野望

長年舞台を演っていると、良いライヴのときとあんまりなライヴのときがある。あんまりであることには明確な理由がいくつかあって、準備不足であったり、頭がぼけぇっとしていたり、とにかく、自分は、駄目なときはすこぶる駄目で、そんなときはたとえ舞台上であっても脳味噌が腐っているかの如く思考が働かぬ、また、そうしたライヴの後は気が滅入ってしまい、暗鬱な面持ちで一人いじけて、やがて布団に寝転び枕に顔を埋めて、うぅうぅと唸っている。あのう…、もういっぺんやらせてもらえません?さっきの無しで…。次はもうちょいええ感じにやりますから…。なんて、まったく、ダサい奴。そんなやつぁプロフェッショナルじゃありません!と叱られるかもしれぬが、そうなのだから仕方が無い。

お客様に失礼ですぞ!などとぬかす輩もいるが、失礼だとはあまり思わない。せっかく来てくれたのにスンマセン、と思うだけである。それに、こちらが散々な出来であっても案外お客の方は楽しんでいた、ということも往々にしてあり、結局これは、自分自身の問題なのである。

ラフィン・ノーズは、80年代に大いなる人気を集めたパンクバンドであるが、おっさんになった今もなお、活動している。パンクとは刹那の衝動を現した音楽のため、当時は「ゲット・ザ・グローリー栄光をつかめ!」なんて、一見照れ臭い言葉にも若さと反抗心が宿り、力がみなぎっていた。彼らは、今も当たり前のように精力的にライヴ活動をしていて、「ゲット・ザ・グローリー」を歌っている。そして、勿論ライヴの出来は様々であるが、毎回全力でステージに臨むことは忘れないという。その秘訣を聞かれたラフィン・ノーズのメンバーは、「いつもライヴ前に、これが最後のライヴだと思うことにしている」と言った。

今日はトークライヴをした。途中、お客からの質問に答えるコーナー、その中で「野望は何ですか?」というものがあり、自分は大したボケも思い浮かばず、野望は何だろう、と真剣に考えたのだが、全く出て来なくて、自分には野望が無いのだろうか、と思って、それでも、野望、野望、と考えた挙げ句に、「日本一おもしろい漫才がしたい」と言ってスベったのだが、多分そんなことは、野望でも何でも無かった。なぜなら自分は、既に滅茶苦茶おもしろい漫才をしているからで、また、日本一などは眼中にも無かったのである。

結局、自分には野望が無かった。栄光を掴まなくても、ただ、毎日を穏やかに過ごして、時折ルンルン出来れば、それで良いと、思った。野望無き男の生ぬるい日々は続く。今日が最後のライヴでなくて良かった。

何もいりません。舞台に来てください。