、現在は恵比寿のアメリカ橋の手前にある。それから歳を取り多少余裕ができ

          【渋谷の歴史 vol.9 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの住宅と家具~憧れの家具との再会」】

          世界で一番レコード店の多い街は渋谷ではない件:The fact that Shibuya is not the city with the most record stores in the world

          世界で一番レコード店の多い街は渋谷ではない件 「世界で一番レコード屋の多い街は渋谷」とよく言われてきた。「ギネスブックにも載った」とも言われてきた。しかし、そのギネスブックの記事をいまだに見たことがない。私の検索方法が悪いのかもしれないが、あれば見てみたいものである。 そこで実際に1991年から2023年まで「レコード+CDマップ」で国内のレコード店密集地域の店舗数で調べてみた。(1990年、2006年無し、2014年以降隔年) すると、2000年、2001年の新宿エリア(

          世界で一番レコード店の多い街は渋谷ではない件:The fact that Shibuya is not the city with the most record stores in the world

          【渋谷の歴史 vol.8 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの中のレコードショップ」

          戦前の音楽史やレコードに関しての書籍や資料はたくさんあるが、日本のレコード屋の歴史を研究した書籍はほとんどないと思う。特にレコード誕生から戦前の中古盤屋の歴史を調査した本は見たこと無いし、調べている研究家も聞いたことがない。たぶん需要がない。 長い間「はて、日本で一番最初の中古盤屋や輸入盤屋はどこなんだろう?」とずっと思っていた。しかしネットには情報が非常に少ないし書籍も少ない。 「自分の生業の歴史」も知らないのは悔しいので、仕方なく時間のある時に少しづつ調べている。

          【渋谷の歴史 vol.8 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの中のレコードショップ」

          【渋谷の歴史 vol.7 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの中のスーパーマーケット」】

          ワシントンハイツのカミサリーが渋谷の戦後文化の原点の一部である(と思う) 前回記事です 米軍基地内の売店:PX、BX、カミサリーとは何か?ワシントンハイツという米軍の住宅地の中にPXとカミサリーという商業施設があった。では聞き慣れない「PX」と「カミサリーって何?ということだが、米軍の基地内にはPX、BX、NEX、カミサリーと呼ばれる商業施設がある。アメリカ軍とその家族が利用できる商業施設で、PXは日本語では「酒保」と呼ばれている。 カミサリー(Commissary)

          【渋谷の歴史 vol.7 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの中のスーパーマーケット」】

          【渋谷の歴史 vol.6 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツとデペンデントハウス(Dependents House)」① 】

          *トップはワシントンハイツの略図。左側が参宮橋駅方面、上側が原宿駅方面。 ワシントンハイツの存在を知る人も減り、返還されてからすでに60年経過し当時のことを知る方がかなり減っている。何とかこの存在を知る方の話しや資料をまとめて残したいという思いに駆られている。教科書に載ってないが非常に重要な歴史なのだ。渋谷で商いをする者として渋谷の音楽文化と歴史に非常に関係ある点と点を繋いで行きたい。 現在代々木公園がある場所にアメリカ軍専用住宅「ワシントン・ハイツ」があった。変換された

          【渋谷の歴史 vol.6 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツとデペンデントハウス(Dependents House)」① 】

          【渋谷の歴史 vol.5「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツ」】

          渋谷の歴史 vol.5「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツ」 1964年まで渋谷には日本人が入れない「アメリカ合衆国」があった。 日本は太平洋戦争に負けた後、アメリカが現在の代々木公園(旧代々木練兵場)を占領し「ワシントンハイツ」と名付けた。占領下では接収した場所やビル、主要な通りには英語名がつけられた。例えば井の頭通りは渋谷西武から富ヶ谷辺りまでが35th Street、そこから吉祥寺まではStreet”G”と呼ばれていた。 恵比寿にはEBISU CAMPがありイ

          【渋谷の歴史 vol.5「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツ」】

          【渋谷の歴史 vol.4 レコードと恋文横丁~道玄坂下三角地帯 その②】

          植草甚一氏の写真は『スイングジャーナル』1962年11月号より サブカルチャーの元祖”植草甚一”も恋文横丁に通っていた 恋文横丁~三角地帯周辺に占領軍として駐留していた米軍や英軍の住宅団地に住んでいる兵士やその家族、そして兵士と交際していた日本人女性などから買取した書籍を取り扱ったであろう古書店が、当時の住宅地図で確認できるだけで数軒あり、サブカルチャーの元祖とも言える植草甚一が足繁く渋谷のこのエリアの古書店や古物店に通っていた記述もある。 植草甚一は昭和に活躍した欧米文

          【渋谷の歴史 vol.4 レコードと恋文横丁~道玄坂下三角地帯 その②】

          【渋谷の歴史 vol.3 レコードと恋文横丁~道玄坂下三角地帯 その①】

          前々回、渋谷の歴史「宇田川町には刑務所があった 」で色々と渋谷の歴史を調べているうちに疑問が湧いてきた・・・渋谷で最初のレコード屋、中古盤屋、輸入盤屋はどこなのか?という疑問から始まりそこから色々調べてみるといろんな「Missing Link」が繋がってきた。 戦中から戦後の渋谷 渋谷~青山は第2次世界大戦の戦争末期の1945年5月25日に「山の手大空襲」によって壊滅的な被害を受けた。当時青山に住んでいた方に直接お話を聞いたことがあるが、表参道の交差点から国会議事堂や渋谷郵

          【渋谷の歴史 vol.3 レコードと恋文横丁~道玄坂下三角地帯 その①】

          【渋谷の歴史 vol.2「レコードとグルメ、失われた宇田川町の30年」】

          【渋谷の歴史 vol.2「レコードとグルメ、失われた宇田川町の30年」】 今回はもうすでに惜しまれつつも閉店したレストランの回顧録・・・90年代中頃によく通った店の話しです。 渋谷の宇田川町周辺の個人経営の食堂やレストランはこの10年くらいの間にことごとく廃業か閉店、または移転してしまいました。だから名前だけでも書き留めておきたいと思います。 現在は渋谷には個人経営の定食屋や食堂はほとんど無いのではないでしょうか。仕方のないことではありますが、なんとも寂しい限りです。 桑苑

          【渋谷の歴史 vol.2「レコードとグルメ、失われた宇田川町の30年」】

          レイヤード宮下パーク出店、そしてBGM

          早いもので宮下パークが開店してから2ヶ月経ちます。時間の経過は本当にあっという間ですね・・・開店当初から当店Face Records Miyashita Park店の店内BGMを当社スタッフで手分けして担当させていただいておりましたが、10月から新しい選曲になります。 実は開店から9月までは私の選曲したリストもかかっていて館内で聞くたびにちょっと恥ずかしくなりました・・・もうそのプレイリストも今月いっぱいで刷新されるので、嬉しいような寂しいような・・・ここから聞けますので是非

          レイヤード宮下パーク出店、そしてBGM

          はじめまして

          はじめまして。FTF株式会社の代表取締役、武井と申します。横浜で通信販売専門店「Face Records」を創業してから渋谷に実店舗を開いて、かれこれもう26年経ちました。 現在は渋谷の宇田川町でFace Records Shibuya店とFace Records Miyashita Park店、エコストアレコード渋谷買取センター、下北沢でGeneral Record Store、ニューヨークのブルックリンでFace Records NYCを経営しております。今どき「レコー