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「応援」は消費活動か ①

いつのまにか5月なんですねえ〜🎏
4月の後ろ姿すら見届けられないまま。

緊急事態宣言中に迎えるGW vol.2 は
騒がしさが抑圧されそうで、されない、
いと奇妙な時の流れ方をしています。
あ、これGW中に書き始めたので
いつのまにか終わってました、やべ。

コロナ禍ではおしゃべりさんが
各SNSを通して憤りをぶつけがちですが、
やはりせっかく文句を書き残すのなら
質の良い文句が書けるようになりたいと思い、
こういった場でトレーニング中です💪

今日はそんな前置きとは全く関係ない、
「誰かを好きでいる」「ファンでいる」という
私の生き方の原点を探る話です💪
ちょっと一緒に考えて欲しい問題があります、

他人への憧れ

思い返せば私は、幼い頃からとにかく
他人への憧れが強く、
それと同時に嫉妬深い子だった。

近所のお姉さんが持っていたピンクの自転車が
どうしてもほしかったし
従姉妹が持っているオモチャが羨ましかった。
ピアノが弾ける、足が速い、お洋服が可愛い、
友人たちの光る才能に尊敬の眼差しを向けながら
何で私は何もできないんだろうと
羨望の矢印が内側に向くこともあった。
2.3歳の頃の記憶だ。
ダイソンも驚きの吸引力と記憶力。

いいなぁ、素敵だなぁという思いが
常に何かを頑張る原動力だった。
嫉妬という言葉を使うと後ろ向きなイメージに
囚われがちだがそんなことはなかった。
負けたくなくて私も頑張れた。

そうした憧れは少しずつ身近な存在から
外の世界へと発展していく。
家族や友達への憧れから
テレビの中の芸能人への憧れに。

誰かを応援したい、ファンである、
という生き方のルーツはここから来ている。
僅か4歳の私の目に飛び込んできたのは
当時大活躍だったモーニング娘。ひいては
ミニモニ。の存在だった。

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かわいらしい衣装を着て歌い踊る
彼女たちの姿は、エネルギッシュで煌びやかで。
私もどうしてもミニモニ。に入りたくて
家ではずーっとミニモニ。の音楽に合わせて
体を動かしていたそうだ。
そう、幼い頃の最初の夢は
「アイドルになること」。

いやまぁその前にアンパンマンになりたいとか
しまじろうになりたいとかそういう時期もあったんだけどさ。

私が愛した女たち

その頃母の教育の方針で
音楽スポーツ美術...とにかくいろんなことを
見たり聴いたり体験した。
その中で私にヒットしたのはミュージカル。
隣町の市民劇団や劇団四季の作品に
心躍らせ夢を抱いた。

劇団四季が全国を回りながら公演したり
地方にも数ヶ月滞在して公演したりするのは
都会と地方の芸術格差を無くすことに
一役買っていたのだと頭が下がる思いだ。
私にこの世界と出逢わせてくれて有難う🙇‍♀️

当時恋に落ちたのがミュージックシアターASAKITAという市民劇団で主演をはっていた(現在音楽座ミュージカルでご活躍中)
高野菜々さん
私は6歳、菜々ちゃんは高校生。

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文化庁芸術祭で新人賞を受賞するような
ひたむきな努力家でありながら、
豊かな才能に溢れた女優さんで、
市民劇団で高校生が舞台に立っているとは
到底思えないほどのスター性だった、
当時から凄まじく輝きまくっていた。
この出会いから3年後、音楽座ミュージカルに入団すると私の「ファン活動」はギアがかかる。
人生で初めて好きになった女優さん。

その後小学生の私がハマったのは
当時どの劇団四季作品を見ても主演だった
笠松はるさん
アン・シャーリーは特段お気に入りで、
今でもセリフを丸暗記している。
そばかす、おしゃべり、過剰なまでの比喩表現...
母に「しーちゃんにそっくりよね」と言われたことがきっかけで、大好きな役になった。

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その赤毛のアンを笠松さん目当てに観に行った際、出会ってしまったのが
吉良淑乃さん。
大きな瞳と全身を使ったダイレクトな演技表現が心に刺さり雷に打たれたような衝撃で恋に落ちた。

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以来10年以上私は「吉良淑乃さんのファン」
としての性質を強めて生きることとなる。
人間の60%は水だが、残る40%は吉良淑乃さんだった、あ、いや、これ「過剰なまでの比喩表現」だから。アンシャーリーだから。 

ちなみに吉良さんのお名前で検索すると
なぜだか私のツイートばかり出てくる。
恥ずかしいわ!笑



そして、自分が目指したい目標像として
はっきり浮かび上がったのが生形理菜さん
まだまだ現役でご活躍中なので
多くを語るのは控えようと思うが
私は一生この人を目指したいのだと思う。

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同じ頃、私にとっては異例の
バレリーナを好きになる事件も勃発。
馬場美根子さん。
先輩が出演するキャッツを観に行って目移り。
どうしても目が離せない存在になった。
そしてこの人が後に私の人生を大きく動かすことになる。今や大事なビジネスパートナー。
この小話はいつか、また。笑

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私の青春は「エルコスの祈り」に捧げたのだがその当時エルコス役だった中山理沙さんには新しい世界を見せていただいた。
引き続き応援してます、ずっと🧡


ミュージカルの世界で、魅力的な人たちに
心奪われ、好きになり、ファンになり、
いつかこの人たちと同じ世界に行きたい
というのが私自身がミュージカルの道を
選ぶ大きなきっかけとなる。
憧れ、羨望、嫉妬、その先の夢。


番外編。私は世間の波に飲まれて
AKB48を、も、好きになる。
ミニモニ。の時のアイドルオタクの気質が掘り起こされただけの簡単な話。
「推しメン」は佐藤すみれちゃん
かつてミュージカル子役だったことが
きっかけで好きになった。

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すみれちゃんはとっくに卒業したが、
48グループは私の青春そのものなので
今でも動向が気になるし、
サブスクめっちゃ聴いちゃう👂

以上
私が好きになった女たちの紹介でした。笑

友達がいちいち大好き

芸能人や舞台女優さんが好きで
ファンとして生きることが
自分のアイデンティティとして確立してきた頃
友達や先生に対してもいちいち
ファン活動しちゃうなと気づき始めました。
身近な存在から外の世界に向いた
憧れの矢印が、また身近な存在へ向き始めた!

好きな子に対してやたらと
あなたのこういうところ好きだよ!
と声に出したり、手紙に書いて、
本人に伝えちゃう。

私に関わってくれる全ての人に対して
顔が可愛いね!
言葉のチョイス面白いね!
生き様がかっこいいね!
いつもいろんな気づきをくれるね!
と感動が止まらない日々。

もう、みんなの、ファン。
それぞれの人生に、大きな花丸書いて
渡り歩きたい気分なのよ💮

私の面白いお友達たちは、Instagramで
たくさんご紹介しておりますので
みんなフォローしてね🤤💗
という突然の宣伝。

地元の友達も
同期も先輩も後輩も
先生も
バイト先で出会った人も
一緒にお仕事してる人も
趣味友達も
まじでみんなのこといちいち好きなのよ、
ほんまに。ほんまよ。
みんなのこと、応援してる。
みんなの素晴らしい人生に、
キラキラのシールいっぱい貼りたい。

「応援する」のマイルール

好きでいる、応援する、ファンでいる、
いろんな表現があると思うのだけど
その中でも今日は「応援する」について
書いているので、自分の中のルールを
ここで整理しておきたい。

①ポジティブな意見だけ本人に伝える
あなたこういうところ気をつけたほうがいいよ
あなたのそういうところ好きじゃないよ
みたいなこと、いうことはなくはないけど
「応援」としては言わないなぁ。
それは人と人としての付き合いとして
信頼してるから言うこと。
ファンとしては絶対にダメ出ししません、
好きだから好きでいるんだもん、
別に私がダメ出ししなくても
自己反省できるし指導者がいるもんな。

②好きを発信する
この人のこと好きです応援してます
ということを本人に直接伝えられる場合と
本人に届けられない場合がある(芸能人)。
どちらの場合でも本人に対してだけではなく
世間に対して、好きを発信する。
私というミジンコのような存在でも
ファンがいるという事実が、
活動の幅を広げたり寿命を伸ばすこともある。
社会からの評価に繋がる場合もある。
胸の内で思っているだけでなく、
声を出すことは特に意識している。

③心地良い範囲でそれなりの金と時間を注ぐ
やっぱり胸の内ではぁ〜好きって
思うのもあたたかいし大切だけど、
この世は金!かね!カネ!
金が動くことがその人の評価に直結するよね。
グッズを買う、チケットを買う、
でも無理して破産しない程度に。
自分ができる範囲で心地良い範囲で。
これは1番意識していること、かも。
気持ちの動きに乗せて金も動かす🔔


人を利用した自己肯定感と、なんとなくの背徳感

誰かを好きでいること、誰かを応援することは
私にとっての生きがいで趣味で
自分の心に優しい活動だったのに、
大人になると、社会のカタチが少し見えてきて
少しずつ背徳感を感じるようになった。

なんでも「1番」が好きな私は
誰かを応援する時もそれなりに「1番」
でいようと努力した。
1番最初に好きになった私、
1番お金や時間をかけて応援する私、
1番ファンの中で若い私、
1番ファンの中で名の知れた私。

なんだよ誰かのファンとしての
自分の地位を築いて
自己肯定感や自尊心を
守りたいだけなんじゃないか。

と気づいた頃に、
やっと大人になれた気がした。
ここだけの話、昔はいわゆる
「同担拒否」的な思想に陥り、
私の方が好きだし!私の方がファン歴長いし!
という過剰なアピールをしていた。
困ったやつだよ本当に。
ファンは多ければ多いほど、良い、というのは
今となっては分かるのだけど。

ちょっと背徳感を感じるようになった。
応援するってなんだろう、
誰のためだろう、
応援するのが趣味な時点で
少なからず自分のためでもあるよねぇ。
100%好きな人のための見返りを求めない愛
として捧げることはできていないなぁ。

だってさ、ファンレターのお返事は嬉しいし
いわゆる認知は嬉しいし。
それも、見返り、だよね、
求めちゃってるよね。
応援が届くのは嬉しいのだけど、ね、

人を消費している気がする

消費とは、欲求を満たすために財・サービスを消耗することを指す。

そう、そろそろ誰かを応援することか
消費活動な気がしてくるわけよ。
私が私の承認欲求を満たすために
人を消耗してる気がしてくるわけよ。

女性を好きになることが多いので、
「可愛い〜」「美しい〜」と口にすることも
人並みかそれ以上に多いのだけど
それもなんとなく消費的な言動な気がする。

テレビやラジオ、SNSでの活動を目にするたび
そのエネルギーを吸い取って自分の活力に
しているような気もして
これもまた消費的な行動な気がする。

人は誰もが消費者だとは思う。
しかしその対象は財やサービスだけでない気もしてくる。
他人を、他人の人生を、
「コンテンツとして消費すること」

嫌悪感と違和感を覚えて
なんとなく気持ちわりぃな、と
うすら笑みを浮かべながら
私はやっぱり消費する。

結局のところ、私が好きになる誰かは
私の人生を彩る存在でしかない。
私の人生の中心は紛れもなく私である。

自他が互いに影響を与え合う関係性であれば
消費している感覚にはならない。
友人との付き合いの中でこの一種の気持ち悪さを感じることはほぼない。

応援活動は、自分自身とは切り離されたところにその対象が存在するし、心理的な距離感からなんとなく消費している感覚が生まれ出る気がしている。

誰かを消費することで、
そことは切り離された自己の人生を豊かに彩り
どうにか生きようとしているのかも知れない。

私のこと一片の気持ち悪さを
理解できる人も理解できない人も
いるだろうが、ひとまずは
この思いを言語化し放出することに
意味があるのだと思いここまで書き綴った。

みなさん、どうですか?
いろんな意見が聴きたいし知りたいので
ぜひ私の耳に届く形で聞かせてください👂

まぁなんでもいいけど、
私の人生もあなたの人生も
豊かなものにしたいよね、

最後に最近好きになった女の話

ここまで散々語っておいてなんだが
最後に最近好きになった人の話をしたい。
私のキャリア選択に影響を与えた芸人さん。
ラランドのサーヤさん。
ネタが面白い、顔が可愛い、聡明、完璧。
組まれて初めて芸人さんにハマった私が
今一番刺激を受け、パワーをもらう存在。
みんなも要チェックよ。

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誰かを好きでいることは
消費か否か。
おしーえてーおじいーさんー。
眠いから変なところに着地。

つづく。

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