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56、コックリさん⑪ カッターナイフとおっぱい作戦

どこから手に入れたのかは分からないが、ナカムーはカッターナイフを手に持っていた。僕とユリカ様と忍者は女子トイレの奥に固まり身構えた。ナカムーは――女子高生の霊は女子トイレの出入り口を塞ぐようにして立っている。僕達はピンチを迎えていた。

「カッターなんてチラつかせやがって……」

ユリカ様がナカムーを睨みつけた。

「何、コレが怖いの?」

ナカムーはニヤニヤと笑いながらカッターナイフをブラブラと揺らした。

「そんな凶器を使わないとアタシを殺せないの?」

ユリカ様はそう言うと鼻で笑った。

「ふん、情けないヤツ。武器を捨てたら一対一で勝負してやるのに」

ユリカ様はふてぶてしい調子でそう言うと、ゴクリと唾を飲み込んだ。……これはユリカ様の作戦なのだと僕は思った。ユリカ様はきっと、ナカムーにカッターナイフを捨てさせようとしているのだ。

するとナカムーは口元を手で押さえてケラケラと笑った。

「そんな手に引っかかると思う? これは絶対に捨てませんから!」

そう言うとナカムーは、カッターナイフをユリカ様に向かって構えた。僕は身構えながら一歩前に踏み出した。

「あなたはユリカ様を殺し、それから僕達を殺すつもりなのですか?」

僕は答えの分かりきった質問を敢えてナカムーにぶつけた。それは時間稼ぎ以外の何物でもなかった。

「もちろん、そのつもり」

ナカムーは口角を歪めてクスリと笑った。

「でもね……」

ナカムーはそう呟くと氷のように冷たい表情に変わった。

「今はあなた達を殺さない。まずはこのおデブさんに犠牲になってもらうの」

ナカムーはそう言うと、カッターナイフの刃を自分の頸動脈に当てた。

「待て、やめろ!」

僕は片手を前に突き出し叫んだ。するとナカムーがわざとらしく困ったような表情を浮かべた。

「どうして、良いじゃない。あなたが悪いのよ、ユリカ様を殺さないから」

「そんな事、できるわけないだろ!」

僕はナカムーに飛び掛かってやりたい衝動にかられたが、下手に動くとナカムーの命が危なくなるのでグッと堪えた。すると、何かが僕の肩に触れた。

「亘(わたり)センセイ」

肩に置かれたのはユリカ様の手だった。ユリカ様は僕の顔をじっと見つめた。

「亘(わたり)センセイ、もういいわ。ありがとね」

ユリカ様はそう言うとニコリと笑った。……僕はユリカ様のそんな笑顔に初めて接した。僕は場違いにも顔が熱くなった。同時に、何かイヤな予感もした。

ユリカ様はナカムーの方へと向き直った。

「負けたわ、私の負けよ」

ユリカ様は諦めたような口調で首を左右に振ると、ナカムーの方に向かってゆっくり歩き始めた。

「何を一体……。ユリカ様、やめろ!」

僕はユリカ様を止めようとして叫んだ。そのまま進んでいくと、ナカムーにカッターナイフで切り刻まれてしまう!

「とうとう観念したのね、良い子!」

ナカムーは気味の悪い笑顔を浮かべると、ユリカ様の眼の前でカッターナイフを振り上げた。

「逃げろ!」

僕は再び叫んだ。しかしユリカ様はうな垂れるようにじっとしている。
――その時、それまで壁に張り付いて怯えていた忍者が大きな声を上げた。

「このクソったれデブ!」

忍者はそう叫ぶとポケットに入っていたのだろうか、何やらお菓子のようなものをナカムーに投げつけた。

「オイ、デブ野郎聞こえるか! 僕だ、忍者だ! さぁ、馬鹿なことを考えないでカッターを捨てろ!」

するとナカムーの動きが止まった。ナカムーは眼をパチクリとさせ、周囲を見渡した。それは普段のとぼけたナカムーの表情そのものだった。しかし、再び表情が変化し険しい表情に戻ってしまった。

「やっぱりそうだ!」

忍者が嬉々とした調子で叫んだ。

「ナカムーは霊に取り憑かれているけど、ナカムーの心に訴えれば元のナカムーに戻すことができるかもしれない! 霊を追い出すことができるかもしれない!」

――なるほどと僕は思った。忍者の呼びかけでナカムーは――女子高生の霊は一瞬動きを封じられた。それは本当のナカムーが忍者の呼びかけに反応して、女子高生の霊を押さえつけたからに違いなかった。

「僕ちゃん、私の邪魔をすると許さないからね」

ナカムーがカッターナイフを構え忍者に向かって来ようとする気配を見せた。

「ナカムーやめろ、僕だ、忍者だ! お前の友達の忍者だ!」

すると再びナカムーは動きを止めて周囲をキョロキョロと見回した。それから忍者は様々な呼び掛けをして、本当のナカムーを覚醒させようと試みた。

「ユリカ様」

僕は忍者が奮闘している他所(よそ)で、ユリカ様の手を引いて自分の方へと引き寄せた。僕はユリカ様に対し、自分一人犠牲になろうとする行為を思いとどまらせたかったのだ。僕は――僕達はユリカ様が死んでしまう事など絶対にあってほしくなかったからだ。僕に手を引かれたユリカ様は驚いたような表情を浮かべたが、しかし僕の手を離さずそのまま僕の正面に立った。僕はユリカ様の手をさらに強く握った。

「ダメだよ、独りで死ぬなんて許さない。君は僕達にとって、いや――」

そこまで言い掛けた僕は首を振った。「僕達にとって」という言い方は、本当だけれど本当ではないと思ったのだ。

「……何よ?」

ユリカ様はチラリと僕の眼を見ると、そのまま俯いて黙ってしまった。僕はユリカ様の手を両手でギュッと握った。

「――君は僕にとって、大事な人なんだから」

そう言うと僕はユリカ様を抱き締めた。……僕は、自分でもなぜこのタイミングでユリカ様を抱き締めたのか分からなかった。その時は命の危険に晒された極めて良くない状況だった。……でも僕は、今このタイミングでユリカ様を抱き締めなければならないような必然性を感じていたのだ。

「……だから、もう少し粘ってみよう」

僕はユリカ様の耳元で呟いた。

「僕達も、忍者と一緒に本当のナカムーを呼び出そう」

「……うん」

ユリカ様は僕の腕の中で呟いた。するとユリカ様は僕の身体をドンと強く押し退けた。――僕は一瞬、ユリカ様に殴られるかなと思った。しかし、ユリカ様は何も言わずナカムーの方へ身体を向けた。その時、ユリカ様が何を考えていたのかは今でも分からない。しかし、僕はユリカ様と心の深い部分で繋がる事ができたような気がしていた。

「うあぁああ……あうあうア……」

ナカムーはカッターナイフを握ったまま、呻き声を上げて身体を前後に激しく揺らしていた。それは女子高生の霊とナカムー自身がせめぎ合っているかのように見えた。表情も険しい表情から困ったような表情へ、コロコロと切り替わっているようだった。

「やめろ、私に抵抗するな!」

「イヤだ、カッターナイフを捨てるんだ!」

ナカムーの口から、女子高生の霊とナカムー自身の言葉が乱れ飛んでいた。ナカムーは女子高生の霊と必死で戦っているようだった。カッターナイフを首に当てたり、首から離して投げ捨てようとしたり、ナカムーはバタバタと一人暴れていた。

「ナカムー、頑張れ!」

忍者が両手を握り締めて叫んだ。

「ナカムー、『清掃部』のみんながここに居るぞ! 負けちゃだめだ!」

僕は声を張り上げた。――そうだ、清掃部のみんながここに居るんだ。そう思うと、なんだか僕にも力が湧いてきたような気がした。ユリカ様はじっとナカムーの様子を見つめている。ユリカ様は何か考えているように見えた。

「抵抗してもダメ、私が勝つんだから!」

ナカムーは身体を揺らしてそう叫ぶと、カッターナイフをグッと頸動脈に押し付けた。

「あはははは、これで終わりよ!」

ナカムーは絶叫した。――ダメだ、女子高生の霊はナカムーの首を切り裂いてしまう! そう思った瞬間、ユリカ様がナカムーに向かって叫んだ。

「ナカムー、アタシのおっぱい見せてあげる! だからこっちに戻って来なさい!」

するとユリカ様はYシャツの裾を両手で持ち、下からまくり上げようとするポーズをした。

僕はユリカ様の口から「おっぱい」というワードが出るとは思わず、唖然として立ち尽くした。忍者も顔を真っ赤にして口を開けていた。

しかし、ユリカ様の作戦が功を奏したのか、ナカムーは頸動脈からカッターナイフを離した。

「お……おっぱい?」

ナカムーが身体を震わせながらユリカ様をじっと見た。

「騙されないで……ユリカ様はあなたを騙して……」

女子高生の霊がナカムーを必死に抑え込もうとしているようだった。絞り出すようにナカムーは言葉を発していた。

「ほら、もっと見たいでしょ?」

ユリカ様はYシャツをまくり上げ、そのウエストを露わにさせた。――僕は眼のやり場に困りあたふたとしてしまった。忍者もさすがに困ったようで、その真っ赤な顔を両手で覆っていた。

ナカムーはこわばったような鈍い動きだったが、カッターナイフを放り投げようと懸命になっているように見えた。

「ほら、早くそのカッターを捨てちゃいなさい! そうすればアタシのおっぱい見れるから!」

ユリカ様はさらにYシャツをまくり上げた。もう少しまくり上げると、本当におっぱいが見えてしまいそうだった。

「う……おおおおおおおお!!!」

ナカムーはどこか喜びが混じったような声で叫ぶと、カッターナイフを廊下に向けて投げ飛ばした。――するとそのまま力尽きたようにその場に倒れてしまった。

「ナカムー!」

忍者がナカムーに駆け寄った。忍者はナカムーの上半身を抱き起した。ナカムーはスヤスヤと眠っているようだった。……周囲から緊張した空気が消えた。どうやらナカムーに取り憑いていた女子高生の霊は、ナカムー自身に追い出されてしまったようだ。僕達は――いや、ユリカ様は女子高生の霊をナカムーから追い出す事に成功したのだった。

「アタシの作戦勝ちね、そうでしょ亘(わたり)先生?」

ユリカ様は僕の顔を見てニヤリと笑った。しかし、僕は何と返事をしたら良いか分からず、ユリカ様と眼を合わせる事も出来なかった。

「――おっぱい!」

突然、ナカムーの喜びに溢れたような声が響き渡った。すると間髪を入れず、忍者の叫び声がナカムーの歓喜の雄たけびに被さった。

ナカムーは意識が朦朧として誰が誰だか分からなくなっているらしかった。自分の上半身を抱き起している忍者のYシャツを乱暴にまくり上げ、そのペタンコな胸に頬を摺り寄せていた。

「おっぱいだ、おっぱいだ!」

ナカムーは嬉しそうに叫びながら、忍者の胸板に抱き着いて離れなかった。

「あはは、これはケッサクね!」

ユリカ様がナカムーを指差しゲラゲラと笑った。僕もあまりの異常な光景に、つい声を上げて笑ってしまった。

「亘(わたり)、笑っていないで助けてくれ!」

忍者が半べそをかいて訴えた。僕とユリカ様はたまらず、お腹を抱えてゲラゲラと笑った。

「ねぇ、みんな」

しばらくするとユリカ様が笑うのを止め、僕達に言った。

「ちょっとアタシに付き合って」

ユリカ様はそう言うと女子トイレから出て行ってしまった。僕はナカムーを忍者から引き離し、忍者と二人してナカムーを抱えてユリカ様の後を追った。

この後、僕達はユリカ様から女子高生の霊の話し、それから別の話しを聞くのだった。僕達のコックリさんにまつわる心霊体験は、まだ序章に過ぎないのだった。


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