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気持ちの表れ方
先日、至極もっともだと感じたやりとりがあった。何かと「感謝」とか「祈り」とか「世界平和」だとかのワードを多様するいわゆるスピな人なのだが、ある時入院するほどの病気になってしまったそうでSNS上でこんな会話をやりとりしていた。
たしか、スピリチュアルの会みたいなのを主催していたような事が書かれていた。
「正直、自分が本当に困って、辛くて余裕がないときに、本当にたすかったものは、上辺だけの『感謝』だの『愛』だの『癒やし』だのの言葉ではなくて、祈られることでもなく、心ばかりだとお見舞いで頂いた「お金」とその行為の中にある真心だった」と。
この人はスピリチュアルが大好きで仲間もたくさんいるのだが、本当に困ったときに困った自分を思いやってくれた人間は少なかったと言っていました。それからスピはやめたそうです。というか、自分から距離を置きたくなったようです。
地に足つけて身近な人を大切にする。自分の虚栄心がわかったそうな。
よく災害ボランティアと称して相手の望まないものを物資として送る人がいるけど、大抵はそれは「自分のいらないもの」「不要なもの」であって被災者たちの『必要なもの』ではないことがあると聞きます。
また、「千羽鶴」はいつも物議を醸しています。むやみに捨てられないから処分に困る、本当に困っているときなのにもかかわらず自分たちのことでいっぱいなのに送り主に気を使う。(しかも見知らぬ相手)
私も経験があるのですが、贈り物の中に「打算」が見えるものって、余裕がない時は本当に困るんですよ。
相手が一方的に良かれ、と思ってしてくださった気持ちは有難く貰いましたが、その中に「褒めて欲しい」とか「こんなにやったから」みたいな変な思いも乗ってることがあったんですね。その時は本当に大変だったので、困ったものをもらったなあ、と。。
おまけに、我々のために作ったものではなく、「ついでもの」という経緯を知ってるのでなおさらです…。
正直、それならば表面的な「お大事に」や、「落ち着いたら連絡ください」などの言葉と、そっとしておいてもらえほうがよほど思いやりを感じるし有り難い。
贈り物はよく「消え物がいい」もしくは謝礼、お見舞い、お足代、お気持ちなど、かえって現金や商品券のほうが失礼がないと言います。
相手との関係性にもよると思います。
どういった立場で、どういった関係なのか。
目上なのか、世話になってるのか、世話する方なのか、上下関係…
関係性は本当にさまざまです。
礼儀というのは自分の立場をわきまえたうえで成立するもので、 どんなに相手がフランクに接してくれていても自分にとってどういう関係性の人なのかがとても重要。
昔、上司に「人間関係っていうのは…そうだね。たとえば自分の物語の登場人物だとおもって、大切に観察して考えてご覧なさい」と諭されたことがありました。
相手も人間で、立場が有り、感情や思いがある。当たり前のことでした。
当たり前のことだけど、これが欠けてしまうと自分も大きな恥をかくし相手にも大変失礼だし、誰も得しない。
礼儀やマナーは、お互い気持ちよくいられるための道具や考え方、接し方のコツなのだと学びました。
結局、打算や計算、見返りがあればなにをしてもバレてしまう。
祈りや感謝という文字があれば良いのではなく、気持ちが伝わる行動、相手を思いやる気持ちからでる行動が伴わないと伝わらない。
謝罪もお詫びも感謝も、相手に伝わらないと意味がないのですよね。
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