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フリーランスになったはじめの一歩

フリーランス・デザイナーの井上新八です。

今回はフリーランスになったきっかけについて書いてみます。
学生時代に踏み出した最初の一歩の話です。
本当に小さな小さなファーストステップ。

「就職戦線異状なし」という映画があった。

1991年の映画。織田裕二主演。
槇原敬之の「どんなときも。」が主題歌で、
この曲のヒットで彼は初めて紅白に出た。

この映画は、バブル期の超売り手市場の就職戦線を描いていて、
企業は新入社員獲得するために、あらゆる手を使ってくる。
内定した学生を確保するために接待したり、
旅行に連れていってコンパニオンを呼んで囲い込んで、
他社の面接に行かせなかったり、
今考えると信じられない。
ほとんどファンタジーのような世界だ。

当時はくだらない映画だと思っていたんだけど、
数年前にたまたまテレビでやっていたのを見て印象が変わった。

改めて見てみたら面白かったのだ。
この頃の浮かれ上がった時代の空気感もおかしいし、
マニュアル化され始めた学生の就活対策だったり、
「新人類」と言われた世代就職感や、
自分探しの感覚だったり、
かなり誇張されてデフォルメされているが
当時の時代の空気感が描かれている。
時間を経て見てこの映画の価値が分かった感じがした。

そんな映画が公開された翌年、ぼくは大学に入学した。
将来のことなんて真面目に考えたことはなかったけど、
卒業する頃には「就職戦線異状なし」みたいなことが待っていて、
そんなに深く考えなくてもどこかの企業に就職して、
何となく社会人になっていくんだろうなって、
漠然と思っていた。

だけど卒業を控えた頃に世の中は一転していた。
数年の間にバブル景気の浮かれた空気は完全に終わって、
完全な不景気、真逆の世の中になっていた。
就活生にとっては、いわゆる就職氷河期が訪れていた。

大学4年になったとき、
在籍していた学科では前年に1人しか就職が決まらなかった
というようなことを就職説明会で言われた。

もともと真面目な学生ではなかったし、三流大学で、
成績も悪けりゃ、絶対にこれがやりたいというようなこともなかった。
漠然と映像関係の仕事か、ゲーム会社に就職したいなんて思っていたけど、
そんなのは夢のまた夢。
どこの会社にも入れる可能性はなかった。
だから、就活は諦めた。

記念に好きだったゲーム会社を3社受けた。
確か、コナミ、ナムコ、セガの3社だったと思う。
コナミだけ1次試験を受けられたけど、他は書類で落ちた。

はい、就活終了。
確か、まだ夏前頃の話だ。
どうしよう…って感じだった。

どうしようって言っても
何もできるわけでもなく、
でも何もしないわけにはいかない。
禅問答のような毎日を送っていた。

何ができるのかよくわからないけど、
何かするしかない。
きっかけはよく覚えてないけど、
何となく思い立って、名刺を作ってみた。

家のMacとプリンターで出力したただの紙切れだ。
でもよく考えてみたら、
これがぼくの「フリーランス」人生のスタートだった。

スキルもコネもツテも本当に何もなかったけど、
名刺を作ることから全てが始まった。
始めに言葉ありき、ならぬ、始めに名刺ありきだ。

自分に何ができるか分からなかったので、
とりあえず「映像作家」という肩書きを入れた。
単に映画が好きだからという理由だ。
何も作ったことがない映像作家…
いま考えてもよく意味が分からないけど、
まずは名乗ってみた。
本当にたったそれだけのことだった。
だけどひとつアクションを起こしたことで、何かが動き出した。

名刺を渡していったことがきっかけで出会いがあり、
小さな出会いが重なって、
いつのまにか仕事が始まっていた。
それまで何もしたことなかったのに。

「引き寄せの法則」というのはこういうことなのかもしれない。
ぼくの場合は「名刺」を作ることで全ては始まった。

それは「就職戦線異状なし」を見て描いていた未来とは違うものだったけど、
世の中が変わってしまったからこそたどり着いた未来だと思う。

その「就職戦線異状なし」だけど、
映画が公開された時には実はもうバブルは崩壊していた。
つまりあの浮かれた就活戦線は実際の1991年にはなかったものだ。
公開時に見た就活生にとっては、
「訪れなかった現在」を描いた映画であっただずだ。
リアルタイムで映画を見ることで味わう
何とも言えないパラレルな映画体験だっただろう。

先日見に行った映画「ステップ」でそれに近いことを味わった。
映画は突然の妻の死でシングルファーザーになった
父と2歳の娘が成長していく10年の物語なのだけど、
この映画、最後が2020年の3月で終わる。
そこで義父が入院し、娘は小学校を卒業する。
現実の2020年では義父の見舞いには気楽に行けなかっただろうし、
娘の卒業式も行われなかったはずだ。
普通に訪れるはずだった未来は実際には訪れなかった。
これもリアルタイムで見ることで味わうパラレルな世界だ。
未来はいつも不確かだ。
思っていた通りの未来が訪れることはほとんどない。
向きあって抗うのも、ただ受け入れるのも自分次第だ。


<つづきのはなし>



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