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隣の芝が青くていい。自分の芝が青いと感じられるかどうかだ。

たまには短いやつを書いてみたいと思います。
(こういうのたくさん書けばいいのか、、、)

この前、社内でこんなことをいただいた。

清水さんチームはみんな意志が高くて羨ましい
成果もでてるし、楽しそうだから
みんな清水さんチームにはいってみたいと言ってた


これは素直に嬉しいですが、

僕がチームを強くしているわけではないし、
メンバーがいてくれてチームとなる
(メンバーがいなかったらチームではない)


ので、僕のチカラでは無い。
※間接的にはManagementしている私のチカラは影響しますが。

で、そのときに
隣の芝は青くみえるもんだよ、
って答えたんです。

それで
いいたいことなのですが、


あ、そういえば、

隣の芝は青い

ってみんな思うよなってうかんだ。


清水さんは
「隣の芝が青い」と思うことがありますか?


と先日とある人にきかれ
「もちろん、いつも誰かを羨ましいと思うことがあるよ」

と答えました。
 
実際、いつもいつも私は

いいなぁ、それできるようになりたいな、
そう自分もなれたらいいな、
こうだったらもっといいのにな、

と想っています。
いつも誰かと比較してしまいます。


じゃあ、
隣の芝が青く見えることは悪いことなのか?
という話でいうと、

これは私は「NO」だと思います。
青く見えていい。


だって、
それは羨ましいという自分の気持ちであり、
なにかを凄いと思う気持ち。

これって自分のチカラになるし、
誰かをたたえるチカラ。だから、
青く見えていい。持ってて良い想いだと思う。

本当に隣が青いなら、
青いなぁ、、と思うことが大事。
そしたら「青くて綺麗ですね」って讃えて
学ぶことが大事だと思う。
  


じゃあ、

隣の芝が青いなぁ、というままでいいか

というと
そうではないです。

大事なことは
誰かと比較したままで終わらないこと


昔、マネジメント研修の講師をしていたときに
メーテルリンクの青い鳥の話をしたことがあります。

内容は割愛しますが、

いろんなところ見て回ったけど
幸せや大切なものはそばにあった、って話です。

大事なことは近くにあるものです。


人は慣れてくれば慣れてくるほど
周りのことが見えるようになります。

その慣れが周りとの比較を生み、
自分を揺らしてきます。

誰かと比較して、チャレンジしたり、
ふんばったりするチカラは強いけど、

脆い。

(そもそも僕は誰かの比較して、自分が揺れて、メンタルぼろぼろになるとか嫌です)


大事なことは
過去の自分とイマの自分を比較すること、

そしてもっと大事なことは
未来の自分とイマの自分を比較すること、

をしていくこと。
比較するのは「自分」と、ですよね。


そして、いまある状況が
ありがたいことで、ただ1を積み重ねるだけでよいのに。


昔、バカみたいに働いていて、
週100H働くことが目標でした。

そのとき、なんでそんなに生き急ぐのか、って
よく言われたけど、

ただ「何者か」になりたかったわけです。

まわりがいっぱいすごく見えて、
足りない自分をどんどん変えていきたかった。

これはこれで意味がなかったと言わないし、
推進力になったのですが
ぶっちゃけエンジンの空ぶかし的なもので効率が悪かったし、実際に体と心が壊れました。

急に自分自身がターボがかかって
変わっていけたらのは、比較対象を変えてからでした。


イマの自分が急に「何者か」になることはありません。
でも「昨日の自分」とは「ほんのちょっとであれば違う自分」に
なることはできます。なることはできます。

自分と比較するようになって、
苦しさがなくなり、それよりも

「できた」を積み重ねられるようになり、
いつの間にか、昔に比べて全く違う私になっていました。


で、
ここでメーテルリンクの青い鳥の話ですが、

大事なことは近くにあるものです。

という話で、
それは頑張ってきた自分、可能性のある自分です。

誰かと比較する前に
一番大事な自分を見てみること、
それが自分の芝を青くする第一歩だと想う


あぁ今日も一日できたこと、
昨日の自分よりも進んだ自分を褒めてあげたいと思います。
今日もよく頑張りました。

皆さんも、褒めてあげてくださいね。自分。

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