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「正直」と「誠実」の違いについての話を読んだ話

誠実と正直の違いについてよく分かる文章だった。小説仕立てで面白く読めたし、そうするだけの意味のある選択だったと思う。

この筆者の言葉を借りるなら、筆者は村上春樹が好きなことを存分に文章に盛り込む程度には正直で、語り手に「やれやれ」といわせない程度には誠実だと言えるだろう。

正直ってなんだよという話

個人的な考えを言うと、正直というのは抜き身の刀で触るもの皆傷つけまくるような行為だ。

好意や愛情、親しさを覚えた相手にとっては小気味よくも心地良いかもしれないが、そうでない相手には手加減も悪意もなくともれっきとした攻撃となる。

そして最悪なことに正直は無配慮と相似であり、他者の気持ちは顧みない。人は正直になるとき、誰もが「自分の気持ちに正直になる」のだ。

何より人は正直になった時に極めて残酷になれる。

人生で「私は正直に思ったこと言ってるだけだよ。何が悪いの?」とかかとで踏みにじりながらきょとんと言い放つ人間に出会わずに済んでいるならば、それはひとつの幸運である。

いわゆる「正義」を振りかざす人間よりもたちが悪いのは、正直さは「正義感」ですらなく、その考えの内容を担保するものがなにもないことだ。

正義とは到底言えない独りよがりの「正義」すら、当人独自の「正義感」の裏打ちがあるものだが、正直にはそれすらないのだ。

じゃあ誠実ってどういうことという話

誠実は他者への配慮そのものだ。そこでは自己主張は封印され、相手となる他者がどう感じるかが主体となる。つまり誠実さは他者のために自分を偽り、殺す行為なのだ。

他人を切りつけても痛くはないが、自分を抑え、我慢し、押しつぶすのは痛くて辛いこともままある。

誠実は責任のもたらす結論かもしれないが、本質的には他者の苦痛を何らかの形で肩代わりすることだ。

相手となる他者が受ける苦痛よりも、自分が忍ぶあれこれの方が軽いことも多いが、そうでないこともある。

誠実であるということは、他者のひとときの笑顔のために命を掛けることですらあり得る。

だからこそ誠実は有限であり、誰に対してもそうあることはできない。

自分に対して誠実であってくれない人に向ける誠実さなど誰にもありはしない。向ける必要もない。

正直さと誠実さ、どうすりゃいいのさという話

こう見てくると、正直と誠実は似ていないどころか正反対の性質を持つ。自分の気持ちのために他人を切るか、それとも他人の気持ちのために自分を切るか。

自分が正直さや誠実さに対してどのように振る舞うかは、基本的にはミラーリングで構わないと考えている。

正直に言いたいことを言ってくる相手にはこちらも歯に衣着せず言いたいことを言う。自分に対して誠実であってくれる相手には誠実に振る舞う。

正直と誠実の違いに自覚的であればこれらは特に難しいことではない。

大切なのは、誠実は時に苦痛を伴い有限であるということ。だからこそ誠実さを安売りしてはいけないということだ。

相手を見て選び、大切な人にだけ誠実に、特別扱いすることだ。それは平等ではないにせよ、公正なあり方だと私は考える。


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