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ダース・ベイダーが瞑想を欠かさない理由

「瞑想」と聞くと、どこか「ちょっとこわいな」という印象があった。自分の世代のせいかもしれないと思っていた。僕は小学生の多感な時期に95年の一連のオウム事件の報道をテレビで見ていた年代で、カルトの怖さ、瞑想、ヨガに関してのネガティブなニュース報道が、そういう印象形成に起因しているのは間違いない。
でも、先日あの有名な映画を観なおしていて、これが自分の「瞑想=こわいもの」っていう思い込みを作った原因だ、というシーンに再び出会った。スターウォーズである。

スターウォーズ・エピソード5『帝国の逆襲』に、ベイダー卿が自室(?)で瞑想用のカプセルに居るシーンが何カットか入る。そこそこ有名なシーンなのか、ちゃんとレゴになっているようだ(ちょっと欲しいけど、いいお値段)。

STARWARS GEEKTIONARYによれば、フォースの光の側面を扱うジェダイか、あるいは闇の側面を扱うシスであるかにかかわらず、フォースを扱うものは皆瞑想をすることがあるものの、ベイダー卿のこの瞑想室、"meditation chamber"は例外的に特殊で、かなり豪華な作りになっているようだ。確かに、何もない部屋や自然の中で瞑想するシーンは他にもあるが、わざわざ豪華な、ギミックのある瞑想室が登場するシーンは他に知らない。しかもこれは単なる瞑想プレイスというだけでなく、ベイダー卿はこのカプセルの中で瞑想すればその生命維持マスクを外すことができるという設定らしい。この瞑想室は彼の執務室の一角にあって、帝国支配という自分の使命を果たしながら、苦痛に満たされたその心身を休めるために、いつでも入れるようになっている。
実際にこの瞑想カプセルに入りながら、執務室にやってきた部下に命令を出したり、ディスプレイ越しにミスを犯した部下に倒して、フォースで手を下したりしている…(テレワーク!)。

子どもの頃、この映画を家で観ていた時、一緒に観ていた父親か誰かが「ダース・ベイダー、瞑想してんのか…』と呟いたのを聞いていたのだと思う。周知のように「ジェダイは”時代劇”のジダイのもじり」であるように、スターウォーズは東洋思想や心理学(特にユング心理学)からの影響がその世界観、設定段階から色濃く反映されている。
そのようなわけで、フォースという設定自体に東洋思想や瞑想実践の特徴が盛り込まれていて、特にベイダー卿が任務の傍ら瞑想をしていたシーンが、その時にかかる彼のテーマソングと共に、幼心にとても印象の残ったのだろう。もちろんダース・ベイダーは、子どもの頃からその圧倒的なカッコよさで、自分にとっても憧れの的だったけれど、瞑想室のシーンは彼の怖さ、怪しさ、そういったダークな側面を強く印象づけるものの1つだった。

フォースにはライトサイドとダークサイドがあり、その調和、バランスが大事と言われていて、ライトサイドにはライトサイドなりの、ダークサイドにはダークサイドなりの「瞑想」との付き合い方があるようだ。STARWARS WIKIPEDIAによれば、生きとしいける存在と繋がるリビング・フォースとの調和を目指すに長年鍛錬を欠かせないライトサイドの瞑想だけでなく、シス(暗黒面)のフォース使いは、「瞑想によって自らの心の中にある怒り、恐怖、憎しみを冷酷なパワーの純粋な一点に集中させ」て、フォースの力を強化する。同じ瞑想という言葉でも、利用のされ方は全然違うというのも、スターウォーズの世界観の面白いところである。

ではなぜダース・ベイダーは、瞑想をするのか。これまではそんなに気に留めていなかったけれども、改めて観直して、ベイダー卿が瞑想をせざるを得ない理由がよくわかる気がしている。彼は、他のダークサイドのシス卿が行ったように、単にそのフォースの暗黒面を強化するという目的だけでなく、全身の耐え難い苦痛を軽減するために瞑想を行なっている節がある。

マインドフルネス瞑想には、実践を継続することで不安感や抑うつ感の軽減、不眠の改善などの効果が知られていたり、疼痛の軽減への効果も報告されている(ただ厚生労働省の「統合医療」に係る情報発信等推進事業サイトでは、疼痛への効果のエビデンスは不明確と言われているが)。自分の怒りや憎しみ、そして痛みに対して瞑想するというのは、現代においては日常で多くの人に取り入れられている実践でもある。

今やマインドフルネス実践は、セルフケア、自己啓発、ビジネス書界隈でも巨大市場になっていて、2023年には2,500億円を超える規模に達するとも言われている。多くの人がセルフケア、特にリラクゼーションのために日常に取り入れている一方で、瞑想とダース・ベイダーのこわいイメージから連想すれば、このマインドフルネスの爆発的な流行は、現代がそれだけ苦痛に満ちた世の中になっているからなのではないか、という気もしてくる。もちろん、瞑想にも様々な側面が含まれていて、その活用法も今や多様である。ただ、どこかで今、自分達の中の「ダース・ベイダーなところ」が、瞑想を求めているような感じがある。むしろ、瞑想を欠かさないというより、欠かせない、ないとやっていけないといったほうがいいかもしれない。

気になって調べるとやっぱり、講談社から『ぼくたちは、フォースの使えないダース・ベイダーである』というタイトルの書籍が刊行されていた。辛い現代社会である…。

本書の中で、組織で生きる辛さを描くある節に以下のような記述があった。瞑想についても書かれているところだ。

黒い仮面をかぶって、己に課された任務を忠実にこなすダース・ベイダー。彼が黒いヘルメットを外し、ひと息つけるのは、彼専用の瞑想室のなかだけだ。偶然、ヘルメットが装着される瞬間をのぞいてしまったピエット提督同様、ぼくたちは生身のベイダーの傷ついた姿に衝撃を受ける。
黒くて威圧的な姿で、どんな時も常に強い態度でカンペキに任務をこなすダースベイダー。
けれど、ヘルメットを外した姿は、こんなにも弱々しい。このように体を酷使してまで、やらねばらならない仕事とは何なのか。
『ぼくたちは、フォースの使えないダース・ベイダーである』99頁。

痛みや苦痛を抑えながら、帝国のために任務を遂行するダース・ベイダー。そういえば先日、「ブラック企業のマインドフルネス研修」というパワーワードをネットで見かけた。Purserの書籍"McMindfulness"でも扱われているように、マインドフルネスは、社員が過酷に任務を遂行するための生命維持の機能をになっている側面が指摘できる。瞑想しなければ生きていけないほどの苦痛に満ちた現実がそこにある、ということかもしれない。上の引用に続いて、例の『ぼくたちは〜』では以下のように書かれている。

ぼくたちは、自分の夢を見失ったまま、組織の夢いを自分の夢に置き換えている。僕たちは名もなき英雄だ。日々の戦いに追われ、満員電車で揺られ、黒いスーツの下にある、心と体はボロボロでも、なぜだか"働いている"。
『ぼくたちは、フォースの使えないダース・ベイダーである』99頁。

マインドフルネスの流行は、僕らの心のはたらきのいわば”ライトサイド”の面だけでなく、ダース・ベイダーと同じように、とにかく苦痛を鎮めるための防御策、まさに息をするだけでも苦痛でありながらも生きながらえることを支える側面もあるのではないか。瞑想が流行するということには、その時、それだけ辛い時代・現状があるということも無関係ではないように思う。
釈迦が四門出遊で見た過酷なインドの現状、戦後アメリカのヒッピー文化、瞑想の流行の裏の泥沼のベトナム戦争、現代の特に先進国での閉塞的な空気感。この『ぼくたちは〜』はコロナ前に刊行されているが、テレワークの時期には実際的に、僕らは画面の前に縛り付けられて、つらくて仕方のない日々を送ることになった。生き残るためのマインドフルネス。この世界に生きる辛さを引き受ける人ほど、瞑想が欠かせない時代になってるようにも思える。

ダース・ベイダーは、『スターウォーズ』の登場人物の中でも最も苦痛や葛藤、悲劇に満ちた人物であり、この物語は、特にエピソード6は彼の救済の物語でもある。彼の抱え続けた苦痛は、以前にnoteで書いた現代の男性の生きづらさの話題にもリンクしているように思うが、性別や年代に関係なく、「孤立」の問題は多くの人に関係するのではないかと感じる。

現状を生きる厳しさを考えるとき、ダース・ベイダーのことを想うことは、とても示唆的である。特に、彼がどのように「救われた」のか、それがどう劇中で描かれたのかに、そのヒントがあるように思えてならない。「子ども」や「利他」が重要なキーワードだろう。これはまた別の機会にじっくり書きたい。

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