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日本のコロナ対策は、なぜ後手に回ったのか? -政治・行政の貧困を嘆く-

 ワクチン接種は進められているものの、事態終息の兆しは未だ見えてこない。オリンピック開催というタイムリミットがあるためか、国及び東京都の焦りは、やや常軌を逸しているようにみえる。緊急事態宣言による営業停止範囲の不一致、ワクチン接種の無計画さとその手続きの混乱ぶりなど、およそ先進国の所作とは思えないことが連続している。もっとも、コロナ禍が始まって以来、アベノマスクや国民に伝わらない横文字ワードの羅列など、混とんとした政策はずっと続いており、今に始まった混乱とは言えない。日本の政治及び行政の貧困さを痛感したのは、おそらく私だけではなかろう。
 
 なぜ、コロナ禍において、日本の政策は機能不全に陥っているのであろうか。私見では、以下のような背景があると考える。第1に、政治主導が叫ばれ、内閣人事局のコントロール下におかれた国家公務員上級職は、政治家を敵に回すことを極度に恐れており、くだらない政策であると分かっていても、反目するようなことはしなくなっていることである。特に安倍政権下において、与党内に対立軸がなくなったことで、長いものに巻かれる思考が津々浦々まで浸透した。権力に反駁して、その場で出世の道を絶たれるよりは、迎合して身を任せる方が、仮に結果として批判を受けることになったとしても、まだ出世の可能性は残るからである。第2に、政治家の思惑と役人の思考と専門家の発想が混在し、政策の一貫性やバランスが保てなくなっていることである。平時においては、政治家の意図や世論を背景に、行政職が政策を立案し、おおむね形を整えてから専門家の意見を聞いて細部を詰めるのであるが、この度のパンデミックにおいては、間髪を入れず次々と決定することを求められるため、三者が同時に議論の舞台に上ることとなる。マスコミやネットで知る国民の意見は、三者それぞれの立場に対して圧力を与えるため、その場しのぎの解決策に終始してしまう。第3に、国家公務員及び地方公務員に共通して、政策に関わる行政職において、気概のみならず、創造力や発想力が欠損してしまっていることである。行政組織は、あらゆることが前例を踏襲して仕事をしていくのであるが、この度の悲劇には前例がない。政策を流れの中で捉えて修正していくことには長けていたとしても、刻々と変化する事態に対してその後の展開を予測することは、発想力を鍛えていなければ難しい。

 もっとも、こうしたことはあくまで適切な政策を打ち出すことができない背景事情に過ぎず、本質的な問題は、情報過多に陥ってしまい、あらゆる意見を調整しなければ物事を進められない社会構造になってしまっていることにあるように思われる。毎週のように話題となる各種のアンケート調査、SNSで勝手な意見をぶちまけるインフルエンサーとそれをネタに番組や記事を作るマスコミ、専門家と称して無責任な発言を繰り返す経済学者、自分が加害者となりかねないにもかかわらず街頭でインタビューに応える国民など、氾濫する多様な意見に耳を傾けようとすると動けなくなってしまう。大衆民主主義のもとで信念を持って政策を打ち出すには、批判を恐れず身を挺する覚悟が必要となるのであるが、選挙が近い中で、こうした覚悟を求めることは、現在のサラリーマン政治家には難しいであろうし、ましては、無難に過ごせば退職金や年金で中流程度の生活が保障される公務員に期待できることではない。

 日本の政策能力の貧困が顕わになっていることは、新型コロナ対策ばかりではない。少子化対策、非正規雇用労働者の急増、女性の社会進出の遅れなど、すでに数十年前から問題視されながら、国際的に批判を浴びるか、もしくはぎりぎりの状態になるまで見過ごされてきた課題は数多くある。一時的に注目を浴びると政治家や官僚はその場しのぎの対策を講じるが、抜本的に解決を図るがごとき施策には踏み込まない。理由は、大きな一歩を踏み出すと、責任が伴い、批判も大きくなるからである。しっかりとした理念やビジョンがなければ、そうした批判に対抗できないのである。
 大きな一歩を踏み出すとはどのような政策をイメージするかと言えば、例えば介護保険制度の創設を思い起こしてほしい。わずか20年前にできた制度であるが、ほぼ定着し、現状では多少の問題はあるものの、極めて大きな役割を果たしていると評価できよう。同法制度ができた経緯を知る者としては、当時の厚生官僚の熱意と勉強ぶりには頭が下がるものであった。当時、高齢社会の到来はすでに現実化していた時期であり、遅きに失したとの評価もあり得ようが、短期間のうちに創造された制度としてはかなり大胆かつ精緻なものであったといえる。

 アフターコロナにおいても、政策の貧困は続くものと思われる。永田町周辺には、官僚出身の似非学者ばかりがたむろしており、同じく官僚出身の政治家と共に、万が一にも火の粉を浴びない無難な政策によってお茶を濁している。大昔のことであるが、横山ノック知事の時代に、大阪府の社会福祉審議会の委員をしていた際、当時の福祉部長がノック知事の時代が続いてほしいと述べていたことを思い出す。ノック知事は、「自分は何も分からないから、君らが良いと思ったことを好きにやってくれ」と述べていたというのである。その後芸能人知事が各地に誕生するが、官僚にとっては、自らの考えを封じ込め、ひたすらトップに迎合して身を守る方法と、必ずしも鋭いとは言えないトップの下で自由自在に行動する方法のどちらも居心地が良いのかもしれない。
 選挙に行くことで現状を打破できるかについては、悲観的にならざるを得ない。若年者を中心に投票率は低迷しているが、官僚か無能な地方議員か、もしくは著名人しか選択肢がない中で、選挙に行くことを薦める気持ちにはなりにくい。政治家は、国民のレベルを超えるものではないとされるが、必ずしも日本国民のレベルが低いとは思えないだけに釈然としない思いが募る。

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職場の実態を知り尽くした筆者による労務問題に携わる専門家向けのマガジンである。新法の解釈やトラブルの解決策など、実務に役立つ情報を提供するとともに、人材育成や危機管理についても斬新な提案を行っていく。

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