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親の介護は突然やってくる(要介護4の父と要介護5の母)

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突然訪れた親の介護。いつか「やっと終わりました!」って投稿が出来るまで。
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#肺癌

家族にとって一番負担なこと

トイレの世話も、本人が病院や施設に居る限り家族に負担は無い。家族だからこそ手を出しにくい仕事もある。この点はとても感謝している。そうしたメンタル的な負荷の大きな仕事から開放されていても尚、体力的にも気力的にも疲れ果てている自分がいる。 水曜日に家に届いている書類などを確認し、簡易な掃除をした上で、病院へ様子を見に行って1時間弱過ごす。 父からの要望と病院からの連絡などはLINEで姉と共有。父に欲しいモノがあれば、病院の近所で買い物も済ませる。 淡々とこなせば大した仕事じゃ

病気はタスクがあるから生きがいになる

父の気持ちが少し分かったかもしれない。もしかすると「ゲーム」してるんじゃないかな。それは良い解釈では無い方で。 目的も楽しみも無い中で、治療をタスクとして受けているフシがある。けして前向きな考え方ではなく、タスクを受けることでそれをクリアさせる。だから「生きること」を目的にしちゃって、完治というゴールには何も無いパターン。ただし、そこまで見えていない。 治療というタスクを持つことで、様々な社会との接点もある。病院の担当医や看護師、細々としたサポートをしてくれるスタッフの方

担当医の話

『今回の入院となった腹痛は胆嚢付近にある膿が原因とみられる。以前も胆嚢が炎症起こした事があるので、胆嚢自体が傷ついているかもしれない。』 『抗生物質で膿は減少。痛みも引いているようだけれど、トリガーとなる原因はまだ分からない。検査を進めて治療計画を考えましょう。』 『オプジーボの副作用とは考えにくいので、腹痛の原因と対策さえ決まれば、オプジーボの再開を期待できる。』 という事で、令和と共に始まった父の入院生活も、もう少し長引きそうだ。本人は痛みが引いた事でだいぶ気持ちは

介護が終わる時に何を思うのだろう

母の要介護5が付いて3年くらいなのかな。その間にも友人知人の家族が亡くなる話を見ている。SNSは友人知人の生活が見えてくる。 悲しみの報告につくコメントはお悔やみの言葉。そんな投稿に僕だけはコメントを入れられない。「良かったね」って言葉しか思い浮かばないから。 嫌味で言うのではなくて、「あっと言う間だった」って話には、素直にそう思う。本人に苦しみがあったとしたら辛いけれど、家族も本人も苦しい時間が少ないこと。そしてそんな大切な家族を恨んだり、嫌いになる気持ちが出なかったこ

年寄りを敬えとは?

昭和後半生まれは道徳の授業でもテレビの中でも「年寄りは敬うもの」「年寄りには知恵がある」と教えられてきた。今はそれほどじゃないと思うけれど、無条件で年寄りを大切にしろと言う。 それはどうかな。 人として相手と接する上で年齢って関係ない。自分が尊敬できる相手には敬意を持って接すればよいし、話が合わなければ相手にしなければ互いに都合よいもの。 敬う:相手を尊んで礼をつくす。尊敬する。 だから、ただ単純に「年寄りだから」と敬う必要は無い。敬うって無条件で出来ることじゃないよ

勝手な父

父が母の在宅介護などをするようになって、それが父の唯一の生きがいとなった。連れ添ったパートナーこその愛というのではなく、母の世話をすることで自分の仕事を見つけ出したというか、役割を見出した様だった。 僕と姉の意見は同じで「あまり仲良くなかったのにね」と。 父は、寝たきり状態となった母を自宅での世話をしていたけれど、その状況を垣間見るにあまり良い環境とは言えなかった。イラつく父の怒る声や、動きが鈍くなった母を急かす声は夜にも聞こえてきた。 母の介護を母のためにではなく、父

父の見舞いへ

いつ手が空くかわからないから、ちょっとしたタイミングで実家に向かった。高速はそこそこ流れてて、向かう移動時間は1時間。滞在時間は15分。 呼吸は苦しいらしく、完全に肺の機能が低下しているのが素人にも判る。酸素チューブを付けているけれど、音を聞く限りもの凄い強さで送られている。数値としてはspO2は80を下回る。単位はわからないけれど、調べてみると90越えが正常らしい。看護婦が度々確認をしながら、更に酸素を強めに調整してようやく90近くになった。 相変わらず肌がかゆいという