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ピアノと私

「練習した?」
と母が言う。
「してなーい」
と私が答える。土曜日の午後、毎週毎週繰り返される会話。
私は先週のレッスンからずっと楽譜が入りっぱなしの手提げバッグを持って家を出る。心なしか、青い手提げバッグの元気がないように見えるがいつものことなので気にしない。短い横断歩道を渡り、近所の小さなピアノ教室へ入ると、いつもの様にピアノの前で先生が待ってくれている。
「いらっしゃい」
先生が優しい声で私に言う。
「こんにちは」
と小さな声で答え、慣れた手つきで楽譜を一冊取り出し、ピアノの譜面台に立てかける。ガチャン、と古いピアノの椅子の高さを下げてから、子供用のペダル補助台を足元のペダルの上に移動させたら完了。私は白黒の鍵盤を見つめながらピアノ椅子に座る。
「じゃあ、最初からここまで弾いてみて」
と言われるので、私は弱々しく鍵盤に十指を置き、先週のレッスンの微かな記憶を頼りに弾き始める――。

小学校入学と共にピアノを習い始め、その後十数年間、これらの動作をずっと続けてきました(勿論、子供用のペダル補助台は途中で卒業しました)。ピアノ教室に十数年も通った、と他人に言うと、余程この人はピアノが上手いんだろう、みたいな反応をされますが、実際はただただ毎週一回ピアノを触っていただけの人間です。何しろ、たった一曲を丸々一年間かけて習得していたくらいですから、そのスローなペースはなかなかのものです。

いわば、惰性でピアノを弾いていた訳ですが、不思議とこんなにも続いたのは何故だろう、と私は最近ふと思いました。つまらないならば早々に辞めるということも出来たはずです。

今、考えてみるに、恐らくこの「惰性の時間」が大事だったのだろうと思います。何でもそこそこ出来たことが仇となったのか、小さい頃から私は所謂、優等生でした。いつもどこかで、自分はまだ不十分だ、と思っていました。大人になってみると、それが結構ストレスだったのではないかな、と思いますが、当時はそれが私の精神であり、世界の全てでした。

そんな中で、ピアノ教室は唯一、「練習をサボって良い」ところで、尚且つそれでも怒られない場所でした。ピアノの先生もよく付き合ってくれたと思います。ピアノ教室に関してのみ、私は「怠惰な生徒」でした。でも誰からも怒られませんでした。母からは少し小言を言われましたが、それでも私とピアノの関係は全く変わりませんでした。

十二月には、ピアノ教室ではささやかなクリスマス会が行われます。五百円以内でプレゼントを買い、教室の他の生徒三、四人と共に交換会をするのです。先生が用意してくれたケーキを食べ、あみだくじでプレゼントを交換したら、一人ずつ「今年の一曲」を弾きます。クラシック、ポップス、長い曲、短い曲、練習途中の曲、何でもありです。

そんな思い出もある、あの小さなピアノ教室と先生は、一度も私を否定しませんでした。傍から見れば怠惰な生徒であろう私は、ピアノ教室の中では「ただの怠惰な生徒」でした。それ以上でも以下でもありませんでした。だから私はずっとそこに通い続けていたのだと思います。

そして先日、祖母が使わない古いキーボードを譲ってくれるという話になりました。現物の写真も見ずに私は承諾しました。ここ最近はピアノから離れていましたが、何だか無性に欲しくなったのです。あの小さいピアノ教室はもう無くなってしまったし、先生も近所にはいませんが、また、鍵盤を弾いてみようと思います。在りし日をゆっくりと思い出しながら。

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