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生活保護で育った私は国際協力をして生きている


私は都内で1歳2歳を育てる母、29歳です。

産まれてからすぐ両親が離婚し、中学2年生まで、13年間、生活保護をもらって育ちました。

大人になった今では寄付をもらって、経営をして、お給料をいただいております「それって、どういうこと?」と思われる方もいるかもしれません。


高校2年生、17歳の時にテレビで西アフリカ、シエラレオネ共和国の現状を知りました。
22歳の時にNGOを立ち上げました。
そして25歳からはNPO法人の代表理事として皆さま個人から寄付をいただき、シエラレオネ共和国で貧困を削減するための4つのプログラムを作り、7年間で1,100人の、児童労働に従事する子どもや、シングルマザーで最終学歴が小学校という女性達などに、就労と教育の機会を提供してきました。

その経費(人件費)として毎月一定の役員報酬をいただいています。

外的要因によって、一時的に経済的困難に陥る人々をサポートすることを生業としてきました。

事業地が西アフリカのシエラレオネという国のため、私の仕事はときに「国際協力」と呼ばれたりもします。

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シエラレオネの国旗は日本のファミリーマートに似ているとオリンピックで話題になっていました!(笑)シエラレオネの国旗をみせると「コンビニにそっくりですね!」と毎回講演会の時に、参加者さんが、盛り上がります。笑 日本人にとってはある意味、意外と馴染みのある国(?!)なのかもしれません。


幸福を感じなかった幼少期

すごーく個人的な話しになるのですが、私は幼少期から高校卒業までに、超貧乏家庭と、超裕福家庭の両方の生活を体験しました。今ではそれはとても貴重な経験だったと思っています。どう貴重だったかと言うと、単に貧乏・裕福という両方の体験ができたから、というわけではなく「人の心の豊かさのバロメーターに触れた」から貴重だったのだと思います。私はずっと、母の心のバロメーターを計測し続けていました。


私を1人きりで育てることになったシングルマザーの母はまだ23歳でした。私を育てるためゴルフのキャディーという大変な肉体労働をしていました。幼少期の母とは、喧嘩をし、よく泣いていた思い出が強いです。私は小学校では不安定で、友達と仲良くできない子どもでした。弱い子をいじめる子どもでした。母の「心の豊かさのバロメーター」はいつも限りなく0に近いギリギリのところで振れていたと思います。

中学2年生の時に母に新しいパートナーができました。母より18歳も年上の実業家の彼氏となんと(今回は)結婚する!ということでした。その時に、母の「心の豊かさバロメーター」は爆上がりしました。

一番の原因は、パートナーと家族になったという証明を得たこと、次に、経済的余裕ができ一時期仕事を辞めたことだと思います。時間があるため、毎日母と一緒に温泉に行ったりするようになりました。(実家は山梨です)

私は初めて家族ができたことを、3年くらい経ってからよかったなぁと思いました。もちろん思春期にいきなり、見知らぬ中年男性との生活がスタートしたため、最初の2年はかなりの攻防戦でしたが…。

高校生の頃から、母とはすごく仲良くなりました。


この経験から、人の性格、もう少し紐解くと人の怒りの沸点は、心の余裕のなさに比例し高くなり、心のバロメーターは、経済状況に大きく依存するんだなぁと、深く納得したのでした。


私は高校では、授業で一番手を上げて、先生に猛烈に絡んでいく生徒になっていました。友達や当時の彼と過ごす時間はまさに青春でした。勉強も部活も死に物狂いで誰よりも努力していたと思います。

特に吹奏楽部での部活はかなり精神的に鍛えられる体験をしました。

しかし、17歳の時に人生の全てが変わりました。

『世界がもし100人だったら』というテレビ番組でシエラレオネの戦争孤児の男の子、アラジくんのストーリーを知り、その後の人生全てが変わってしまうくらいの衝撃を受けたのです。

私はその後、大学で国際協力専攻を卒業し、そのまま就職せずアルバイト、一人暮らしをしながら100万円以上借金して、シエラレオネに何度も足を運ぶことになるのですが…。詳しくは割愛します。(よかったらこちらのストーリーnoteをご覧ください


シエラレオネの農村部で出会った子どもたち

NGOの活動をはじめて間もなくすると、シエラレオネの農村部の森の奥深くでは、痩せてお腹が出ている子もおり「お金をちょうだい」「将来の夢は村に綺麗な水をひきたい」「でもお腹が空いて勉強できない」そういう子に何人も出会い、厳すぎる現場の現実に、直面することとなります。

最初は、私もなかなか冷静ではいられませんでした。自然災害で両親を亡くした小さな子どもにヒアリングしたその晩、近所中が心配するほどの号泣をしたり、自分自身が体調を崩し全身の虫刺されが膿んでしまったり、活動地で犬に噛まれるなど、最初は現場で力になるどころか、周りに迷惑をかけてばかり。

しかし7年もたつと、感情で動くということはほぼなくなり、100時間以上児童労働をして過ごす子どもたちのヒアリングでも、支援をするにいたる条件を満たしているか、試行錯誤を重ねつつ、線引きをする毎日です(もちろん、活動の幅は日本で集められる資金に完全に依存するため、毎回大変心苦しいです。)


私は、自分が起業できたことを当初は、人一番想いがあるから、部活動で鍛えた精神力があるから、パッションがあるから、挑戦力があるから、自分がもつバイタリティによって、続けてこられたのだと、ずっとそう思っていました。

しかし、夢を持ってもチャンスを掴めない人々をみて、努力したくてもできない、そのやり方さえもがわからない人々に出会って、自分がこんなに遠くまで来られたのは、努力ができることは、私の周りの環境が恵まれていたからだ。ということに初めて気が付いたのです。愚かでした。

自分はものすごくお金持ちだったわけではありませんが、当たり前に健康で、家族に介護が必要な人もおらず、家に借金もなく、恵まれた環境で、努力をすることができました。だからこそ、己の精神を鍛えることもできました。

父とは人生の中で5年間一緒に過ごしましたが、私が大学へ行けたこと、NGO論や、その後のNPO経営やファンドレイジング(非営利セクターにおける課題解決のために必要な資金集めのこと)のノウハウを積み上げられたことは、100%父のおかげでした。


しかし母が父と出会えたのは、生活保護という生きる基盤があったからです。生活保護は、働く意思があり、生活を立て直そうと奮闘する人の最後の手段です。生活保護を堂々と受け取り、生きる権利を手放さなかった母を尊敬します。

と同時に、なかなかうまくまとめられないのですが、私に与えられたすべてのチャンスは、母の経済状況がよくならなければ、どれも訪れなかったとつくづく思います。人が努力できる環境、己を精神的に鍛えられる環境に生まれ落ちるかは「運次第」です。


あってはならない教育格差がまだある


世界中で、子どもが外的要因により、急激に経済的貧困に陥ってしまい、学校に行けず、児童労働をしなければならなくなる理由は、似通った理由です。

・母親がシングルマザーの子ども

・世帯主が失業している子ども

・両親が事故や病気で亡くなっており、里親家庭で生活する子ども

経済的困難に陥る子どもたちは、自分の学費を自分で働いて捻出します。一日中物を売り歩いたり、ときにはセックスワークに従事します。彼らを取り巻く教育格差は、とにかく、過酷です。

こういった子どもは初等教育の無償化を達成しても、留年を繰り返します。しかし、裕福な家庭の子どもは義務教育過程から私立校に通い飛び級をすることもあります。あってはならない、教育格差がまだあるのです。

私たちは、シエラレオネで、最貧困家庭の子どもを抽出し、月100時間以上の過度な児童労働に従事している、片親家庭・里親家庭の子どもたちに毎月の奨学金給付支援を行っています。

3割の女の子が10代で妊娠にいたることは大きな社会問題とされており、女の子が赤ちゃんを育てながら、一緒にもう一度公教育に復学するための奨学金給付支援も提供しています。

私たちの活動の強みは一時的に困難な状況に立たされる働く子どもをみつけだせることです。

彼らが義務教育過程において、留年や退学をすることなく、教育を受け続けられるようにするための、サポートをしています。

(よく、シエラレオネ支援のNGOと言われるのですが、私たちはシエラレオネを支援しているわけではなく、最も困難な状況に陥るシエラレオネの子どもたちをサポートしています。シエラレオネに住む子どもや人々全員が極度に貧しいわけではなく、すべての人々・文化・価値観を私たちは尊敬しています)


多様な魚を釣れるようになるには、まず教育


アラジの下里さんは


ソーシャルビジネスはやらないんですか?


直接、雇用創出はしないんですか?


これからも寄付で経営していくんですか?


よく思われます。


今の活動のプログラム形成には「生活保護に生かされてきた」13年間の自分自身の経験も、ほんの少しは関係あるのかもしれませんが…

もし日本で生まれていなかったら、私は幹線道路の近くで、物乞いをしていたかもしれません。自分の体を売っていたかもしれません。1日3食は、食べられなかったと思います。

「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教える」

という言葉がありますが

(魚の釣り方は実は現地の人はちゃんと知ってるんですが)このよくある言葉は、経済活動に参加し、安定利益を確保するための、技術移転や、技術支援のことを指すのだろうなぁと思います。

しかし「技術」とは、最初に技術を理解できるだけの「知識」がなければ、そして「知識」を技術に昇華させるための「環境」がなければ、習得することはできません。

教育は、技術を獲得するために、なくてはならない知識を身につけるための、最初のステップです。

雇用創出は必要不可欠な要素ですが、さらに、中等・高等教育を受けた後に、起業や就職にいたればもっと多様な魚を自分自身で釣れるようになる可能性が高いです。あらゆる外的要因に強くなれます。

ソーシャルビジネスで雇用創出の恩恵を受けることができるのは、圧倒的に、今日までに教育を享受できた人です。

だからこそ若いシングルマザーが復学か職業訓練でまず迷う時、私たちは、復学を推奨しています。


義務教育過程においては、格差のない世界ができたら…と切に願います。

子どもは、10代で母親になることなく、児童労働のために留年することなく、少しでも長く教育を続けるべきだと、私たちは考えています。


努力の天才はいない

努力を重ねて成功した人は、自分は努力する天才だったと思うかもしれませんがそれは違います。(安西先生の名言はもう古いのかも)

社会的弱者とは、経済的な側面のみで弱い立場にいる人であって、利益をあげている人こそ強者であり価値が高く社会に必要とされているか、というと、決してそんなことはありません。

どんな環境にいる人にも、適切な社会の助けがあれば、努力を積み重ねることができ、可能性が花ひらく時があります。

努力をしてこれた人は、だからこそ、困難に陥る人に願うだけではなく、行動して手を差し伸べることができます。一番困難な人に手を差し伸べることは、結果として犯罪や医療費を減らし、教育機会と雇用を増やすことにも繋がります。


あと…最近思ったこと…

寄付は社会投資であり、投票でもあります。免罪符のように寄付をするのではなく、寄付をする際、団体を選ぶ際には、NPOが掲げる理念や目標に、社会を変える仲間として、ぜひ寄り添っていただきたいです。と最近色々な出来事があって強く思いました。


アラジも寄付を集めています。今年の目標はあと157名の月額寄付サポーターさんに仲間になっていただくこと。

世界の圧倒的な格差を少しでも是正するために、お力添えをぜひお願いします。

困難な立場にある人々が当たり前に社会保障を受けられる仕組みを、最貧国シエラレオネに作りたい、私たちはそのロールモデルになります。

アラジに寄付して仲間になる↓

https://readyfor.jp/projects/alazi-monthly-campaign


アラジの最近の活動報告はこちら↓

https://alazi.org/2021allactivityreport/





最近、より一層、活動に関心をお寄せいただいたおひとりひとり丁寧に説明させていただきたいなぁと思い強く、1対1のオンライン活動説明会もやっています。ご興味のある方は、TwitterDMよりお問い合わせください。



下里夢美



※現地の子どもたちの写真はすべて、書面上で公開許可をとり掲載させていただいております。ダウンロード・二次利用・加工などはご遠慮ください。








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