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宗教2世って ④

心の拠り所 1

先日、統一地方選挙がありましたが、男子部時代を思い出しました。

十数年前、私は、とある地方に(首都圏近郊)に単身赴任的な感じで住み始めました。当時、心身共にかなり疲弊していたそんな時に私がこの地に住み始めたのを知った現地の男子部の人たちが来て、「一緒に学会活動をしませんか?」と誘われて、小学生ぶりに活動を始めました。
その頃、ちょうど選挙の頃で、毎週日曜日9時にその地域の男子部のメンバー(総勢50~60名)くらいのが会館に集合して、「朝出発」なるものを定期的にしておりました。
9時ピッタシから男子部幹部を導師にメンバー皆で勤行をして、活動報告を始めます。
司会の「皆さんおはようございます!先週までの活動報告と決意発表!」の声と同時に我先にと何人もの人が大きな声で「ハイッ!」と手を挙げて前に並びます。(因みに挙手をした時の手はパーではなくグーにします。)
一人ずつマイクを持ち「〇〇支部の△▢です!私は職場の同僚や高校時代の友人と対話してF20獲得しました!このあと、中学時代の友人と約束がとれましたので、しっかりと対話してきたいと思います!」などと発表していきます。
ちなみにFとは友人や知人に公明党候補への投票依頼をする事です。
なかには、F100獲得しました!なんて猛者もいました。
それぞれが発表していく度に大きな拍手と「頑張れ!」などと声援が湧きます。
まるで、ゲームのスコアを競い争うように発表が続き、最後に幹部の締めの挨拶とお題目三唱で終了です。

小学生以来、活動を再開してみたものの、客観的にしかその風景を見ることができず。その熱量にはついて行けませんでした。

発表している彼らは、決して悲壮感が漂っている訳ではなく、目を輝かせて楽しそうに、嬉しそうに発表していました。
正にこの場所や時間こそ、彼らの心の拠り所なんだろうな。と思いました。
以降、創価学会のなかで、なんとなく男子部として活動を再開してく事になりますが、彼らにとって何故、創価学会が心の拠り所になっていくのか見えてきました。

つづく

※創価学会を批判、中傷するつもりは全くなく私の人生を振り返った時に「宗教2世」というワードに対しての私なりの純粋な思いを綴っております。

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