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50歳の自分に

みなさん、こんにちは。しんまるです。

去年の今頃は40代がいよいよ終わるなぁとか、40代はあっという間に過ぎたなとかそんなことを思っていました。

忘れないうちに、50歳の現在地というか、心境を書いてみたいと思います。

半年以上が過ぎて予想外だったことは、老眼が急速に進んでいるということです。ほんとに近くが見えません。自分は老眼にはならないと勝手に思い込んでいただけに余計ショックです。

40代最後の夜は実家で過ごして、母親の手料理と両親とお酒を楽しみました。

【50歳の誕生日のメッセージ】
次男からは「信長を超えたね~」
三男からは「光秀は来ずやね」
妹からは「50!!あと半分頑張って」

と、私も含めて男性陣は日本史が大好きなので、弟たちは兄が50歳を迎えることができたことをひとつの節目と思っていたようです。

妹のメッセージ、あと半分って。。。人生100年時代とは言いますが、さすがにあと50年は長過ぎる。

最近、思うことですが、40代が一気に遠くなった感覚があります。すごく遠いです。何なんでしょう、この感覚。40歳になったときも同じように30代が遠くなったって思ったのかな。

自分なりに思うことは、やはり50歳というのは人生におけるひとつの区切りであり、何というか大きな壁があるのではないか。そして、40代という10年間を俯瞰してみて、もう戻ることのない時間も含めて遠く感じるのではというものです。

そんなこんなで、50歳になって生活としては特に変わったことがない毎日を過ごしていたのですが、ふとある日、区切りの年齢ではあるし、自分に何かプレゼントを贈ってもいいのでは?と。いわゆる、ご褒美です。

そして、私の頭に浮かんだのが「腕時計」です。

もう10年以上も前に腕時計を買ったものの、今どこにあるのかも覚えていない。しばらくは腕時計をはめていましたが、携帯で時間は分かるし、腕時計はもう要らないなと思って、途中でつけるのをやめて現在に至ります。

が、「身なりは人を表す」という言葉があるように、服装だけでなく腕時計もその人を表すものだということに最近、気付きました。

50代になった私は楽だからという理由で、休日は外見も気にせず内にこもり年を取っていく、そんな人生を送りたくはありません。それでは老いが加速するだけの気がします。

今回、自分に贈った腕時計は、私の現在地からは少し背伸びしたものに感じます。それでも、時を刻むこの腕時計とともに50代を歩むことになります。
背伸びしたと感じていたのが自然といつの間にか追いついていた、そういつか思えたらいいなと思います。

追伸、ありました!昔に買った腕時計。引っ越ししたときに持ってきていたのか。懐かしいな。

最後までお読みいただきどうもありがとうございました。

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