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7.17 黄金色のパリ~広島

おととい広島に帰ってきた。

結局トランジットでアブダビに取り残されたり何かの手違いで荷物がアジスアベバに転送されたりといった珍事もなく、まったくの無事である。ノー・ミス、ノー・アクシデント、完全健康体。多くの期待を背負って旅に出ただけに、このやらかしのなさに関しては自分の実力不足を認めるしかない。

それはともかくとして、まずは旅、無事に終わりました。みなさんご心配おかけしました。これまでどうもありがとう。そしておつかれさま私。

もう巡礼旅は終わったのだからこのnoteも終わりとなるのが普通だが、こっちの方はまだ終わらない。家に帰るまでが旅であるように、私が「完」と付けるまでが旅日記だ。きっとあと3~4回は書くべきことが残っている気がする。「ぼんやりした巡礼」という物語を不時着させるまで、時間のある方はもう少々お付き合い願いたい。


まず書き残しておきたいのは、旅の終わりのことである。3ヶ月に及ぶ旅の最後の瞬間、私は何を思うのか?――それは旅のはじまりから気になっていたことだった。

何度も書いているように、私は旅と人生を重ねてみることを試みている。旅は人生の縮図であり、その人の旅のスタイルはその人の生き様とイコールである。私は自分の旅の仕方を観察することで自らの性格や嗜好、自分が大事にしているものやクセに気付き、運が良ければ「人生の真理」みたいなものが垣間見えるのではないかと思っていた。

それは実際その通りで、とにかく先の予定をFIXしたくない無軌道な自分、人だかりがしている場所にはどうしても首を突っ込みたくなる物好きな自分、誰かの面白そうな口車にホイホイ乗ってしまうお調子者の自分……などに出くわし、「おれってやっぱりそういう人よね、とほほ」と何度もため息をついてきた。

また、旅のはじまりはあんなにイヤイヤ言っていたのに、イザ出発してしまえば猪突猛進、気が付けば相当ずうずうしいおっさんになっていたというのも私の人生観と一致する。旅の最初は「3ヶ月なんて長すぎ、3週間にすればよかった」と嘆いていたが、途中からは時間が加速、帰路のパリ便に乗るころには「全部があっという間の夢みたいな日々だったな」と思うところも人生っぽい。少年老い易く学成り難し。結局人は何の解脱も学習もないまま、あっちゅー間に老いていくだけという真実を身をもって証明した格好だ。

そんな中で、私は旅の最後に何を思うのか? それは「人生の最期に私は何を思うのか?」という問いと一致する。「まだ帰りたくない。終わりたくないよー」とジタバタするのか、未練や執着に身悶えるのか。私は旅の終わり方に自分の死に様を重ねて、その反応を見てみたかった。

その結果どうだったか? 結論から先に言うと、

「あー、楽しかった。もう旅いいや」

心は実にさばさばしたものだった。もし誰かが「もう1ヶ国、イタリアあたり行きません?」と誘ってきても私は丁重に断っただろう。フランス、スペイン、ポルトガル、モロッコの4ヶ国、ほぼ3ヶ月。私はこれで十分だ。きっとこれ以上続けても、細かい差異はあれど同じことの繰り返しだろう。私はもう十分すぎるほど旅を楽しんだ。刺激も思い出もお腹いっぱい頂戴した。ありがとう麗しのぼんじゅんデイズ!――そう笑って手を振れるほどすっきりした気持ちで旅の終わりを迎えていた。


旅の終わりに関しては決定的な瞬間がある。

明日の朝パリを発つという旅の実質最終日。昼間の散歩に疲れてうたた寝をしていた私は目覚めたら20時だった。パリの日没は22時近くなので、まだ外は明るい。起きた私は急に強い焦りに襲われた。もう次はないだろうマイラストパリの日が暮れる。この陽が残っているうちにパリの景色を目に焼き付けておきたい。自分にとっての最後のパリを見届けたい――私は着の身着のままで慌てて外に飛び出した。

向かったのはチュイルリー庭園だった。そこはパリに着いた初日、まだ不安でいっぱいだった時期に街をふらついていて、木々の緑とくつろいだ雰囲気に心癒された場所だった。旅の出発時に訪れた場所に最後もう一度。私はメトロに乗り、「このへんかな?」と当たりをつけてシャトレ駅で降車した。地下鉄に揺られている間も「まだ暮れるなよ~、夜になるなよ~」と祈るような気持ちでいた。

メトロの階段を駆け上がって外に出ると、パリの街が黄金色に染められていた。時刻は黄昏ど真ん中。もうじき沈もうとしている太陽の光を浴び、千年以上続く都市がゴールドに発光していた。

それは51のおじさんの理性をカチ割るほど美しい景色だった。歴史と自然が手を取り合った文字通り祝福のマジックアワーだった。

私は興奮してその光を、光景を写真に収めようとした。チュイルリー庭園の方に向かおうとするとヴィトンの前に巨大な草間彌生発見。その向こうにはポンヌフ。セーヌの川岸にはたくさんの人たちが集い、つい鈴なりの観光船に手を振ってしまう。いやいや、そんなことやってる場合じゃないんだって! 

再びチュイルリーに針路をとるも途中にルーブル、向かいにオルセー、さらに遠くにエッフェル塔と次から次へとレジェンド建築物が出現して頭がクラクラする。なんだこの主役級全登場みたいなグランドフィナーレ感は? しかもすべてがキラキラと輝いている。その間も空はオレンジから藍色に刻々と変わる。黄金のライトアップも次第に影を濃くしていく。

チュイルリー庭園には多くの人が集まり、この日の夕日に見入っていた。肩を抱き合う恋人たち。光が噴水に反射してこぼれる。ルーブルピラミッドからチュイルリー、コンコルドと続く一直線の向こうに太陽は今にも沈みつつあった。私は取り憑かれたように早足でそれを追いかけた。

太陽が沈む、今日が終わってしまう……夕日はシャンゼリゼの先の凱旋門の向こうに今まさに消えようとしていた。まだ終わらない、もっと太陽の近くへ、その明るい光の中へ……本当にそのときの私は盲目的に夕陽に引き寄せられていた。美しく圧倒的な光源をひたすらまっすぐ追っていた。

それがある瞬間、赤信号に足を止めたとき、突然気持ちがすとんと落ちた。

「もう、ここまででいいや。これで十分だ」

それはエネルギーゲージが一気にゼロになるような感覚だった。執着の魔法がはらりと解けた。そこが51歳の体力の限界か、私の好奇心の限界か、それらすべてを合わせた生命力の限界かわからない。パタリと「もういいや」と開き直った。自分で決意して、納得して一瞬で手を離した。

まだ空は美しいグラデーションを描いていたが、私はUターンしてメトロの駅に足を向けた。もう「あー、楽しかった」という満足感と「ハラ減ったな~」ということしか頭になかった。夕焼け、最高にきれいだったな。本当にいいものを見たな。そして、

「日本に帰ったらとにかく寝よう。深く深く眠れるだけ寝よう」

長い長い旅の終わりとは、案外そんなものかもしれない。



帰り道、テイクアウトの店先から聞き慣れたベースラインが流れてきた。これは以前もパリで耳にしたルー・リード……と思いきや違っていた。同曲をサンプリングしたニュースクール。同じフレーズだけど進化する、同じ街だけど変わっている……気分と音楽が重なるのもマジックアワー。Can I Kick It?=やっ・ちゃい・ます・か?




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