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介護が終わる時に何を思うのだろう

母の要介護5が付いて3年くらいなのかな。その間にも友人知人の家族が亡くなる話を見ている。SNSは友人知人の生活が見えてくる。

悲しみの報告につくコメントはお悔やみの言葉。そんな投稿に僕だけはコメントを入れられない。「良かったね」って言葉しか思い浮かばないから

嫌味で言うのではなくて、「あっと言う間だった」って話には、素直にそう思う。本人に苦しみがあったとしたら辛いけれど、家族も本人も苦しい時間が少ないこと。そしてそんな大切な家族を恨んだり、嫌いになる気持ちが出なかったこと。嫌な一面を見たり知ったりしなくてよかったこと。全てを含めて「良かったね」って言いたくなる。

「先は長くない」と言われ、出来る限りのことをと思いながら母は3年。父は半年が過ぎた。一緒にいる時間は本当に気を使うし言葉も選ぶ。
この疲労は仕事の比じゃないくらいに大きい。この状況がいつまで続くのか。それこそが介護の問題だと思う。

父は本当に長くはないだろうと思ってる。それで終われば「終わったよ。疲れたよ。でも良かったよ。」って報告したい。

でもね、それで介護が終わるのは我家のケースであって、この日本の中で誰かが家族の立場で苦しんでいる。それを知っているから、あまり「終わりました。やったー!」って言えないんだよね。「うちはいつ終わるのか。」と辛く悲しんでる人がいることを知っていてほしい。

そして父が死んでも、うちには母もいる。こちらはいつ死ぬかわからない。病院にいるから僕らは何もしなくて良いけれど、居なくても良いんじゃないの。生きている意味あるのかな。

父の入退院が頻繁になるころから、僕は母の見舞いに行っていない。疲れ切ってるのもあるけれど、行ったところで僕の事を忘れてるから。行っても意味がない。そして、たまに怯えた顔をする。本当に嫌な体験だ。

最後は正月だから5ヶ月。会わなくても、母の生活は変わらないし、僕は会わない方が気持ちが楽。申し訳ないけれど僕の生活の中で思い出すのは、このnote.を書いてるときくらい。

僕と母の関係の上で、母が死んでいる状態と、会うことの無い今の状態。何が違うんだろう。

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