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人生ベストゲームから教えてもらった3つのこと

今年ドラクエが発売されて35周年になる。
35年、いまだに人気の続くビッグタイトル。
「3」が好き!「5」がベスト!「10」で人生が狂った!
シリーズごとにどれが好きか人それぞれあると思う。
実際、ぼくもそれぞれのタイトルに思い入れもあるし、思い出も山ほどある。
「10」はいまだに毎日やり続けてプレイ時間は4000時間を超えている。
ただ、ぼくにとってのベストドラクエは何か聞かれたら、
迷わずに「2」と答える。
「人生のベストワンゲームは何か?」って聞かれたら、
少し悩んで、やっぱり「ドラクエ2」って答えると思う。

『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』
1987年1月に発売されたファミコンゲーム。
もう34年も前のゲーム。
はがきが40円で送れた時代だ。
発売当時、ぼくは13歳。中1の終わり頃だった。
人生で初めて本気で熱中したゲームだった。
今考えるとボリュームはそんなにすごくない気がするけど、RPGというゲームジャンルに慣れてなかったこともあって、クリアするにはけっこう時間がかかった。
その間ずっとドラクエのことばかり考えていた。
そんな中学時代の思い出のつまったゲームだ。

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ただ、ドラクエ2は思い白いゲームなのか?と聞かれたら…
どうなんだろう。
とりえず、もう一回遊び直してみた。
スマホ版の「ドラクエ2」


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ファミコン版、スーパーファミコン版、ゲームボーイ版、携帯アプリ版、これまで色んなハードで何度も遊んできたけど、スマホ版は初プレイ。
超久しぶり、10年以上ぶりのドラクエ2
ああ、懐かしい。
そうそう、こういうゲームだった。

ドラクエ2はこんな物語─
勇者ロトが竜王を倒し、世界に平和が戻って100年。
邪悪な宗教を崇める大神官ハーゴンの出現によって、
世界は再び危機に見舞われていた。
世界滅亡を阻止するため勇者ロトの子孫3人が冒険の旅に出る。

ドラクエ1は勇者1人で旅に出る物語だったけど、ドラクエ2は仲間と共に旅に出るというのが大きな特徴で、チームで戦う戦略性が加わった。
1に比べるとマップも格段に広くなっていて、壮大な世界を冒険している感じがするRPGだった。

とりあえずスマホ版を最後まで遊んでみた
大神官ハーゴンと、その先に待ち受ける真の敵を倒してゲームクリア。
世界は再び平和になりました、とさ。
花火、ドドン、ババン!そしてエンディング。

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ふつうに楽しめた。
確かに面白かったんだけど。
これがベストワンのゲームというほどの面白さか!?
と言われると、正直、「うーん」としか言えない。
いま「面白いゲーム教えて」と言われても、このゲームの名前は出てこないだろう。

前にラジオでスキマスイッチの常田真太郎さんが「ドラクエ2」が一番思い出深いゲームだって言っていた。
面白さとか、ゲームとしてはドラクエ3が好きだけど、思い出の量で2だと。
ぼくもまさにそうで、ドラクエ2はゲームのデキ云々とは、全然違うレベルで「思い出」のベストゲームだ。

記憶の中にある「ドラクエ2」が美化されているだけといえばそれまでなんだけど、もう人生で「ドラクエ2」を超えるゲームには出会えない気がしている。
なぜそこまでこのゲームが好きなのか、このゲームが特別だと思う理由、「ドラクエ2」からぼくが教えてもらったことを3つ考えてみた。


1 わくわくが世界を大きくすること

まず、「ドラクエ2」の何がすごいかというと「世界の広さ」だ。
いまのゲームからすると実際のマップはそれほど広くもないのだけど、当時こんなに広大な世界のゲームは見たことがなかった。
途方もない広さに感じた。

「ドラクエ1」に比べて単純にマップが広くなったからというのもあるけど、なんでそこまで広く感じたのか。
それは世界の見せ方が、計算されていたからだ。

例えば、最初の城の中に「旅の扉」というワープポイントがある。
ゲームを始めたばかりの城の中の池にぽつんとある青い渦。
この渦に飛び込むと海の上の小さな孤島の上にワープする。

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ただ、ワープするだけで、この島にある町に入ることはできない。
ただ「見る」だけ。

世界のどこか知らない場所に、ぽつんと海に浮かんだ小さな島がある
それをスタートと同時に見せてくる

その島にはすぐにはたどりつけない。
かなり冒険を進めた中盤以降ではじめてたどりつくことになる。
その間、「あの島にはいつ行けるんだろう」ってずっと考えさせる。

ここではないどこかがあるという、わくわく感
これこそがドラクエ2のすごさだ。

ドラクエ2の何が好きかと言われたら、一番は冒頭の旅の扉の先にある島だ。
冒頭のこれ一発でドラクエ2のとりこになった。

ドラクエは、だいたい冒頭のマップの設計がすごい。
「ドラクエ1」では最初の城を出ると、海を隔てたすぐ近くに最後に目指す「竜王の城」がおかれている。
最初の画面の中にスタートと最終目的地が見えているというわかりやすさ。
おそらく大多数の人が初めて遊ぶ「RPG」という慣れないジャンルで、戸惑うことなくゴールを目指せるようにしている設計。
こうやってわかりやすく遊びやすさを追求していることがドラクエを特別な作品にしていると思う。

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一方の「ドラクエ2」は、最後に向かう「ロンダルキア」という場所は、冒険の途中では見ることができないように設計されている。
船に乗って、どの角度に回っても「ロンダルキア」がある場所は、山に覆われていて見ることができない。
ドラクエ1では意図的に最初に見せていたゴールを、ドラクエ2では最後まで見せないことで、世界の広さと、ミステリアスさを演出している。
見事なゲーム設計だ。
そしてそのロンダルキアに降り立ったときの新鮮な驚き。
長い長い洞窟を抜けて、外に出ると広がる一面真っ白な世界。
今まで緑だった平地のパーツが白くなってるだけなんだけど、たったそれだけの演出で、とんでもなく遠いところに来た感じが演出されている。
ファミコンカセットの少ない容量をフルに使った感動的な演出だ。
「長い洞窟を抜けるとそこは雪国でした」的な旅情感。

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どの順番で何を見せて、何を見せないか、この設計がものすごく計算されていて、それがドラクエ2の世界の大きさを実際の大きさ以上に感じさせている。

見せることでわくわくさせて、見せないことでもわくわくさせる、「わくわく」を足していくことで世界がより大きさを増していく。
「ドラクエ2」は、世界の大きさを意識させる最初のゲームだった。
その後も好きだなと思うゲームはどれも世界の大きさを感じさせるゲームが多くて、どこかでずっと「ドラクエ2」の体験を追い求めているのかもしれないなと思った。

2 つらさの先に感動があること

オリジナルのファミコン版「ドラクエ2」はどちらかというとバランスの悪いゲームだ。
それは「ドラクエ1」の発売の8ヵ月後にリリースされたというスケジュールの短さが影響していて、開発時間が不足していたことが大きな原因のようで、ゲームバランスの調整がどうみてもうまくいってない
少し先に進むといきなり敵は強くなって、すぐ死ぬ。
さきほどの長い洞窟の先に出現するロンダルキアもそうだ。
着いたとたんいきなり悪夢的に強い敵が出てきて、ヘタすると歩き始めた瞬間に瞬殺されることもある。またあの長くてきついダンジョンをやり直すのか…と、絶望的な気持ちになる。
実際、ぼくも最初にロンダルキアに着いた瞬間にブリザードに遭遇して、ザラキを喰らって一瞬で強制送還された記憶がある。泣いた。そしてコントローラーを投げつけた。
苦労の末たどりついた最後の敵も、凶悪に強い上に、倒せそうって思ったら体力を全回復するベホマの呪文を使われて、絶望の底に突き落とされたり…。
そしてまたコントローラーを投げつけて泣いた。

謎解きに関しても、今のドラクエから考えると少し不親切で、重要アイテムのありかがわからないで途方にくれる子供たちが続出した。
何もないところを調べる、何もない黒い画面に向かって歩く、いま考えれば特に難しくない謎解きなんだけど、この時点ではそういうアクション自体が認知されてなかったので、慣れていないプレイヤーにはなかなかの難問だった。
当時はインターネットもなかったので、攻略情報は口づてで伝わってくるものを信じるしかなく、ぼくもまったくのウソ情報を信じて、ひたすら何もないところを一歩ずつ「しらべる」し続けたり、なかなかカオスな状態に陥って途方に暮れた。

有名な「ふっかつのじゅもん」の悲劇もドラクエ2の名物的な存在だ。
「ふっかつのじゅもん」というパスワードを使ったゲームデータの保存方法。
最大52文字、1文字でも間違えるとゲームデータが消える凶悪さで、必死で書き写した。でもテレビの解像度の低さもあいまって「め」と「ぬ」が違うとか、「ば」と「ぱ」違うとか、細心の注意をはらっても「じゅもんがちがいます」で、やり直すという悪夢を繰り返した。

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とにかく理不尽さに苦しめられたのが「ドラクエ2」だ。
しかしそれでもなお、クリアするために果敢に挑戦していった。
この理不尽さと、不自由さと、バランスの悪さ、じつはこれこそが、「ドラクエ2」の魅力のひとつと言える部分だ。
涙の数だけ、思い出も、感動も強くなる。
理不尽さに涙しつつエンディングにたどりついたあの瞬間の感動。
つらい思いを乗り越えた先に感動が待っていること、それを教えてくれたのが「ドラクエ2」なのだ。

当時の「ドラクエ2」のプレイ風景が再現されている作品がある。
ドラマ「ノーコン・キッド」の第4話。
時は1987年、受験勉強の最大の敵として立ちはだかる「ドラクエ2」に、主人公たちが立ち向かう話。徐々に仲間が増えていったり、ふっかつのじゅもんを間違えたり、レベル上げをしていったり、ドラクエ2の物語に沿ってストーリーが進んでいく。当時の空気がなんとなく味わえる。NETFLIXで配信中なのでぜひ。堀井雄二さんもゲスト出演してます。


3 ゲームから離れているときに世界が広がること

昔のゲームは想像力を刺激していた」的な話がちょくちょく上がってくる。

この記事はまさにそうだ。

この記事の内容にはぼくも賛成で、ドラクエをやりながら、ドット絵の草原を広大な草原のように空想して遊んでいたかというと、そんなことはない。

ゲーム画面を見たままにドット絵をドット絵として遊んでいた。

ドラクエはどちらかというと記号的意味合いの強いゲームで、実際のゲーム画面からリアルな冒険感を味わえるかというとそんなことはない。
かといって脳内でそれを補完して遊んでいたかというと、やはりそんなことはなく
ゲーム画面をそのままゲーム画面として見て、それで楽しんでいた。

ただ、「昔のゲームの方が想像力を刺激していたかどうか」については、それは確かにあったと思う。

それはゲームをしている最中というよりは、むしろ遊ばない時間、プレイから離れている時間に存分に発揮されていた。
例えば学校の授業中。
昨日遊んだドラクエ2のことを想像する。
いま装備しているのは「銅の剣」に「革の鎧」に「革の盾」だ。
それはどんな装備なんだろう。
画面の中では記号のようなキャラクターしか描かれていないから、脳内でそれを想像して補完する。
そしてノートにそれを描いてみる。
そこには自分の頭の中で考えた自分だけの勇者がいる。

当時の落書きは残っていないけど、ようするにこういうヤツだ。

そしていまどんなところを旅しているのか想像する。
ドット絵で描かれた世界は、実際はどんな世界なのか。
前日ゲームで旅した風景を頭の中で再現していく。
ゲームの中では数分でたどりつく隣の町に、実際は何日かけて移動しているんだろう? たき火をしたり、野宿をしたり、するんだろうか。
そしてどんなものを食べているんだろう。
そういうことをひたすら考え続けていた。

ゲームで冒険しているときよりも、想像の中で冒険している時間の方がはるかに長かった。
ゲームをしている間ではなく、ゲームから離れているときに、むしろ世界が広がっていた。
そして、ゲームの中に描かれている世界が記号的なものだから、想像の翼はどこまでも広がっていく。
それが「昔のゲームは想像力を刺激していた」ということなんじゃないだろうか。

完成されていないからこそ、想像力の翼を広げて楽しむ喜び
想像することで世界が広がっていく楽しさ。
それを教えてくれたのが「ドラクエ2」だった。

未完成だったから、想像力の入りこむ余地が大きくあったから、ドラクエ2は心の中ですごく大きな存在になっていたんだと思う。
中学2年の頃に出会ったという時期的なものも大きく関わっていると思うけど、あとにも先にもここまで深く心に棲みついたゲームはない。

「ドラクエ2」との出会いがきかっけで、ゲームが本当に好きになった。
それがきっかけで「ウィザードリー」の存在を知り、「D&D」やテーブルトークRPGの存在を知り、ファンタジー世界の奥深さに触れ、その関連の本を読むようになった。
自分の「好きなもの」のきっかけになった作品だった。

心の中で大きくなりすぎてしまったんだ「ドラクエ2」が。


ちなみにぼくが頭の中で描いていた「ドラクエ2」の世界は、西洋のファンタジーにあるようなダークな世界感とはちょっと違って、独特の明るいファンタジー感でなんとなく「ナウシカ」に近い世界感だった。
ファンタジーの知識の蓄積がほとんどなかったからかもしれないけど、鳥山明が当時「ナウシカ」が大好きで何度も見ていて、デザインに少し影響しているというのも理由にあるのかもしれない。
去年、劇場で久しぶりに「風の谷のナウシカ」を見て思ったのは、「うわー、これ、なんだかドラクエ2だー」ってことだった。
ロトの紋章が、ナウシカの着てる服の模様に似ているってことにも去年初めて気がついた。有名な話だったみたいだけど。


◎思い出を追体験できる最強の「ドラクエ2」

スマホで遊びなおして、クリアした「ドラクエ2」。
もちろん面白かったんだけど、やはり記憶の中のドラクエ2ほどではなかった。

もはや記憶の中の「ドラクエ2」を超える存在はないだろう、そう思っていたところですごいものに出会ってしまった。
それがこれ。
「ゲームブック ドラゴンクエストⅡ(エニックスオリジナル版)上・下」(1989年・エニックス文庫)
発売当初はスルーしてしまっていて、後年、かなり面白いらしいと噂に聞いて、ずっと気になっていた存在だった。

定価は各580円。ただもう絶版になっていて入手困難な本。
上下巻ともに定価の10倍くらいの値段で入手した。

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ゲームブック」を少しだけ説明しておくと、選択肢を選んで読み進めていく本で、「右に進むなら89 左に進むなら151」というように書いてある番号に進んでいって、アイテムを手にいれたり、敵に遭遇したらサイコロの目で戦闘をしたり、経験値をためてレベルアップしたり、小説を読みながらアナログでRPGを遊ぶ本のこと。

この「ゲームブック ドラゴンクエストⅡ」(上下)各巻500ページ、つまり合計1000ページ近くある。

中はこんな感じ。

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ゲームブックなので全部を読むわけじゃないけど、1000ページはかなりのボリュームだ。
少し前に上巻を途中まで読んでいたのだけど、時間がなくてなかなか先に進められないでいた。
このままじゃずっと積ん読してしまいそうだ…。そう思って週末に意を決して、最初から読み直して、最後まで読むことにした。
今年の2月から1日1冊本を読むという習慣を実践中なので、上下巻セットで1冊にカウント(85日/85冊目)することにして、昨日の日曜日、ほぼまる1日かけて読んだ(いや、遊んだ?どっちだ)。

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冒険の進行はこういう紙に記録して進めていく。
ズルはなし、番号の記録なし、一発勝負で挑むことにした。

BGMは、もちろん、これ。
最初はカセットテープで買っていて(確かカセットの方が500円安かったとかそういう理由だった気がする)、あとでCDを買い直した初代サントラ版。
曲の軽快さとか、この初代サントラ版が一番好きだ。

早朝に読み(遊び)はじめて、夕方頃に終了。
10時間くらいかかった。
その間、休憩なしでぶっ続けで読んだ(遊んだ)。
そして無事エンディングにたどりついた。

こ、これはすごい。
物語は確かに「ドラクエ2」だ。
しかし完全にそれを超えていた。

単にゲームを小説風にして落とし込んだのとは違っていた。

まず設定のうまさにやられた。
本来のテレビゲーム版「ドラクエ2」で誰もが疑問に思う点。
主人公が勇者の子孫で王子様なのに“50ゴールドと銅の剣”だけを渡されて、世界を救えと旅に出されるという、ゲームならではの理不尽な設定。
王子でしょ?勇者でしょ?なに?鬼なの?っていう、ゲーム的都合の設定も、実に見事に改変されている。
ゲームブック版の設定はこうなっている。
「国家が危機に陥っている状態で、国を守るために王子が旅に出ることが許されず、王様の反対を押し切って逃げ出すように旅に出たため結果として「50ゴールドと銅の剣」しか持っていけなかった」という物語上の必然として語り直されている。
これなら納得がいく。つまり主人公の王子は身分を隠して旅に出ているのだ。

また移動の描写もすばらしくて、次の町まで5日かかって移動とか、洞窟に着くまで10日歩くとか、空想で描いていた冒険感がしっかり再現されている。

キャラクターの肉付けのしかたもすごく練り込まれている。
ファミコン版で役立たずのレッテルを貼られ、それ以降の移植版でもそこそこ活躍はするものの、力は中途半端、呪われたり、ちょっと残念な存在に扱われていたサマルトリアの王子が、実に魅力的な男として語り直されている。
彼は明るくて無鉄砲なナイスガイになっている。呪われもするし、アホなこともするけど、それがきちんと魅力の一部になっている。分岐によっては戦争を食い止めるほどの活躍までみせて、とにかく活躍する男になっている。

もちろんゲームからの改変はたくさんされているけど、町の名前や人の名前、謎解きの基本要素は、そのまま活かされている。
ラゴスも出てくるし、歌姫アンナまで出てくる。
竜王のひ孫が、主人公達と一緒に戦いに参加したり、ゲームにはない展開に感動する場面も多かった。

ラスボスである大神官ハーゴンの描かれ方もなかなか興味深かった。
もともとはただの神官だったけど、書物を読むうちに「この世の絶対的真実は、誰にでも平等に死が訪れること」という思想を抱き、世界を公平にするために全てに死を与えるという歪んだ信仰に取り憑かれていく。
世界を滅ぼそうとする純粋な悪ではなく、宗教を崇める歪んだ思想の持ち主として語れ直されていて、設定に深みが足されている。

「何もない暗闇に向かって歩く」という謎解きも、ゲームブックならではの手法でしっかり継承されていたり、攻略が難しかった記憶のある印象的なダンジョンはコマを選択するマンガとして再現されていてビジュアル的に体験できたり、絶対倒せない敵には負けてもその先の展開が用意されていたり、とにかく「ドラクエ2」という作品をしっかりなぞりながら、それをみごとにアレンジし直している。

IMG_6104のコピー

オリジナルへのリスペクトとアップデートのしかたに圧倒される作品だった。

まちがない。これは「傑作」だ。

思い出の中のドラクエに匹敵する、ある意味ではそれを超えるクオリティを持った作品だ。
最強の「ドラクエ2」体験ができる作品と言っていい。

「ドラクエ2」に少しでも思い入れのある人には是非、このゲームブック遊んで欲しい。

ただ、絶版しているため簡単に入手できないのが残念だ。
こんな傑作を埋もれさせておくのはあまりに惜しい。

このゲームブック、なんとかこれを復刊できないものだろうか。
ドラクエ35周年ってことで、何とか。
来年は「ドラクエ2」35周年だし、そのタイミングにでもぜひ復刊して欲しい!

とにかく、このゲームブック最後まで読んで(遊んで)良かった。
ステイホームしながらの、最高の冒険体験だった。

やっぱ「ドラクエ2」最高だ!!!!


追記:
この記事を書いた2021年「世にも奇妙な物語2021秋の特別編」で「ドラクエ2」をモチーフにした「ふっかつのじゅもん」ってドラマが放送されました。

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ゲーム内に出てきた「ふっかつのじゅもん」でドラクエ2遊ばなきゃ…って思いながらまだできてない。


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