8月19日 俳句の日

俳句はもともと短歌に対する諧謔として生れ大衆娯楽として根付いたそうだ。
歌を詠む。という文芸を5・7・5という日本人が日本語を話すのに気持ちの良い調べ(リズム)に乗せて短い文章の中に面白みを感じられるような文章を作るというのが、当時としては娯楽のひとつと言えたのだろう。

つまり今でいえば、マンガとかゲームとかそういうたぐいのものだったということだと考えるとわかりやすい。

それを松尾芭蕉が季節や風光明媚を取り入れて芸術性を持たせることに成功し、その後明治~昭和くらいになってようやく文化というか芸術というか、そういうもののひとつとして認識されるようになっていったらしい。

いまでいえば、マンガをCool Japanの重要なコンテンツとして世界に発信していったり、ゲームをe-Sportとしてひとつのプロフェッショナルスポーツのようになり始めているのと同じようなことが俳句を現在の俳句たらしめているのだと言えると思う。

人の認識とは時代や環境とともに変わることの代表のような話だ。
想えば恐らく純文学だって産まれたきっかけは娯楽として生まれたのだろうと思う。

グーグル先生によれば、
文化とは、人類の理想を追求してゆく精神の活動のことをいうそうだ。
芸術とは、独特の表現様式によって美を創作・表現する活動。また、その作品。
を言うらしい。

そういう意味では、もちろん俳句も文化であり芸術と言えるのだと思う。

では、マンガは?ゲームは?
と問われるとちょっと違う気もするけど、それはおそらくそこまでぼくがマンガの世界にもゲームの世界に足を踏み入れていないからそう感じるだけだろう。

何にせよ、気づきや学び、心動かされるような洞察や理解、共感がもたらされるものは文化であり芸術と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。

それでは、最後に一句。

「夏の夜に、尿路で”いし”がせめぎあい」

文化を感じて頂ければ幸いである。

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