マガジンのカバー画像

ひび

541
日々のことについて文章を書きます。
運営しているクリエイター

2019年10月の記事一覧

愛の泉

ここ何日間で、自分は死ぬほど承認欲求が満たされた。というのも、こないだのライヴにおいて自分は10人以上ものお客から、惚れてます、と告白を受けたのである(そういう企画である)。相手が誰かは分からぬものの、また、その半数はおそらく男性であるのだが、全てを真に受けた自分は気恥ずかしさと嬉しさで胸がドキドキして、面白いことをひとつも言えず、けれども乾燥していた心が愛の泉で溢れかえって潤った。興奮して、その

もっとみる

がっかり

自分は週に一度、学童保育のアルバイトをしている。小学校へ行き、放課後の教室で子供たちの安全を見守りつつ、一緒に折り紙を折ったり将棋を指す、という仕事である。

地下鉄に乗って通勤しているのだが、恥ずかしいことに自分は、二回に一回の頻度で遅刻をしている。これに乗らなければ間に合いませんよ、という最終の電車に、どうしても乗れない。いつもギリギリのところで、乗れず仕舞いなのである。

毎回家から地下鉄の

もっとみる

HAREM

とある芸人は、様々な女性から連絡先を渡されたりアプローチを受けていて、それはもう毎晩のように取っ替え引っ替えをしているという。正直、自分にはそういった経験は無い。所詮は男子校で精液まみれの六年間を過ごした毛深きナナフシ男である。いやぁ、もてて困りますわ、HAREMですわ、と話す彼は自慢げで、完全に調子に乗っていた。何だかムカついた自分は、お前はもててるんじゃなくて女に舐められてるだけや、そんな芸人

もっとみる

近頃の私の暮らし

さて、近頃の私の暮らしをお教え致しましょう。

近頃、大阪は雨が多く、自然と傘歩きの暮らしを余儀なくされている。普段はチャリ爆走の自分であるため、多少不便ではあるが、徒歩もまた良い。

近頃に読んだ本は、森茉莉『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』。タイトルが素晴らしいと思う。森茉莉が晩年に書いたテレビ批評のエッセイであるが、死ぬ程面白い。まだ途中までしか読んでいないものの、非常にニタニタとした。

もっとみる

デブショー

会いたい人がいて、会いたいが会うことが出来ぬ。会えぬから、より会いたい気持ちが募り、いつか会えるときを心待ちにしている。

自分は昔からデブショーであった。肥満の出し物では無く、出不精。どこかへ行く気力がまるで無いのである。誰とも会わぬ、誰とも話さぬ、ひとりの一日などザラであった。今は店をやっているため人に会うことが出来るが、休みの日などは本当に誰にも会わない。夕方まで廃人の如く怠けて、出掛けると

もっとみる

お陀仏

先日、夜中に携帯でいやらしいものを見ていたら、操作が上手く行かず、画面がフリーズし、また、充電器を挿しても一向に充電されぬ、見ると携帯の充電口が壊れている様子で、それ以前に自分の携帯はディスプレイも割れに割れていて、電話を掛けてもスピーカーの調子が悪く声が全く聞き取れぬなどの不具合も前々からあった、何とか元に戻らぬかとピッピッしているうちに、やがて画面は真っ暗になり、再起動しようとしても微動だにし

もっとみる

邪悪陰毛

いつの間にか夏は過ぎ去って、肌寒くなった。暑いよりかはよっぽどマシで、躊躇せずに長袖を着られることが嬉しい。街を歩けば、何となく冬の匂いがする。新しいタートルネックかジャケットを買いに行こうかと思う。

こないだ、風呂に浸かりながら、ぼんやりと未来を想った。やるべきことと、やりたいこと、やりたくないこと、が多すぎて、なかなか大変であった。大丈夫かな、と思って、あ、大丈夫じゃないかも、と思った途端、

もっとみる

「宮本から君へ」の実写映画版が公開された。原作は新井英樹の漫画で、自分は20歳くらいのときに友人に勧められて読んだ。それは、とんでもない漫画であった。初めの5話くらいは、まぁ、こういう感じか、と思って読んでいたが、物語が進むにつれて、強烈なえぐみが増していき、後半はもはや狂気の沙汰、けれども男大号泣の人間讃歌、であった。漫画を読んでここまで心がぐつぐつしたのは「狂四郎2030」を読んで以来のことで

もっとみる

自分は過去のライヴで演った漫才のネタに関しては、抜群の記憶力がある。勿論、細部は抜け落ちているだろうし、記憶違いもあるだろう。けれども、高校一年のときの初舞台から今まで、自身が どんな漫才をしてきたか、思い出すことは容易で、そのときのライヴの雰囲気や、他の出演者、なども大抵覚えている。

反面、日常では他人の顔をなかなか覚えられず、困っている。そのため誰かと偶然会ったときに、この人は誰だっただろう

もっとみる

空へ…

我が店、ライヴ喫茶 亀を始めてまだ一年くらいの頃の話である。

当時、イルミさん(仮名)という女性がよく来ていた。彼女は35歳の真面目な独身OLであった。マスター、ホット珈琲ください。彼女は自分のことを「マスター」と呼んだ。彼女以外にそう呼ぶ人はいないので、自分はむず痒く可笑しかった。自分が冗談を言ってもイルミさんは大抵真顔で、悪意ある冗談には嫌な顔をした。それでも亀を気に入ったようで、イルミさん

もっとみる

自分の素顔というのは果たして何なのか。あなたにもきっとあるだろう、まだ見ぬ素顔、裏の顔。自分は時折他人から、やさしい、などと評されることがあるが、果たしてどうだろうか。やさしさについてはいつも考えているが、やさしいのかどうかは分からない。好きな人には出来るだけ幸せになって欲しいから、そら、やさしくもするだろう。反面、自分はなかなかに邪悪で嫌味な顔も持っていて、相手によっては非常に冷酷な態度で接する

もっとみる

野望

長年舞台を演っていると、良いライヴのときとあんまりなライヴのときがある。あんまりであることには明確な理由がいくつかあって、準備不足であったり、頭がぼけぇっとしていたり、とにかく、自分は、駄目なときはすこぶる駄目で、そんなときはたとえ舞台上であっても脳味噌が腐っているかの如く思考が働かぬ、また、そうしたライヴの後は気が滅入ってしまい、暗鬱な面持ちで一人いじけて、やがて布団に寝転び枕に顔を埋めて、うぅ

もっとみる

かにくん

夜中、いつものように水槽を覗いた。すると、明らかに沢蟹の様子がおかしい。砂利に埋もれて目を閉じている、身体全体が色褪せた沢蟹の姿がそこにあって、自分は息を飲んだ。うそぉん、と呟き、全身から冷や汗が出た。かにくん、と呼び掛けても動くことは無く、恐る恐る指で触れてみても、案の定、びくりともしなかった。人は本当に絶望したとき、真顔になる。自分は真顔で水槽を見つめていた。確かに近頃は土管の下や石影からなか

もっとみる

グッドバイ・コアラ

所詮我々はコアラを引き止めることなど出来ない。舌打ちをしながら、溜め息をつきながら、コアラを見送るだけの弱者なのである。

天王寺動物園のコアラがイギリスへ行ってしまった。自分はこのコアラが好きで、時折見に行っていたのだが、コアラは大抵いつも飼育小屋外の高い木の上で、じっとしがみついたまま微動だにせず、その姿は激烈に可愛かった。しかし、このコアラ一匹で、餌代が一日10万円以上掛かるそうで、そうした

もっとみる