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自分らしさをいつも胸にもっておくこと (3) 学習欲

いつも、自分らしさを、胸にもっておきたい。

そう思って日々を過ごしています。

そのために、私は自分の5つの強み(資質)ごとに自分らしさのエピソードをいつも胸に持っています。

そのエピソードを思い出すたびに、私は、ああ、ここにこそ、他の誰でもない自分がいる、と感じられるのです。そして、胸のあたりが少し温かくなり、それまでより自信を持って一歩を踏み出せるような気がしてくるのです。

それと同じように、このnoteを読んだ方が少しでも何かを感じてくれ、同じように自分だけの5つのエピソードを持つようになってくれたら、嬉しいなと思っています。

[ 5つの自分らしさのエピソード ]
1. 共感性
2. 収集心
3. 学習欲
4. 成長促進
5. 運命思考
* いずれもストレングスファインダーの資質の名称です

3. 学習欲

みっつ目のエピソードは、学習欲についてです。

学習欲は、学ぶことが大好き、という資質です。収集心に似ています。しかし、収集心が集めること、ためることに重きを置いているのに対して、学習欲は学ぶというプロセス自体に喜びを見出す資質です。

私が、自分の学習欲という資質を強く感じるのは、ある本を読んでいるときです。

その本を読んでいると、文章と、その奥にある思想が、本から直接、皮膚を通して私の細胞ひとつひとつに吸収されてゆき、そして、細胞たちが踊り喜んでいるような感覚を覚えるのです。

私は、このときほど、学ぶ、ということの幸せを感じるときはありませんし、30分、1時間、この本を読み進めたあとは、まるで生まれ変わったかのようにすっきりとした気持ちになれるのです。

その本とは、中国の四書五経という古典哲学書の一つ、『易経』です。

本を読んだり、新しいことを学ぶこと自体、私は好きな方だと思いますが、それでも他の本でこんな感覚を覚えることはありません。それくらい、『易経』を読むことは私にとって特別な体験なのです。

『易経』について少し紹介します。『易経』は、原型が5000年ほど前に作られ、その後、何人かの人が書き足し、最後に孔子が解説を加えることで2500年ほど前に完成した哲学の書です。

占いの"易"のもとになっている本でもありますが、本来は君子が未来を予測して、国を治めるために学ぶ哲学書でした。

『易経』の思想では、世界が64種類のパターンに分かれ、その状態が移り変わっていくことで成り立っている、と考えます。そして、この書では64種類それぞれの詳細とその変化の法則について説いています。

数千年もの時の洗礼を受けて、なお残り続けるだけあって、非常に深い世界観を持つ書なのですが、それぞれの事柄がとても短い言葉で書かれているだけなので、実は読んでもよくわかりません。

世界はこう成り立っている、と書かれているものの、その根拠もなければ論理的な説明もなく、必ずしも納得感を得られません。現代にすぐに役立つノウハウが書かれているわけでもなければ、心動くようなストーリーがあるわけでもないのです

それでも、なぜか不思議と、読んでいるだけで、私の細胞たちが喜び、生まれ変わるような気持ちになるのです。その世界観に吸い込まれるかのようにその書を求めるのです。

何かはよくわからないけど、自分の触れているものの奥に何かがある。
今はその奥まで見通せないけど、間違いなく、そこにあるものは自分が心から欲しているものだ。
何かの目的のためにそれを手に入れたいのではない。
私はただ、それそのものを求めている。

そんな感覚なのです。

私が求めているのはもしかしたら、数千年の時を経て作られた世界の真理、人間の真理なのかもしれません。でも、それが何かまでは、まだ見いだせていませんし、今の私に言語化する力はありません。

それでも、とにかく私はこの『易経』を読み続けるのです。

私は『易経』と、その解説の書である『易経講和』を、線を引きながら、ページを折りながらすでに何度も読んでいます。そして、おそらくは一生繰り返しこの本を読み続けるのだろう、と確信しています。

なぜならば、そういう、ちょっと時代遅れかもしれないけれど、誰かにその本について語ろうと思ったら嫌がられそうだけど、でも、私にとっては本当に素晴らしい書を見つけられたこと、そして、そういう自分の感覚に対して、とても自分らしい思うからです。

また、この本を読んで細胞が踊っている自分こそ、本当に自分らしい時間だと感じるからなのです。それは、間違いなく、他の誰かの真似ではなく、私が自分で見つけた自分らしさだからなのです。


次回はよっつ目のエピソード、成長促進について紹介しようと思います。


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おまけ:

実は、本題とまったく関係ないのですが、私はこの本を読んでいるとき以外にも、もう一つ、自分の細胞を感じるときがあります。

(自分の細胞を感じる、というのは、みなさんにもよくあることなのでしょうか。比較的一般的なことでしょうか)

それは「たんぱく質が体に足りない、摂取しなくちゃ」と感じて、納豆を食べたときです。このときは、納豆に含まれるたんぱく質が自分の細胞に染みわたっていくのを感じるんですね。不思議な話です。

何が不思議って、まず、この感覚、納豆を食べた直後に感じるんです。
ええ、間違いなくまだ胃で消化されていません。下手したらまだ食道あたりを通っている頃です。細胞がたんぱく質を感じているはずがないですね。。

もう一つ、納豆を食べたとき以外にはこの感覚はないんですね。たんぱく質が足りないと感じるときはたまにあります。そんなとき、納豆が近くにあれば、納豆を食べますが、なければ、サラダチキンを食べたり、牛乳を飲んだりします。でも、そのときは細胞の働きは感じません。同じたんぱく質なのに。

まぁ、つまりは、単に、納豆が好き、ということなのかもしれません。

とにかく、私は、初めて自分の細胞を感じたときには、けっこう驚いたものでした。でも、こうして整理することで、それは自分らしさにもなります。

それは、悪くない感覚です。




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