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「部活についてどうお考えですか?」

 みなさんこんにちは。森下眞之介25歳です。あと数ヶ月で26歳になると思うと、この感じでグングン加速的に年齢を重ねていくことを実感してます。確実に丸坊主高校生の15歳から20歳までと、20歳から25歳までは体感時間は違いますね。こうやって自分が高校生だった記憶を遡れるのももう少しなのかもしれないです。
 高校生の僕は部活動に明け暮れ、部活に生きていました。教員を目指したきっかけも野球部への魅力が理由の一つになっています。昨年の教員採用試験の面接で、「部活動についてどうお考えですか?」と質問されたのを、時間がとれた今週末で考えてみました。
 僕は部活には、学習と比べても十分な価値があると考えていますがみなさんはどうですかね?
 それぞれの価値観や思い、実情などコメントしてもらえると学びが深まりますので、良ければコメントよろしくお願いします。
 それでは、本編へどうぞ!


教育における部活

部活の価値は高い

「部活の価値は高い」
 これは、僕の答えの一つです。僕は野球一筋で育ってきました。どのタイミングで人生を振り返ってもそこに野球があります。野球で学び、野球で育った。そんな僕の思う部活の価値は2つです

共同体としての学びは深い
 部活動を行うには、部員の存在が欠かせません。自分一人で部活が成り立つことは殆どなく、協力して活動しています。その協力関係の中で与えられる役割は幅広く、先輩(後輩)としての振る舞い、チームに指示出す人・指示を出される人、技術を教える人・教えてもらう人、叱る人・叱られる人と、捻り出していったらもっと出てきそうです。人間関係の中で生きていく訓練としては十分な環境が作られます。時に、部活の関わりはクラスの関わりより強くなり、大変な時期も含めて共同体として過ごしていく最高の訓練になる。過激な言葉にはなるが、中学校や高校での失敗は取り返せる。この取り返せるチャンスは年を重ねるごとに減っていくので、共同体で過ごす経験は苦手でも経験して置くことは、教育的意義はかなり高いと考えています。共同体ごとのつながりの連続である社会に出ていくための練習として、部活は素晴らしい環境になっていると考えています。


価値を生産すること(=部活)は学習では学びづらい
 教育活動のメインであり学校の価値そのものである学習。これは文部科学省が指定した内容に取り組むもので正課の取り組みです。この正課の学習ではインプットが中心で自分を表現する時が試験しかありません。もちろんアクティブラーニングの活動が積極的に行われていますが、評価された時のマックスの価値が受験に活かせるほどのパンチは今のところありません。現状のシステムでは、学習によって価値を生産することは生徒の目の前では感じづらいです。(もちろん学習能力を高めた人材の方が生涯賃金が高いですが、子供の目線から考えると遠すぎて面白みが少ないです)
 体育会系の部活なら、勝利という価値を目指し、文化系の部活なら作品という価値を目指します。この価値を生み出す活動こそ、仕事に1番近い活動になると思います。自分のエネルギーを使って価値を生産していく。GDP(国内総生産)が国の経済指標になっているように、インプットではなく、アウトプット(価値の生産)で社会は作られています。部活という子供のエネルギーを価値(勝利や作品など)にしていくことは、社会全体にエネルギーに満ちたものにしてくれる。大小あるが社会に価値を生む活動を経験することは教育的意義は高いと僕は思います。


「教育の目的は、人格の完成」 ※教育基本法第1条
人格の完成を目指すのであれば、時代に合わせて学習偏重からコミュニケーション(人間関係)の要素を増やしていけると良いかと思います。企業の採用も少しづつだが柔軟になってきています。大学入試も総合選抜入試(前AO入試)が順調に拡大されていますし、社会は発達障害を社会問題にし、コミュニケーションや人間関係について課題を持っています。またAIの発展で知識の詰め込みによる仕事は減っていきそうですよね。30年前(1990年年代)に超小型高性能カメラ付きコンピューターをほぼ全ての人が持ち歩く社会を予測できなかったように、30年後には、今とは違う全く想像できない社会です。ただ間違えなく人間はいます。その社会を支えるのは人間であり、人間同士の繋がりなのではないでしょうか?

部活は、そんな人間の繋がりと人間としてのエネルギーに満ちた活動だ。


長時間労働の問題の中心=部活動

2021年スポーツ庁「運動部活の地域以降に関する検討会議」で出されたヒアリング資料(東北大学大学院教育学研究科青木栄一教授)の内容を引用させてもらます。

・部活動業務時間
 ・平日1日あたり41分
 ・土日1日あたり2時間9分(→全て残業)
 ・単純計算で1週間あたり7時間43分、1ヶ月(4週間)で30時間52分

https://www.mext.go.jp/sports/content/20211202-spt_sseisaku02-000019265_03.pdf

 現状、論理的に考えれば部活動は縮小させることが教員の適切な業務時間を確保する上で合理的な選択肢になるのがわかるデータでした。もちろん公教育の教員は残業代は出ませんので(部活の手当は少し出ます)ほぼサービス残業になります。1ヶ月部活のために約31時間のサビ残は過酷ですよね。部活がどれだけ魅力的な活動であっても、このような状況では縮小していくのは当然の流れです。

 ただ部活がなくなっても、無賃金の残業がなくなるわけではないのこともわかっていますので、通常の業務量の改善は並行して行う必要があると思います。今回の話とはあまり関係ないので深掘りはしませんが、教員の現場がブラック化していく時期とと大学進学率の増加が1990年から10年スパンで過酷さが増していく記事を見つけました。興味のある方は、こちらのリンクもご覧ください。僕は勉強になる話ばかりで、一気に読み切ってしまいました。

https://chikara.hateblo.jp/entry/2019/04/26/070625

https://chikara.hateblo.jp/entry/2019/05/07/044819

https://chikara.hateblo.jp/entry/2019/05/25/063211

また、令和5年度から部活動の地域移行が進み始め、教員以外のコーチが部活の土日指導を担うことに少しづつなっています。それぞれの最善策に向けて教育界が動き出していることを感じます。とても良いことです。

クリックでyoutubeに移動します。

部活の減少と部活のこれから

 部活の未来は教員という働き手の適切な労働環境と部活のために多く出すことができないお金の問題から、確実に減少していくものだと思います。どんなに僕が部活への価値を語ったnoteを書いたとことで未来は簡単に変わりません。また、この減少していく部活動は社会とのつながりが強いものが残り、社会とのつながりが弱い部活は消えていってしまうかもしれません。地域移行も地域の担い手がいなければ成立せず、社会に必要とされる部活はこれからも生き抜いていくと思います。これも資本主義的な淘汰なのかもしれませんね。
 どんなに部活の規模が縮小し、地域移行したり、消滅していく未来だとしても、僕の答えは変わらないです。部活の価値は高い。むしろ、これからの社会はより一層コミュニケーションの時代になり人間同士のつながりが豊かになる基盤になると思っています。物質的に満たされても、繋がり・共同体で満たされないと豊かになりづらい未来はもう近くにあるのではないでしょうか。SNSで繋がるにも相応のスキルが必要な時代になってきたとも思います。
学習というインプットだけでは学べない、価値を生み出す活動であり、共同体で生きていく人間らしさを学ぶ最高の練習場所にうってつけな活動こそ、部活だと僕は思います。

まとめ

 最後まで読んでいただきありがとうございました。
 部活がどれだけ価値のある活動でも、それを支えるシステムが限界を迎えている以上、改善(縮小)してくのは至極真っ当なことです。
 自分にとっての部活の価値を見直し、取り組んでいけることに全力を注ぐけど、現状は大きすぎる長時間労働の課題がある。
 これを、僕の今の答えにしたいと思います。

来年度の採用試験でもしっかりと一次試験を突破し、部活のことを聞かれても大丈夫なようにもっと理解を深めたい課題でした。

感想や、皆さんの部活への意見やなど
なんでもコメントお待ちしてます!!
本当に最後までありがとうございました!!

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