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競争するより共創する

「職場の雰囲気が悪い」「職場の人間関係がギスギスしている」

このように感じながら仕事をしていると、本来の目的以外の仕事に神経を使わくてはならなくなり、働くのが嫌になります。

職場の人間関係が悪くなってしまうのはなぜなのか?

どうしたらこのような関係になることを回避できるのか?

その方法について、ここでは探りたいと思います。

会社の部署は法人の身体器官

会社は法人という言葉があるように、一人の人間としてたとえられます。

人の体は脳、心臓、肺、胃、肝臓、腎臓、腸などの器官が機能的に働いて活動します。

会社の経営部や営業部、経理部、人事部、総務部のような専門的機能を持った部署は、その法人の体の器官であり、人の体の臓器のように有機的に動くことで円滑に活動します。

人の身体器官は、他の器官のために働きます。

口は胃のために物を砕き、胃は腸が吸収しやすいように物を溶かします。肝臓は腎臓のために毒を溶かし、腎臓は細胞のために血液をろ過します。

自分一人のために存在している器官はありません。

会社のそれぞれの部署が、どこのためでもなく、自分の利益のためだけに動き始めると、法人としての有機体機能は失われ病気が進みます。

人の体では、ガン細胞は自己の生存欲というエゴによって、増殖と転移を続けます。

お互いのために役立とうという貢献心に欠け、自分のことばかり考えているエゴに侵された部署や職員は、法人内のガン細胞と同じです。

エゴを追及する有機体は、やがて自らが拠る母体をも死滅させます。

機能を持つ物体が、他の何かのために存在しているということは自然の摂理なのです。

競争は敵対意識を生む

戦後日本は、西洋文化を取り入れるなかで自由競争を重視して来ました。

他者と競い合って勝つ者だけが、弱肉強食の世界を生き抜いていけるという考え方は、個を重視する西洋的発想と言えます。

確かに強さを身につけないと自分の身や周りの人を守ることはできません。

その点では、競争することで成長することも必要です。

しかし、それと同時に強き者が弱き者を助ける仲間意識や共同体感覚は、競争社会の発展とともに失われて来たように思われます。

競い合って勝つことばかり重視されると、他人を蹴落としたり、嵌めたり、騙したりするようになり、他人に勝つことで優越感を持ったり負けて劣等感を持つようになります。

勝ち負けに拘ると他人の成功を妬み、素直に相手の優れたところを認められず、相手の間違いや欠点などの粗を探すようになります。

勝ち負けの世界では、「他人は敵」なのです。

スポーツなどの限られた時間内での競争と、人生という永続する時間においての競争とは、まったく違います。試合が終われば、敵はよきライバルであり友になるからです。

競争による敵対心は会社という共同体の中でも、日本社会という共同体の中でも同じように作用します。

職場の人間関係がギスギスしていると感じるときは、決まって共同体の仲間意識が薄れています。

自分の正しさを主張して、どちらが正しいかという勝ち負けに拘るような関わり方になってしまうと、仲間であるはずの同僚が敵に思えて来ます。

また、自分のことをわかってもらえないという孤立感も周囲を敵に映します。

誰よりも結果を出そうと頑張り過ぎて、負荷をコントロールできなくなると、自分の身を守る生存本能が働いて、仕事に関わる周囲の人を敵のように感じることもあります。

競争することは、人間関係において他者との関係を破壊する力があるのです。

共創は仲間意識を生む

古来より日本には八百万(やおよろず)の神がいました。日本の神様は唯一神でなく、自然の至るところに無数の神々を認める文化です。

仏教やキリスト教が渡来したときも、他の神を排除することをせずに、受け入れて共存する方法を取りました。

それぞれの神々はお互いの個性を尊重し、長所を任せることで管轄する役割を分担をして来ました。

学問の神様、出世の神様、武道の神様、縁結びの神様、氏神様…

七福神に至っては、ヒンドゥー教、仏教、道教、神道と様々な教えの神様が集結しています。

この個性の尊重、役割を分担してそれぞれが役に立つという分業の発想は、和を重んじる日本的発想とも言えます。

それぞれの個性が長所を発揮し、他人の短所を補う貢献の社会では、みんなで協力して理想の社会を共に創るという考え方になります。

そこでは他人は助け助けてもらう協力者であり、「他人は仲間」だと認識するようになります。

学校教育で学ぶべき共同体感覚

累計納税額日本一の記録を持つ斎藤ひとりさんは次のように言います。

学校の先生が、「宿題は見てはいけない」「テストはカンニングしてはいけない」と言うのがよくない。「みんなで見せ合う」ようにすれば仲良くなるしみんな高得点になると。

「宿題を見てはいけない」というのは個の学力を向上し、他人に頼らずに生きる強さを重視していると言えます。

しかし、そういう決まり事を作らなければ、勉強ができる子ができない子に宿題を見せてあげたり、代わりに宿題を見せてもらったガキ大将が宿題をして来た子を守ったり、昔は持ちつ持たれつの関係で和気あいあいとしていました。

テストでみんなが見せ合えば、みんなが100点を取ることができます。それを「見るなよ」と言うから落第点を取る子が出て来ます。

競い合うと周りが敵になり、そういう発想に先生が誘導しています。

競い合わせるのは、個人の成長を促し自己責任論を助長します。できる人が教え合うとみんなの成長になり、共同体感覚を高めます。

自分の得意とすることが他人のためになり、自分が価値を提供できる体験をすることで、貢献することの素晴らしさを覚えることができます。

社会に出れば大概のことは見せてもらえます。

繁盛しているお店に行けばメニューや雰囲気を見れますし、サービスを利用したり商品を購入すると、実物を見せてもらえます。

インターネットで調べ放題、答は探し方次第で見つかります。

誰かに教えてもらうことが日常的なのですから、学校教育では教わり方を学び、同時に人に教えることによって貢献感を養うことが重要ですし、そういう場面を沢山つくることが大切です。

学校は学力向上の場であると同時に、他者との対人関係を学ぶ場でもあるからです。

職場で実践すべき共同体感覚

職場では、できる人ができない人に教えることで、会社は大きく成長します。

たとえ業績が順位付けされるとしても、それは教える人が誰なのか、誰に何を教わればいいのかをわかるようにするためです。

できない人はできる人から教わって、持ちつ持たれつの関係になることです。

教えてもらったら感謝すればいいんです。

これも、強い者が弱い者を助けるという共同体の基本精神です。

新入職員に先輩職員が、声をかける、挨拶をするというのも、立場が強い人が弱い人を助ける共同体感覚が備わっていれば自然にできることです。

アフリカに次のような諺があります。

早く行くなら一人で行きなさい。遠くに行くならみんなで行きなさい。

効率よく結果を出すなら一人でやった方が早いです。しかし、成果を出すなら、時間が掛かってでも仲間の力を合わせた方が成果は大きいです。

効率を求め過ぎると、他者との考え方のズレや感覚のズレによって生産性が低くなることに意識が向いてしまい、もっと分かり合える人と働きたいと思うようになり、仲間意識が薄れていきます

目的は、効率なのか成果なのか。

競争しながらも助け合う。

他人を仲間だと思えると、他人を信頼することができるようになります。

職場という利害関係の中の条件付きで信じ合う「信用」の関係から、ありのままの存在を無条件に信じる「信頼」の関係に変わることが、他者信頼の鍵となります。

他者信頼から貢献社会へ

昭和の終身雇用が成り立つ時代は、「会社はファミリー」という感覚を持って仕事をしていました。

そこには、会社に入社すれば家族同様、生涯面倒見て付き合っていく無条件の仲間だという時代感覚がありました。

終身雇用が成り立たない現代では、社員は家族というと違和感を感じるかもしれませんが、社員は友達という感覚なら築くことができそうです。

お客様に対しても、売主と買主という利害関係を超えて、友達感覚を持ってその人が真に手にしたい喜びと幸せを一緒に考えると、その人にとって本当に価値あるものを提供できます。

友達という感覚を持つと、相手との心の距離が一気に縮まり仲間意識になります。

利害を超えて見返りを求めない、無条件の信頼関係にどこまで近づけるか。

他者信頼は幸せな共同体感覚を育み、「競争社会」ではない「貢献社会」を築きます。

インドの諺に「人に迷惑をかけてもいい、その代わり迷惑をかけられたら助けなさい。」という言葉があります。

「人に迷惑をかけないように生きる」のが正しい生き方だとすると、迷惑をかける人達を悪とみなし、迷惑をかける仲間が敵になります。

迷惑をかけることが間違えとすると、人に頼ることが悪いことに思えます。

人に迷惑をかけて人から迷惑をかけられるのを受け入れることは、人から助けられ人を助ける貢献社会につながります。

仏教には、次のような逸話があります。

ある人が臨死体験をしてあの世に行きました。

そこには天国と地獄の境の門番がいて「死後の世界を見せてあげる」と言われ、門番に地獄へ連れて行かれました。

そこには長いテーブルに沢山の人が並んで座っていて、テーブルには豪華な料理が沢山積んでありました。

人々は料理を食べようとするのですが、まったく食べることができません。

その人達が持っている箸は2メートルもある長い箸で、誰も自分の口に食べ物を運ぶことができず、目の前に美味しい食べ物があるのに食べれない苦しみ、飢える苦しみを味わっていました。

次に、門番は天国へ連れて行きました。

そこには地獄と同じように、長いテーブルに沢山の人が並んで座っていて、テーブルには豪華な料理が沢山積んであり、やはり2メートルもある長い箸で料理を食べようとしていました。

しかし、地獄と違って天国の人々は料理を食べることができていました。

それは、お互いが相手の口に食べ物を運んであげることで、料理を食べるという方法を取っていたからでした。

この逸話は、人々が自力で何とかしようとすると苦しむが、相手のために助け合うと喜びを得ることができるという本質を示唆しています。

そこには「私」という主語はなく、「私たち」という主語があります。

これらのことを、働く人の一人ひとりが意識することで職場は変わります。

会社内ではもちろんのこと、会社の外側にも仲間意識を持つことで、日本社会という共同体全体が向上し、人は幸せな人間関係を構築することができます。

競合他社は競い合うと同時に、困ったときは助け合う仲間でもあります。

大型案件を自社で請負いきれなければ、他社に受注をまわすことで助けてもらうことができますし、非常時に人手が足りなければ、応援部隊を送ってもらい支援してもらうことができます。

敵が仲間になれば、お互い持ちつ持たれつの関係が築けます。

周りが仲間ばかりで敵がいなくなると、その人は無敵になります。

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