Hiroki Shimoeda

ほほほのほ

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マガジン

  • 自宅が火事になりまして

    2017年2月1日深夜、我が家が出火元。 そこから突如失った生活を取り戻すべく、動き始めますが、情報が少なく、一つ一つが手探りで何をどうしたらいいのかわからない、不安に不安が重なる状況でした。おそらく実際に火事に合われた方が情報を公開・共有することが難しい状況(自分の被災、巻き込み火災や近隣被害等)もあり、リアルな情報がオープンにしにくいのだと思います。 たくさんの方にご迷惑をおかけしましたが、幸い僕はこの火事の情報や心境を共有できる状況にあると思います。この経験を共有することで、火災にあったリアリティを感じるドキュメンタリーとして、もしもの時より早い復帰が出来るHOW TOが詰まったものとして、読んでいただければと思います。今、僕は元気です。復帰を支えてくださった皆さまありがとうございました。

  • 僕がお茶屋をはじめたわけ

    少しずつですが、書いていきたいと思います。

最近の記事

2月2日13:00頃/検分結果

「自宅が火事になりまして」マガジンより 検分が終わったとの連絡を受け、改めて部屋に入った。火元の場所や、火がどのように部屋全体を回ったのかが説明される。そして、どうして火事になったのか、原因が、やっと告げられる。 なんと告げられた出火原因は「原因不明」だった。「え・・・。」だ。 明らかに、火元になっている場所は特定されているが、そこで火が起きた直接的な原因はわからないとのこと。そんなことはあり得るのだろうか。と聞いてみると、原因として特定する決定的な証拠がない場合、原因

    • 2月2日09:30頃/立ち会い検分

      「自宅が火事になりまして」マガジンより ちょっと早めに到着した。階中に漂う臭いに燃えたんだという事実を突き付けられる。 部屋の前には、お巡りさんが立っていた。昨晩玄関ドアを切り取り、消火活動をしてくれたため、部屋に鍵がかけられない状況だった。そこで、一晩中お巡りさんが、現場を見守ってくれていたのだ。検分前に火事泥棒と現場を荒らされないようにということだ。お巡りさんの仕事は、こんなことにも及ぶのかと頭が下がる思いだ。 さて、少し待つと、消防隊員と警察がそろった。立ち会い検分

      • 2月2日07:30頃/全身が筋肉痛

        「自宅が火事になりまして」マガジンより うとうと2時間ぐらい、眠りにつくことが出来た。目が覚めると、体中がバッキバキ。感じたことのない筋肉痛だった。 理由は予想がついた。極度の緊張だ。寒い夜、外で消火活動を見守っていたこともあるだろうが、それだけではない。今までに感じたことのないショックというかストレスに体が反応したんだろう。火事になったショックで、髪が一日で真っ白になったとかいう、都市伝説的な話も理解できた。 何の未来も奪われていないと、落ち込む妻を励まし、試練は

        • 2月2日02:30頃/体力が勝負だと思い込んだ

          「自宅が火事になりまして」マガジンより 宿も三軒茶屋のホテルを予約できた。普段なら近いはずのホテルまでの足取りが重い。あれこれと不安が頭を巡りながら、隣を歩く妻へ何か話そうとしても、なかなかいい会話も見つからない。それでも何とかホテル近くのコンビニまでたどり着いた。 コンビニに入る。腹ペコだったはずが今は食べる気力もなくなっていることに気がついた。だが、こういう時こそ体力が大切だと思い、妻に何か食べるものを買った方がいいと言った。しかし妻は、食べられないからいいと僕の提

        2月2日13:00頃/検分結果

        マガジン

        • 自宅が火事になりまして
          6本
        • 僕がお茶屋をはじめたわけ
          1本

        記事

          2月2日00:45頃/段取りマン

          「自宅が火事になりまして」マガジンより 燃えた部屋を確認しに行ったのは、深夜2時過ぎだったが、そこから一時間以上前のタイミングで、頭はいろんなことに働いていた。今日はどうやっても泊まるところが必要になるだろうからと、とりあえず、近所のホテルを電話予約していた(罹災すると、一時的な宿泊に対する保険の支払いがあることをこの時はまだ知らない)。 あとは、もろもろの連絡だ。 お互いの両親には、あえて連絡はせず、朝にしようと決めた。ただ心配な夜を過ごさせるだけだと思ったからだ。会社の

          2月2日00:45頃/段取りマン

          2月1日23:45頃/騒がしい夜だなと、さてご飯だと。

          「自宅が火事になりまして」マガジンより 僕は、東京都内で働くサラリーマンだ。普段から遅い時間の帰宅が多く、平日は基本的に外食。妻は、グラフィックデザイナーで夫婦共働き、なかなかベッドが遠い仕事に携わっている。 僕らの住まいは三軒茶屋。渋谷まで2駅と、非常に交通の便のいい街だ。深夜でもご飯を食べるのに困ることもない。駅前は、なかなか騒々しくて活気がある。 この日も、深夜に仕事を終え、駅に到着する。今日も騒がしい。いま思えばいつもとは違った騒がしさだったのだが、あまり気にするこ

          2月1日23:45頃/騒がしい夜だなと、さてご飯だと。

          僕がお茶屋さんをはじめたわけ。①

          先月、湯河原にて、BORDERLESS TEAをテーマに掲げたお店「サ行」をオープンしました。 なぜ、この名前かは、またの機会にお話しすることにして、そもそも僕がお茶屋さんをはじめた理由をこの場でお話しできればと思います。お店のテーマから、その理由や思いを感じきるのは困難なので、そこも含めてお話しできればと。 僕は今から一年前、中国へ渡りました。わずか3ヶ月という期間ですが、そこでの経験が、今のお店に繋がります。 中国人も日本人とも変わらないくらいお茶を飲む事を知りま

          僕がお茶屋さんをはじめたわけ。①