出会いはビールの泡のように ~イスタンブール旅行記⑤~


ひとしきり夕陽を楽しんだあとは、地下鉄に乗ってヨーロッパ側に戻ってきた。どの路線に乗ったらいいのか分からずに大分迷い、最終的には反対方向のに乗っていた。先に切符を買うシステムなら死んでいたが、幸いにもsuicaの要領だから途中で降りて折り返しの電車に乗り込めた。しかしボスフォラス海峡を渡る地下鉄は海底を走っており、海底トンネルデビューだった私は二倍の時間おびえる事となった。しかし地下鉄を降りてから、日本よりも体感二十倍速くらいで動いていたエスカレーターに乗って興奮していると、海底トンネルの悪夢はどこかへ消え去っていた。

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宿に着くとすでに19時で、そろそろお腹が空いてきた頃だ。現地でsimカードを購入しなかった私は、wifiがある宿のロビーでgoogle mapを開き、どこに食べに行こうか悩んでいた。すると日本人らしき誰かがチェックインしているのが見えた。こういうシチュエーションに限って私の社交性は塵となる。だが今回は案の定むこうから話しかけてきた。

“Do you have an adapter? I wanna charge my phone”
“Sure. I need to fetch it from my room, so can you wait for a moment?”
“Thanks”
~
Me coming back.
~
“There you go, and…  日本人ですか?日本語で大丈夫ですよ笑”

こういうぎこちないやり取りはいつも恥ずかしくなるが、まあしょうがないか。こういうきっかけさえあれば旅先でのコミュニケーションは捗るものだ。例によって私たち一緒に夜ごはんを食べに行くことになった。その日本人(Aさん)は、現在会社員で一週間程度の休みをとって旅行に来たらしい。昔は駐在員としてフィリピンに住んでいたらしく、そこで海外の文化にはまり、ローカルな雰囲気が味わえるスタイルの旅を始めたらしい。我々の宿はアヤソフィア大聖堂のすぐ近くにあり、ザ・観光地、という感じだ。小奇麗なレストランは沢山ある。しかし我々は、現地の人が仕事帰りによって食べていくような、小汚い大衆食堂的な場所に行きたいよね、という目標を掲げ、街の薄暗いほうへ向かった。
食事の際に写真をとるのが得意でないので、残念ながら実際に入った飲食店の写真は無い。入ったのは9時過ぎころ。客数は10人もいなかった。店のキャパは30人くらいだったろうか。床は四角いタイル張りで、ブラシでごしごし洗えそうな感じ。テレビがキッチン側についていて、ニュース番組っぽいのが流れてるが、見てる人はほとんどいなかった。キッチンとホールを隔てているショーケースには、これから焼くのであろう串刺しのケバブとサラダが並んでいた気がする。写真を見ても何が何だかわかんないので、とりあえず焼き鳥感覚で串刺しケバブ二本と、パイデという細長いピザのようなものを注文した。が、完全に予想外だった。ケバブの方は認識していた肉串シングルではなく、幅40cmほどの皿上で、炒めたごはんやら野菜やらの上に乗っかって出てきた。この最初の皿が来た習慣に我々の脳裏には共通の未来が見え、腹をくくるように眼を合わせた。案の定二枚目の皿も同じサイズ。付け合わせの(量的にはこっちがメイン)のご飯と野菜はどうやら同じ味付けのようだ。ため息に乗せて胃の中の空気を全部出し、パクリとケバブ串から食べ始めた。これがおいしいんだ。複雑なスパイスが効いてるから、具体的に何で味付けされているのかは分からないが、飽きの来ない味付けだった。ケバブのスピードを調整しないと、付け合わせを食べきれなくなるので、セーブするが、ケバブ食べたさにペースは速かった。顔を上げるとAさんが野菜炒めに夢中になっていた。それにしても、美味しそうに食べるなあと感嘆して自分も真似してみると、ほら忘れてたでしょと言わんばかりのどや顔で、パイデが出てきた。これ一枚で食事が成立するくらバラエティとボリュームが豊かな逸品だ。イタリアに行ったときに食べて塩分の味しかしないピザを思い出すと、こっちのほうがピザだった。中には、羊肉やサラミとかが入っていて、生地は堅め。歯ごたえがあって食べたっ気がする。うまい。実は以前イスタンブール空港で乗り返した時に、空港のレストランでパイデを食べていて、美味しかったからまた注文した。自分の舌は間違っていかなったようだ。何とか食べきれたのはその味のおかげだろう。

21時半ごろ。ひとしきり食べ終わって店を出ると、のどが渇いてきた。ビールが飲みたいねとAさんは言い出し、私も普段飲まないビールがこの瞬間だけは尊く思えた。しかし歩き回って探しても、どの店も時間が時間で閉まっている。それにお酒自体を取り扱っていない店がほとんどだった。そりゃあそうだ、イスラムの国なんだから。でもちらほら缶ビールを煽っている恐らく地元人を見かけるが、彼らはどこから仕入れているのか。疑問を抱きながら陸橋の近くにある、飲食店っぽい場所にたどり着いた。扉はなく通りから中が見えた。業務用冷蔵庫が奥のほうでギラギラひかっているし、屋内には丸テーブルと椅子が散乱していた。しかし客らしき影はなく、従業員っぽい人たちが缶を片手に談笑していた。これだ!Aさんはこれ見よがしに近寄り話しかける。

“Do you have beer?”

少しの間をおいて、従業員らしき人は、「お前、ビールが飲みたいんだな」と念を押してきた。すると店外を一瞥してから建物奥に駆け込み、中が見えない袋に入れてビールを二本持ってきてくれた。お金を払うと「ほら早く出てけ」と言わんばかりにすぐ背中を向けてしまった。トルコ国内でお酒の販売に関するどんなルールがあるのかは知らなかったが、不思議な経験だった。
我々はホッとしてビール片手にどこかの外套の下に座り込み、身の上話に花を咲かせた。駐在中に食べたフィリピン料理が大好きなこと、カイロで飢えてたら現地のおじさんに腹いっぱいのご飯をご馳走してもらえたこと、二倍近く年は違うものの、旅先で偶然出会った僕と話ができて嬉しいこと。旅に憑りつかれたAさんの姿はどこか羨ましかった。いつか自分も、旅先で出所がわからないビールを誰かにご馳走しよう。そう心に決めたときには、すでに0時を回っていた。

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