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【渋谷の歴史 vol.2「レコードとグルメ、失われた宇田川町の30年」】

【渋谷の歴史 vol.2「レコードとグルメ、失われた宇田川町の30年」】
今回はもうすでに惜しまれつつも閉店したレストランの回顧録・・・90年代中頃によく通った店の話しです。
渋谷の宇田川町周辺の個人経営の食堂やレストランはこの10年くらいの間にことごとく廃業か閉店、または移転してしまいました。だから名前だけでも書き留めておきたいと思います。
現在は渋谷には個人経営の定食屋や食堂はほとんど無いのではないでしょうか。仕方のないことではありますが、なんとも寂しい限りです。

桑苑 北海道料理
古い料亭のような店構えで確か下足して入ったような記憶がある。丁度渋谷ビデオスタジオの真裏だったのでよく俳優さんも食事していた。「北海道料理」と看板に書いてあり、焼き魚、特にほっけの定食などをよく食べたことを覚えている。なぜか味噌汁に酸味が合って美味しかったのが印象に残っている。もうこの店を覚えている人もかなり少なくなってきた。

金龍菜館
いわゆる街中華。初号店の向かいにあった。カウンターだけの小さい店でいつも昼時は満席だった。名物はニラそばという炒めたニラがたっぷり入ったラーメンでとても美味しかったが、ご主人が倒れ惜しまれつつ閉店した。こういう街中華の中華鍋を煽って作る料理人は体力がないとできないだろうし、腰や肘などを痛めて引退する方も多いのではないだろうか。兆楽も心配である。街中華と定食屋を応援したいとつくづく思う。

万味(シスコ前の街中華)
ほぼ記憶から消えていたが、スタッフが覚えていてくれて店名を思い出した。私は兆楽派だったので結局行けなかったが、シスコレコードに勤務してた方はよく行っていたようだ。ネット上には回顧録がいくつかある。この周辺の宇田川町にはコンビニが普及する前の時代、NHKの職員などのランチ需要を見込んで商売していた食堂やそばや、街中華が結構あった。スナックもかなりあったがほとんどなくなってしまった。

八竹亭
トップの画像は八竹亭のサーモンの照り焼き?定食の写真。古い携帯に入ってました。特に「八竹亭」の大将とは仲が良かったので結構ショックだった。八竹もいつかは代変わりせずに辞めるだろうと思ってたら、やはり突然辞めてしまった。美味しいもの作るのは傍から見てもホントに大変で、特に八竹の大将はほぼ一人で仕込みから全部やってたから、好きじゃなきゃできないだろうと思った。朝一(6時とか)で築地で仕入れしてランチやって少しの昼休暇のあと夜11時までやってたし。こんな営業形態だと今じゃスタッフも雇えないだろうと思う。飲食業界は大変である。
ある日の朝6時前にたまたま店のドアが開いてたのでこんな早朝に何やってるんだろと思って「こんな朝からおじさん何やってるの??」と聞いたら「パン粉作ってんだよ!」・・・食パンからパン粉を作ってて、ここまで妥協しないのか!とびっくりしたもんだ。マヨネーズににんにくが入ったような独特で旨いドレッシングも手作りだと言っていたと思う。(今考えるとステーキのてっぺいのドレッシングに近いと思う)美味しいはずである。ある日メニューに鶏の唐揚げがなかったので作ってよ、とお願いしたら「鶏を揚げると油が臭くなるから駄目」と言われたりした。全てにおいて妥協してなかったのかもしれない。良い物が仕入れられなかった日は早仕舞いだったし、こだわりが半端じゃなかった。もうこんな頑固おやじの店は都内になかなか無いと思う。
そして店がガラガラなのに気に入らない客や一元客、芸能人らしき人でも「満席だから」と言って入れなかった事を何度も見た。自分も2,3回通って、自分の店の場所を説明して店におじさんが在籍を確認しに来て「近所だから」という事で、やっと入店を許可された(笑)。飲食店なのに「お酒は二本までとさせていただきます」という張り紙も潔くてかっこよかった。そしてご主人とその弟の2人で経営していたが、毎日のように客の目の前で弟と喧嘩するのがある意味名物みたいな感じだった。

あのエビフライとかステーキとか、何故か氷がタップリ敷き詰められたトマトサラダとかあのグリーンサラダとか、今でも食べたくなる。閉店した後に何回か町内で見かけたけど最近は全くお目にかけない。今も元気かな?とふと思う。

アンカレッジ
アンカレッジもそうだった。昔、欧米への海外旅行は北回りでアラスカのアンカレッジ経由で世界に飛び立つ拠点だったからそう命名したのかと、今となってはわからないが、大理石を多用したインテリアで船の模型とか船の舵とかが飾ってあってゴージャスだった。店はそれほど広くはなかったが(失礼)全席に内線電話があってそこからわざわざ注文するスタイルだった(笑)。客層はクラッチバックを小脇に抱えてスポーツ新聞を読んでるような方や、サイフォンのコーヒーを飲みながらテーブルで現金を数えてるような、こちらも訳ありの方が多そうだった。彼女と思われる女性が相手の男性の 顔に水をぶちまけてるカップルも初めてここで見た(笑)
知り合いに会うと皆、何故か札束を数えている場合が多かった。宇田川町界隈の経営者が大切な話しをする場所だったのだ(笑)
ここのスパゲティはよく食べた。茹で置きした麺を炒めるスタイルのスパゲティで、胃に優しい非アルデンテ。毎日食べた時期もあった。ふかふかしたクッションの高級な椅子に座って向かいにあったピンクハウスに出入りする人たちを眺めながらまたスパゲッティを食べた事をよく思い出す。

東急ハンズ内「ピクニック」
勝手に「会議室」と呼んでた東急ハンズの3C階?にあった「ピクニック」という喫茶店である。オルガン坂を丁度見渡せるロケーションで、ちょっとした打ち合わせやランチミーティングで活躍した。ここもパスタとかホワイトソース系のドリアかグラタンを良く食べてた。グラタンの具がパスタという他ではあまり見ないメニューが大好きだった。確か全ての定食やパスタにも味噌汁が付いていた。そしてこの店を知らない人を連れて行くと皆「なんでこんな所に喫茶店あるの??」と言われたもんだ。

109の地下二階定食屋「お富」
渋谷の地下街の端が109だが、109の地下2階と渋谷の地下街が繋がっていることをご存知だろうか?現在はフードコートになっている地下2階だが、90年代後半までおばあちゃんが2人で経営していた「お富」という定食屋がこのフロアにあった。90年代後半はギャル全盛期で地下2階にもギャルの洋服屋がある中に突然和風の、ある意味ほっこりする佇まいの「お富」があった。本当に普通の定食屋で確か109創業時から経営しており、単にまわりの店が変わっただけなのだが、出すメニューも普通の定食屋だった。しかし、中で食事していると常連とおぼしきギャルの店員がおばあちゃんに諭されていたりして和める店だった。気付いたらなくなっていて何故かショックだった。もうこういう手作りの普通の定食が食べられる定食屋は渋谷にはないのだ。

個人経営の店を閉店するにはやむを得ない事情があるだろうが、一番の原因は過去30年に渡るデフレの影響による売上低下、そして経営者の年齢や体力の問題、そして後継者の問題だろう。全国に広がってしまったシャッター商店街や、市中のレコード店も然り、個人店はほとんどが一代で終わりであった。社長が亡くなって社員や家族が路頭に迷うところを何度も見てきた。
年齢の問題を解決するのは難しいが、店を支えるために売上への貢献は誰でもできる。やはり応援したい店には定期的に通ってお金を落とさないと継続できない。よく閉店が決まると応援するような事も多いようだが、普段から応援しないと継続できない。

当店も皆に愛されるように定期的に足を運んでもらって喜ばれる店にして行きたいです。


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