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練習量は嘘をつきまくるかも知れない

こんにちは、守屋です。

以前にも何度も記事として書きましたが、ビッグデータの登場によって感覚ではなく数字として事実を読み解く方法が主流となってきました。

練習は、むやみに長く行うのではなく、集中力を持って明確な目標を達成したと感じるまですることが大切だ。若い頃、周りの人が一日中練習していたのが気になって師である、オーア教授に何時間練習すべきかを尋ねたところ、彼はこう答えた。
「重要なのはどれだけ長く練習するかではない。何も考えずに練習していたら、どれだけ練習しても不十分だ。だが頭を使って練習をすれば、2時間でも十分だ。」

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長時間は「これだけ頑張ったんだ。」という欲求を満たすだけ

高校の部活や合宿では、いまだに練習を質より量にこだわり、

「練習はやった分だけ自信となる。」
「練習量と結果は比例する。」

と言い続ける指導者は多く存在します。

またスポーツだけでなく、会社という組織の中にも無駄な残業や効果測定もしない「とにかくやろう」という根性論が蔓延しています。

たしかに長時間何かに取り組むことは「これだけ頑張ったんだ。」という錯覚の自信をもたらしてくれます。ですが、長時間には意味がなく大事なのはあくまでも効果であり結果が伴っているかどうかです。

練習の内容や質にこだわらず、量だけ多くすることで選手は思考が追い付かずにむしろ思考停止状態になり、言われたことだけを取り組むロボット化してしまいます。

その為、いざ試合中にアクシデントがあると自分たちで解決することが出来ずに指導者からの指示を仰ぐわけですが、指導者も質よりも量を重視してきたために、

「とにかく耐えろ!」
「とにかく走れ!」
「頑張れ!」

という根性論しか出てこなくなってしまいます。

量より質で思考力を鍛え集中力を高める

以前、会社で1ヵ月だけ結果を出せば定時で無くても退社出来るという形を採用したとき、結果にコミットして早く帰りたいと考える人と、時間通りに同じ業務をこなす人と分かれました。

同じ給料という前提でしたが、仕事が終われば早く自分の時間を確保できるという結果に対して時間で還元するというのは社会人に限らず重要ではないかと感じます。

仕事の後に楽しいことが待っていると思ったときに、早く仕事を片付けようと思う心理ではないですが、やはり短時間で集中して取り組む習慣が身についている人ほど、無駄な時間をダラダラ過ごすのではなく質の高い時間を過ごしたいという傾向があるように思えます。

「取り組んできた時間は嘘をつかない」と言われていますが、何十年も同じことに取り組んできた人が下手くそだった場合、やはりその取り組んできた時間に対して質はどうだったのかと疑問を感じます。

堀江氏が以前、

と、寿司職人に何年も修行するのはバカという発言をしていました。もちろん人それぞれの価値観はあるものの、サッカー選手で考えた場合10代の選手に対して

「まだ10代だから、今は下積みだと思って先輩から技術を学びなさい。」

と出場機会のない選手に対してもっとトレーニングを積むべきだという人と、

「プロサッカー選手の人生なんて短い。出場機会が無い(自分と同じポジションに日本代表や不動の選手がいる)のであればカテゴリーや国を変えてでも自分を即戦力として使ってくれるチームで活躍しなさい。試合に出場しなければ価値を測る基準も無い。」

という人がいた場合、前者のケースは試合に出場することが出来ない理由として

・若い
・経験不足
・ポジションが埋まっている

ということから時間がかかります。その為に選手は10代の勢いがある時期を試合ではなく練習に時間を割いてしまいます。

逆に後者のケースでは試合に出場できる環境を求めているため、

・若さは関係ない
・現段階の評価が上下する
・経験値が増える

という実戦で得られることが良くも悪くも、どういう風にアピールすれば良いのか、何が求められいるのかを常に考えていかなければなりません。

「練習量は嘘をつかない」という言葉の裏側には、質を意識せずに量で誤魔化してしまう根性論が習慣化されてしまった人々がいるように感じてしまいます。


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