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描く→書く

随分と放置プレイをかましていたら、年も明けて1カ月経っていた。
なんというか、なんも言えねぇ。

昨年の5月に「メール私小説を書いている」とここに書いた。

この「メール私小説」なるものは2022年内に完結を迎え、改めて編集して「小説もどき」として一応の完成に至った。

最初にメール形式で読んでもらっていた友人に加え、別の友人たちにも完成版を読んでもらっているのだが、なかなか楽しんでくれているようだ。そのうちの一人は、「早く次の作品が読みたい!」と作家心をくすぐる声を上げてくれていて、煽てに乗りやすいブタのごとく調子に乗って木に登り、現在進行形で新しい小説執筆にいそしんでいる。

そう、今の私は完全に「書く」にシフトチェンジしている。
それに伴い、もうずいぶんと「描く」ことはしていない。なぜか。
たぶん、いろいろと悟ってしまったからだと思う。

まあ、これは乱暴なくらいとても大雑把な言い方だが、こう表現するよりほかにない。自分の力量の限界を悟ったとか、絵という形で表現したいことがさほどないことを思い知ったとか、単純に絵を描く体力と気力と持久力が自分には備わっていない&鍛えられそうにないと判断したとか等々、そういうことをひっくるめると「いろいろと悟ってしまった」の一言になるのだ。

何を目指しているわけでもなく、ただ好きで描いていたとはいえ、それでも無意識に自分で自分を追い詰めているようなところがあった、というのも少なからずある。ただ、どういう追い詰め方だったのかはうまく表現できないのだが。

もしかすると、絵を描こうと思い立ってから「こうなったらいいな」ということがことごとく実現したというのもあり、一種の燃え尽き症候群になってしまったと言えなくもない。

いずれにせよ、「よし、もう描かなくていいぞ」と自分を許した時から、とてつもない解放感が体中に広がったので、それなりに自分で自分を縛り上げていたのは確かだと言える。

そういった経緯で「描く」に対する一種の線引きをして以降、「書く」ことの楽しさにそれまで以上にのめりこんでいった。「書く」は、私にとって生活や生きることに直結するくらい身近なものであり、まだまだ楽しめる可能性が存分にある分野だったので。

Shina_ilbbというTwitter・Instagram・noteのアカウントは、そもそもは自作の絵を紹介するアカウントとして立ち上げた。だから、ここで小説などの「書く」ことについてを語るつもりはない。
でも、もしかしたらまた「描く」気が起きるかもしれないので(起きないかもしれないけど)、ひとまずは残しておくつもりにしている。

迷ったらワクワクする方へ。

これが、私の選択の基準。
今、とてつもなくワクワクしながら執筆活動を楽しんでいる。
これを読んでくださったあなたにも、すばらしいワクワクが訪れますように。



いろんな分野に好奇心丸出しで首を突っ込みつつ、野球にまつわる絵を描いたり、もっと野球を楽しむための学びに取り組んでいます。みなさんの素敵なnoteに触発されながら、わたしならではのnoteを綴っていきます。よろしくお願いします。