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無農薬・無肥料・不耕起の田んぼ

田舎に移住して5年、ドーナツ化現象の団塊ジュニアです。ようやく稲刈り開始、今年は過去最高の予感…ってまだ4回目だけど。不耕起・無肥料・無農薬、年々田んぼが豊かになっていくのを実感する、肥料っていったいなんなんだろう。

10畝=1反=300坪=1000㎡

不耕起直撒栽培

家の裏手に溜池を介して、その横の谷から直接水を引いている8畝の田んぼがある。7年前「藁一本の革命」を読み、自然農法の哲学にうなされているときに手をつけたすべての始まりの田んぼ。

10年前まで近所のじいさんがいわゆる慣行農法でお米を作っていたが高齢により作付をやめた、そのあと3年間なにも作付をせずに雑草対策としてトラクターでひくだけひいていた。

そして7年前から自分が管理し始めた。初年度、田んぼの周囲はコンクリート畦だったが、自然農の手引きに忠実にぐるっと一周溝をきった。そして米麦連続不耕起直撒を夢見て8畝の田んぼを直撒き点播した、来る日も来る日もテンガを片手に土をほじくりかえし種籾をおろしていった。

半分を過ぎる頃には最初の種は発芽し始めた、はじめてみるお米の発芽になんて姿勢がいいのだろうと感動したのをおぼえている。田んぼに水を張ることはまったくできなかった、周囲に溝を切っているのでそこを流れる水はコンクリートと土の間に流れこみ周囲の溝にすら水は溜まらなかった。当然陸草はぐんぐん成長し草を刈っても刈っても追いつくことができずに、発芽した幼い苗達は草に埋もれていった。

2年目、とにかく水を溜めなくてはと考え、田んぼの周囲スコップ2つ分内側に溝を切り直しコンクリート畦の内側に土の畦を作り畦塗りをした。これでようやくある程度の水量を入れ続けている間のみ水を張ることができた、そして水平がとれておらず凹凸がかなりあったので水を張った状態で水面からでている高いところをトンボでならしレベルをとった、なかなかしんどい作業だった。1年目は点撒きで草刈りにかなり苦戦したので、少しでも草刈りの効率を考え2年目は条撒きで直撒きした。

ある程度の水量を流し続けている間だけ水を張ることができたが、用水を引いているわけではないため水に限りがあり、結局水は思うように溜まらず陸草がどんどん大きくなり、草を刈っても刈っても結局稲は優位にたてず成長も今一で収穫まではいかなかった。しかし、田んぼは少しずつ整いつつあった。畦はある程度形になり、溝には水が回るようになり、不耕起で2年間が過ぎ土も多少落ち着いてきていた。

そんな矢先、いのししがやってきた。お米はたいして実っていなかったし、収穫するつもりもなかったのでどうでもよかったが、レベルをとった田んぼの中、周囲や田んぼの中に切った溝、一周ぐるっと畦塗りした回りの畦すべてをメチャクチャにされた、まさにぐちゃぐちゃ。2年間かけて作り上げてきた田んぼが一夜にして破壊された。自然農法に対する熱がすーと冷めていくのを感じた。

3年目は田んぼをやらなかった。2年間自然農法の思想に惚れ込み、米麦連続不耕起直撒にかなりの労力を注ぎこんできたが、収穫には至らずかつ田んぼもめちゃくちゃにされ、心が折れてしまい、また一からやり直そうと気持ちを奮い立たせることができなかった。

不耕起移植栽培

4年目の春先、今年は田んぼをやるのかやらないのか、やりきる気力はあるのかないのか、自分の内側と格闘していたときに同い年の首都圏から移住してきて7年という田舎暮らしの先輩と出会った。いや、彼は田舎暮らしではなく、山暮らしだった。本気の方だ。

移住者コミュニティとは少し距離をおいていた。太鼓を叩き、ギターを弾きならし、ヒッピーのようなスタイル(実際はそんなことないです、ただの偏見です、すいません)にあまり馴染めず、移住者の知り合いはほとんどいなかった。彼とは共通の知人を介し自然農の話しで盛り上がり意気投合した。そんな彼が田んぼをやるか迷っている私に一言、「田植えしたら?」と言った。まぁ、ようは一回ちゃんと収穫して、自分で作ったお米を食べてみろ、また考え方が変わるよ、ということだ。直撒き云々はそれからだ。

それからは福岡正信自然農法はいったんお休みして、川口由一自然農のやり方にそってできるだけ忠実に自然農のお米作りを始めた。まずはぐちゃぐちゃになっている田んぼをトラクターで引いてある程度水平に戻して、周囲に溝を切り直し、一周畦塗りをして一応自然農の田んぼの形に整えた。

4月種籾を水に浸け芽出しして、田んぼの中に苗床を作り、そこに種籾を撒いた。なかなか発芽してこないので、なんかおかしいななんて思っていたが案の定撒いた種籾はすべて雀に食べられていた。いきなり躓いた。自然農の手引きに沿って枝を苗床の上に被せておいたが、雀はまったくお構いなしに中まで入り込んでいた。急遽新たに種籾を手配し、網を調達し、3週間遅れで種籾を撒き直した、幸いちゃんと種籾は発芽して立派な苗に育ってくれた。

6月初旬、4枚葉ほどの苗を田植えした。人生初の田植え、なかなか厳しい作業だった。田に水は入れていたが溜まったり溜まらなかったりで、指で穴を開けるには固すぎてひとつひとつテンガで穴を開けそこに苗を植えていった。一ヶ月ほどかけてなんとかやりきり、すぐに草刈りに入った、最初の頃に植えた苗はほとんど草に埋もれていた。しかし、直撒きと違い田植えをした時点で苗はすでにそれなりの大きさになっているので、完全に負けているというわけではない草を掻き分け注意深く苗を探しながら一列づつ苗を救出していった。

一回目の草刈りが終わる頃には最初の列はまた草が繁ってきてはいたが、稲もその頃にはぶんけつを始め他の草たちと互角の戦いをしていた。すぐに二回目の草刈りに入った、稲が列になって植わっているのがはっきりとわかり草刈りもかなり楽になった。二回目の草刈りが終わると完全に稲優位になり、その頃には水もかなり溜まるようになり、田んぼはかなりいい状態になった。しかし、そこから物凄い勢いで水草が生えだした、田んぼに入り水草をかき集め畦に放り投げすべての水草を取り去った。夏の暑い時期ではあったが陸草の草刈りに比べれば水草を集めて放り投げるのは楽勝だった。そして立派にぶんけつして成長した稲は出穂をし始めた。

ここまでくれば収穫まであと少し、穂が出揃い始め毎日田んぼを見るのが楽しみだった。そんな矢先にいのししがやってきた。最初は様子見で端の方を少し、次にもう少し、そしてさらにもう少し、このままいけば穂が垂れかかった稲が全滅するのは目に見えていた。今年はここまできたのでこれでいいかなとも思ったが、意を決して柵を張ることにした。仕事帰りにホームセンターによりワイヤーメッシュと鉄筋を買い、ヘッドライトを付けて柵を張った、次の日には別の場所からいのししが入り、その場所にまた柵を張った。それを繰り返し一周柵を張り終わる頃には4割ほどやられたが、いのししの襲撃は止まった。

穂が垂れ下がり、ようやくなんとか収穫期を迎えた。周囲は稲刈りを終えている、そろそろうちも稲刈りするかと思っていた頃、田んぼを見に行くたびに大量の雀がバサバサっと飛び立っていく。分散していた雀が集まってきたのか数が半端なかった、すぐに赤と銀のキラキラテープを購入し、田んぼ一面に張り巡らせた、まったく効果はなく雀の来襲は続いた。あぁ、今度こそ終りかと思っていたとき、近所のじいさんが一言、「周囲にテグスを張りなされ」と言った。急いで釣糸を周囲に張った、ピタリと雀は来なくなった。雀は羽に何かが当たるのを嫌がるというが、正確には見える何かが当たっても気にしないが見えない何かが羽に触れると物凄い恐怖を感じるらしく、そこには群れ全体が近寄らなくなる。

いろいろあった、とにかくいろいろあったが、なんとか稲刈りをしはさがけをし脱穀しとうみをかけ、友人に揉みすりをしてもらいお米を自分で収穫することができた。収量は二袋弱、50kgぐらいだった。

お米さん、いただきます

炊きあがった玄米を噛みしめ飲み込む、この一連の動作の中で引っかかるものが何もない
耕さず肥料もやらず、もちろん薬品は一切使用せず、自然が自然のままに育てたお米
食べた瞬間から身体の一部のような、、、
お米も自分も同じ地球号の乗組員だ。



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