見出し画像

いま、中庸でいることの大切さ

ヤッホー!僕の大好きなフォロワーの皆んなも、たまたまこの記事を見た物好きの皆んなも元気してるかな?体調いけてる?

ということで今回は、目まぐるしく動く現在の世の中で”中庸でいることの大切さ”、つまり”バランスを取ることの大切さ”というテーマでゆっくり語っていきたいと思います。



中庸とは何か


どちらにも片寄らないで常に変わらないこと。過不足がなく調和が取れていること。ふつうであること。またそのさまや人。

精選版 日本国語大辞典


つまりバランスの取れた状態、支点(シーソーの真ん中の部分)、左や右に寄るのではなく真ん中、フラット、平、とまあこんなイメージとしてはこんな感じかな。



なぜ中庸にいないといけないのか?


①本質が分からなくなる

物事の本質を掴むコツは”色んな角度からその物事を俯瞰する”ことだと私は思います。例えば「左側に”だけ”タイヤが付いている車」を想像してください(実際にあるわけないです、ユニコーンです笑)。

もし片方にしかタイヤが付いていなければ車は走ることができません。正確にいうと走るかもしれないけど、タイヤが付いてない方はガリガリガリガリッと地面を削りながら進むことでしょう。

同じ形のタイヤが決まった左右対称の場所に付いているからこそ、スイスイッと車は快適に進んでいくわけです。物事も同じです、どちらかに片寄った支点で見てしまうと永遠に本質は掴めません。


②意識が持ってかれる(特にHSP)

敏感でHSP気質の方は良くも悪くもあらゆるものに同調しやすい共感能力を持っています(ある種ほぼ超能力)。そのような状態でどちらかに片寄ってしまうと、ほぼ確実に依存してしまいます。そしてこれは一般の方が考える以上に危険だと私は思っています。

世界はどんどん良くなっていきます。しかしその前段階として表立ってはどんどん悪くなっていきます。これも地球には必要な”デトックス”の期間なんです。中庸を意識しないまま過ごしていると、そのネガティブな想念を直で受け取ってしまうかもしれません。そのため敏感な方は特に今、注意すべきだと私は思います。


現在の分断された二極に振れている世界


例えばコロナワクチンについて、推奨派の話は私の担当ではないので割愛します。数は少ないですが反対派の方もいらっしゃいます。「遺伝子組み替えワクチンは危険だ!」と序盤に気づいた方もいれば、複数回打った後に気づいた方、また家族や友人を亡くされてから気づいた方、色んな方がいらっしゃるかと思います。

SNSを見ると自称目覚めた方(覚醒した方)が警笛を鳴らしています。そこまでは良いと思うのですが、行き過ぎた正義感のあまり接種してしまった方を侮辱するような投稿も目立ちます。「気づいてほしい」「立ち止まって考えてほしい」と相手の健康を思っての発信だったのに、本人たちも気づかない内に相手を侮辱してしまい、傷つけているような現状です。

大前提として打ってしまった方は”打った人生”を、打ってない方は”打ってない人生”魂の学びのために選択しているに過ぎないのです。打ったも正義、打たないも正義なんです。「相手に情報を出しつつ、自分の意見も最低限は伝え、相手の判断を見守る」というのが健康オタクである私が望む心持ちです。


では具体的にどうすればいいのか?


①刺激的な情報とは距離をおく

刺激的な情報とは距離をおこう。ここでいう刺激的な情報とは「殺人、芸能人の訃報、動物が〇〇頭殺処分された」とか午後のニュースで流れている情報ね。他にも気をつけたいのが「衝撃!事故動画50選」とかの”映像として何だか刺激的なやつ”も避けたほうがいいかもね。


②中庸の心地良さを知っておく

中庸の心地良さを知る。特にHSPは良くも悪くも”周りの意識が自分の意識に影響を与えやすい”ので、普段から瞑想したり、松果体で太陽見ながらボーッとしたりする時間を作るのも大切かも。

自分では「もうない」と思ってるけど、万が一いま考えてることや自分で知ってる情報が全て間違ってたら!?っていう可能性も一度経験してしまった以上、ゼロにはできないんで、右なら右、左なら左で受け止めるにしても中庸にいるのが一番ダメージ少なくない?ってので僕は中庸を意識してます。


③自然を見にいく、動物と触れ合う

自然の中に不自然はありません。(たまに自然の中に佇む人工物とかあるけど、あれはあれで大好物)基本的に自然の中には自然なものしかありません。個人的には自然の周波数と中庸の周波数はとても似ているんじゃないかと思います。あとは動物と触れ合うこともマル。オキシトシンも出るし。


知った上で中庸でいることができればベスト


「情報を見て意識が持ってかれるんだったら、見なけりゃ良くね!?」って思うかもしれない。僕的には認知戦の戦争真っ只中だと捉えているので、それをしてしまうと、それはそれで危ないんじゃないかとも思う。まあこの辺は個人の好みだ。

どうせ宇宙が完璧なんだったら”意識が持ってかれない程度”で一喜一憂して、楽しんで、泣いて、最後には笑って、「ラストに相応しい回だったな」って思いながら卒業したいとケチな宇宙人は思うのです。


いつも最後まで見てくれてありがとう。感謝!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?